正義は我にあり


ひさしぶりに自分のWebサイトを開いたついでに、どんな人たちがこのサイトにリンクしているのか検索してみる。なぜか、去年書いた「映画館のレディースデー」のページに2ちゃんねるから大量のリンクが張られていて複雑な気分。自分がバカだからこういうリンクばかりなんだろう。まあなにはともあれ、お役に立ったようで何よりです。



不思議なのは2ちゃんねるみたいな掲示板で激論を交わそうとする人々がいることだ。その論調のほとんどが正義は我にありとばかりに自説の正当性をまくしたてている。時間と労力の浪費にしか見えない。互いに殴りあうように自説の正当性をまくしたてるスタイルは、ディベートや裁判や大勢の聴衆を前にした大統領候補討論会のように、それを調停し判定する第三者がいない限り成立しない。さもないと収拾のつかないまま独善に陥って頑なになるか、自尊心を傷つけられて落ち込むかのどちらかだ。調停する第三者がいない場合、相手の言葉以上に自分の発する言葉に対して懐疑的に再検証していかなければ、そのやりとりから考察を深めるのは不可能だ。Webサイトを持っているため、私のところにもときどき見知らぬ人から「正義は我にあり」という論調のメールが送られてくることがある。彼らは「みずからの正しさを確信できずに議論などできるか」という。バカだなあ。こうしたメールのやりとりもまた、最低限、自らの考えを再検証できる知性の持ち主とでないと何ももたらさない。なので、それすらできないような、私以上に愚かな人間とは、メールで議論などしたくない。「確信」しちゃってる相手とメールのやりとりをしても、ただ疲れるだけである。もっとも、2ちゃんねるの利用者たちがそうした時間と労力の浪費をゲームとして楽しんでいるのだとしたら話は別で、もしもそうだとしたら、ずいぶんとまたきわどい遊びをするもんだと感心させられるのである。