A Beautiful Tragedy

ロシアのバレエ学校を取材したドキュメンタリー番組を見る。ダンサーの卵である少年・少女たちは、日々、過酷なほどの鍛錬と徹底した競争によって育成されていく。なんともすさまじい世界。それは日本の町々にあるこどもの習い事としてのバレエ教室とは全く性質が異なっていて、プロのダンサーを育成することだけを目的にしている。何年か前にパリ・オペラ座のバレエ団とその付属学校の様子を追った「エトワール」というドキュメンタリー映画をテレビでやっていたが、生活を共にする閉じた集団におけるはげしい競争と容赦ない選別という育成スタイルは基本的にどちらも同じ。それらは大相撲の新弟子育成のやり方とも共通している。どうやらバレエのダンサーはこのシステムでないとプロのレベルには到達できないらしい。


パリ・オペラ座の付属学校は1990年代に全寮制を廃止したが、こちらのペルミ・バレエ学校は現在も全寮制をつづけており、生徒たちは24時間バレエづけの日々をすごす。朝、起床とともにウォーミングアップ、9時にはレッスンがはじまる。レオタード姿のまま数学の授業を受けている場面もあったので、レッスンの合間に学科の授業も行われるらしい。バレエのレッスンは夜9時までつづく。もちろん遊んでいる時間などない。クラスメイトは友達というよりもライバルで、仲が良くても互いに一定の距離を置いている。レッスンはおどろくほどスパルタ式で、指示されたことができない生徒には教師から容赦ない叱責が飛ぶ。「なんど言ったらわかるの!馬鹿はダンサーに向かないわ!いくら才能を秘めていても賢くなければプロでは通用しないの、まるであなたの脚は爆撃機よ、わかる爆撃機?重い爆弾を運ぶために翼がこう反り返ってるのよ!」。叱られて泣く子、できない自分へのもどかしさにべそをかく子。ドキュメンタリーの中では生徒を叩く場面はなかったが、ロシアではいまも学校での体罰が社会的に支持されているので、場合によっては叩くこともあるのではないかと想像する。こうしたスパルタ式の指導が可能なのは、教える側と教わる側とがバレエに抱く夢を共有しているからだろう。それはある意味で幸せな関係であり、同時にその絆と夢がよりこどもたちを精神的に追い込んでいく怖さもはらんでいる。


なによりも過酷なのは、そこが「学校」とは名ばかりのプロフェッショナルのダンサーを育てるための「養成所」であることだ。唯一の目的はプロのダンサーを育成することであり、評価基準はその生徒がプロのレベルに到達できるかどうかがすべてである。そこには「こどもは自由にのびのびと」という近代的価値観もなければ、「できない子もそれなりに」という教育的配慮も存在しない。教師たちはいずれも第一線を退いた元スターダンサーたちで、生徒たちは幼いうちからプロの審美眼によって選別されていく。それはバレエの技能だけでなく、容姿や体型にまでおよぶ。バレエは身体表現なので、ダンサーのルックスはきわめて重要な要素になる。とくにクラシックバレエがメインのロシアでは、群舞のためにダンサーには統一された体型が求められるので、入学試験では身長・体重はもちろん、肩幅や首の長さ、頭の形、手足の長さまでノギスを使って念入りに計測される。そのルックス至上主義的な選別は差別的にすら見える。入学後も、レッスンを通じて資質がないと判断された者、やる気がないと判断された者には、その時点で即退学が宣告される。太ってしまってダンサーの体型が維持できない者も学校から去るよう告げられる。ここはあくまでプロの養成所だから、その子がプロのレベルに到達できないとわかったら、できるだけ早くそう宣告して別の道を歩ませてあげるほうが本人のためだという判断なんだろう。可能性がないのに当人に期待を持たせたまま在籍させるほうが残酷だと。逆に資質があると教師から見込まれた生徒は重点的な指導を受けられるようになる。もちろん生徒たちのほうも自分が常に評価され、選別されていることを十分自覚しており、そのプレッシャーで拒食症になってしまう子も少なくない。なんせ成績によってバーに立つ位置まで決められるのだ。そうまでしても卒業後にプロのバレエ団に入れるのはほんのひとにぎりで、入団後にはさらなる競争と選別が待っている。


毎年、このバレエ学校への入学希望者は約500人。その中で入学が認められるのはわずかに30人。その30人の中で卒業時まで在籍できるのは約半分。さらに卒業した十数人のうち、プロのバレエ団に入れるのはほんの数人。バレエ団の中では、群舞を踊るコール・ド・バレエ、準主役としてソロを踊るソリスト、主役を担当するトップダンサーのプリマといった明確な序列が存在し、やはり大相撲とよく似たピラミッド型のヒエラルキーを構成している。バレエ学校はそのピラミッドの裾野にあたり、プリマへの長い道のりの一次予選にすぎない。それにしても、小学校低学年くらいの女の子がカメラを前に、「これ以上太ったら学校をやめさせられちゃうから、もっと減量しないといけないの」と訥々と語る場面は痛々しい。その小さな女の子は、ひと目で拒食症気味だとわかるほど鎖骨が浮き出ている。番組の原題は「A Beautiful Tragedy」。私のような「バレエの夢」を共有しない者にとって、その映像を見ながら、これほどまでにこども時代のすべてを捧げるよう要求する表現様式というのは、いったい何なんだろうと考えさせられる。


教師のひとりで現役のプリマでもある女性はインタビューの中で苦笑しながら話す。「バレエはマゾ的傾向のある人に向いていると思います。どんなときも自分を痛めつけてばかりです。その痛みさえ克服して自分を追い込みます。血のにじむ足にトゥシューズをつけ、つま先立ちで踊ります。それでも踊ることが心地良いからです。具合が悪くても踊って、最後の最後に満足感を味わいます。バレリーナになるにはバレエ以外の生活はすべてがまんしなければなりません。ですから、この職業は過酷な人間をつくります。自分自身に対する要求が大きいから、周りの人間に対してもきびしくなります」。


ドキュメンタリーは、遠く親元を離れてバレエ学校での寄宿生活をおくる15歳の女の子オクサナの目を通して、日々のレッスンやそこでの生活が紹介されていく。場面の合間に彼女の日記がモノローグとして挿入され、クラスメイトにとけ込めない孤独感やホームシック、生活を切り詰めて学費を捻出している母親のこと、思うように踊れない自分への苛立ち、体形を気にして拒食症気味になっている様子などが語られる。ロシアは資本主義になってからは、国立学校でも学費無償ではないらしい。番組の終わりに、それから2年後の卒業を目前にした彼女の様子が紹介される。2年後の彼女は、いつも半べそをかいていた15歳の頃とは別人のように自信に満ち、精悍な表情をしている。プロとしてやっていく心構えはすっかりできている様子で、自分にも周りの人間にもきびしいバレエダンサーとして彼女もこれからステージに立っていくんだろう。
→ Oxana Skorik (Mariinsky Theatre)


見ていて意外に感じたのは、バレエ学校の教師たちが自らの世界を特殊だと自覚していることだ。たいていの人は自らの職業体験を通じて社会的な価値観を形成するが、バレエ学校の教師たちは、自分が身を置いてきた世界の価値観と経験を一般化しようとはしない。だから彼女たちは人生訓や教育論を口にしない。その抑制のきいた様子に驚かされる。あくまで客観的に、時に自嘲気味に、ダンサーであることやバレエの世界の特殊性を語る。その様子は「エトワール」に出てきたパリ・オペラ座付属学校の教師やダンサーたちにも共通している。日本のスポーツ選手たちがなにかにつけて説教めいた人生訓を語ろうとするのと対照的だ。自らの世界への引いたまなざしがあることが、同時にバレエ学校での容赦ない選別を可能にしているんだろう。あなたはバレエダンサーには向いていないが、ダンサーという特殊な職業以外にも生き方の選択肢はいくらでもある、だから早く別の道を見つけなさい、と。そう割り切らなければ、あの職業はつとまらないのではないかと思う。


パリ・オペラ座付属学校の教師は、バレエ学校の特殊性について、それがプロのバレエダンサーを育成するシステムとしてきわめて有効であることを認めつつ、その一方で、生徒にこども時代のすべてをバレエへ捧げることを要求し、ごく幼いうちから徹底的に競わせ、精神的にも肉体的にも追い込んでいくやり方については、ある種のいびつさも感じていると語る。彼女は言う。「バレエ学校のシステムは、ひとりのすぐれたダンサーを育てるために大勢の若者の夢を踏み潰していくしくみね、それはまるで弱者をすり潰し、ふるいにかけて落としていくための巨大な装置のようなものよ」。


→ BS世界のドキュメンタリー「犠牲の先に夢がある 〜ロシア国立ペルミバレエ学校〜」

→ Amazon「エトワール デラックス版」