あの人と一緒だとラリーがぜんぜん続かないから練習にならないのよね

少し前のこと、喫茶店で、5人くらいのおばさんグループが隣のテーブルに座った。30半ばから40すぎくらいで、そろいのジャージを着ている。どうやらママさんバレーの仲間らしい。ひまな日曜日にひとりでずるずるとコーヒーを飲んでいた私は、ぼんやりとバレーボールおばさんたちの会話を聞く。ところが、そんなこちらのぼんやり気分と静かな喫茶店の雰囲気に反して、彼女たちの会話は激しいものだった。その場にはいないコーチとメンバーについて、声を荒げて批判が展開される。「あのコーチの指導法ってさあ、前近代的っていうか理にかなってないじゃない、この練習じゃいくらやったって上達なんかしないわよ、まず目標をたてて、それを実現するためにはこれとこれとこれをするっていうふうにしていかないと今のままじゃ駄目になる一方よ」「あ、言えてる、だってあのコーチ、実績だってないしさ、思いつきであれやれこれやれって言ってるだけなのよね、早いうちにコーチの交代を要求するべきよ、練習メニューがどうこうっていう次元じゃないもの」「あんな練習やってられないわよね、なめんじゃないわよって感じ、でも、私たちから交代を迫るっていうのも角が立つし、田所さん経由でそれとなくコーチに言ってもらうのがいいんじゃないかな」「でも、大会までもうふた月もないわよ、どうするの」「交代を要求するならいましかないわよ、いまやらないでこの状態でずるずる行くのは最悪よ」。

なんだろうこれは。まるで「エースを狙え」の意地悪なセンパイたちみたいだ。ママさんバレーというのは、「ハァーイ田中さんパースっ」なんて調子で少し太めのおばさんたちが運動不足解消に和気あいあいとやってるものだと思っていたんだけど、どうも実体はぜんぜん違うらしい。その風通しの悪そうな人間関係と彼女たちの威圧的な空気に圧倒される。さぞやコーチも田所さんも苦労してることだろう。

おばさんたちは、コーチ批判にひと区切りつけると、今度はその場にいないメンバーのひとりをやり玉に挙げ始めた。「あの人と一緒だとラリーがぜんぜん続かないから練習にならないのよね」「あっあたしも、あの人とだけは組みたくないのよね、あの人と一緒だとこっちまで下手になったような気がしてくるんだ」「あたしあの人と一緒だとイライラしてきて思い切りボールぶつけてやりたくなってくる」「そうそうあたしも、ねえ、なんであの人うちのクラブに入ったの」「吉井さんの知り合いみたいよ」「えっでも、最近吉井さんこなくなったわね」「吉井さんだって保護者じゃないんだから、いまの状態じゃ居づらいわよね」「このままだと吉井さんがやめちゃってあの人のほうが残っちゃいそうじゃない」「それ最悪」「それとなく他のクラブを勧めてみるとか」「あはは、それなら石川さんが適任ね、穏やかだけど雰囲気で相手を納得させちゃうから」「うーん、でもどうだろう、ほらあたしから言うと立場上角が立つし、こういうのはそれとなく本人からやめるよう持って行くのがいいんじゃないかしら」「あっ、そうね」「うんそれがいいわよ、あたし、今度からもうあの人とロッカールームで口きかないことにする」「あたしもー」「うん、あたしもそうするわー」。

要するにへたくそなメンバーをいびり出そうということらしい。恐い、ママさんバレー恐すぎる。いい年したおばさんたちの同好の集まりだっていうのに、このよどんだ人間関係はなんなんだろう。彼女たちのグループ特有の現象であってほしいところだが、その後、近所の小平体育館でも、休憩所バドミントンサークルのおばさんたちが似たような会話をしているのを何度か耳にした。グループ内での確執や派閥をつくっての村八分というのは、この種のスポーツ団体に共通した傾向なんだろうか。コーヒーの味がやけに苦く感じたのであった。もし、ママさんバレーのコーチを依頼されたとか、メンバーに誘われているという人がいたら、安易に引き受けたりしないでよくよく検討することをすすめます。