「刀語」


年末に「刀語(かたながたり)」というアニメをCSでまとめて放送していた。部屋の片付けをしながら見る。舞台になるのは江戸時代ふうのファンタジー世界で、登場人物たちはマンガ的にデフォルメされていて、みなテンション高め。忍者に至っては全員着ぐるみを着ている。「忍者ミツバチ」はハチの着ぐるみを着た青年で、「忍者ペンギン」はペンギンの着ぐるみを着た小さな男の子。そんなアニメ的記号に満ちた世界にもかかわらず、ストーリーはかなり込み入っていてシリアスで悲劇的。血まみれの殺戮シーンも多い。おまけにどうも因果ものの話のようで、親の因果が子に報いぃ〜べんべんべんと要所要所に因果話が差し込まれる。なにやら途中から飛び飛びで見ていてもさっぱり理解できない。このお店は一見さんお断りですか。ああそうですか。気になるので動画サイトでダウンロードして改めて見てみる。全12話10時間、今度はかなり集中して一気に見た。ストーリーはほぼ理解できた。でも、やたらともやもやしたものが残る。作り手はいったい何がやりたかったんだろう。



物語の舞台は「尾張時代」という江戸時代ふうの架空の世界。その世界では戦国の動乱をへて幕府が成立するが、失政によってまもなく崩壊し、旧幕府に代わってあらたに「尾張幕府」というのが成立する。それから約百五十年が過ぎ、尾張幕府を率いる家鳴将軍も八代目と代を重ね、すっかり天下泰平の世をむかえている。ところが、将軍の信頼の厚かった出羽の大名、飛弾鷹比等(ひだたかひと)が突如尾張幕府に反旗をひるがえす。飛弾鷹比等は「歴史を本来あるべき姿にもどす」として挙兵し、その反乱はやがて日本全土を巻き込み、幕府もあわやというところまで追い詰められる。追い詰められた幕府は、反乱鎮圧の切り札として「虚刀流(きょとうりゅう)」という刀を使わない暗殺剣の達人、鑢六枝(やすりむつえ)を送り込む。彼の超人的な活躍によって戦況は逆転し、飛弾鷹比等も鑢六枝によって討ち取られる。反乱鎮圧後、今度は虚刀流の力を恐れた幕府は、大乱の英雄である鑢六枝を彼のふたりの幼いこどもとともに無人島へ流刑する。それからさらに二十年が過ぎ、再び天下泰平の世を取り戻していた……と、ここまでが物語のバックストーリー。独自の歴史を持った架空のファンタジーワールドなので、かなり細部まで設定されていてややこしい。こういう入れ物先にありきのRPGみたいな物語ってまだ流行ってるの?



物語はひとりの若い女が鑢六枝の流された離れ小島へ訪れるところからはじまる。鑢六枝はすでにこの世になく、島には成人した彼の遺児たち、病弱な姉、鑢七実(やすりななみ)とたくましい弟、鑢七花(やすりしちか)のふたりが自給自足の暮らしをしている。「とがめ」と名乗る若い女は、ふたりに自分が幕府の命によって十二ふりの刀を集めていると話す。十二ふりの刀はいずれも四季崎記紀(しきざききき)という戦国時代の刀鍛冶によって作られた業物「変体刀」で、それはくり返し動乱の火種となってきたいわくつきの刀であり、現在の所有者たちも一筋縄でいかない連中だという。当初彼女を手伝っていた忍者集団は刀の価値に目がくらんで幕府を裏切り、やはり彼女を手伝っていた東西随一といわれる剣士はあまりの業物である刀に魅入られ、そのひとふりを手にした途端、姿を消した。そこで刀を使わない虚刀流に自分の役目を手伝ってもらいたいのだと言う。手伝ってもらえれば島送りの罪も不問に付すと。「南総里見八犬伝」かはたまた「雨月物語」かって調子で、伝奇ものの出だしとしてはなかなか良い感じ。十二ふりの刀のいわくとやがてむかえる対決に胸が躍るでしょ。でもね、とがめちゃんは幕府の重役にもかかわらずロリロリでツンデレステレオタイプなアニメヒロイン。上記の話を早口のアニメ声でまくしたてるのである。敷居が高いなあ。彼女の様子にあっけにとられている弟へとがめは言う。「金で動く忍者は信用できない、名誉で動く剣士も駄目だ、愛で動く者だけが信用できる、虚刀流七代目当主、鑢七花、私に惚れて良いぞぉ〜」。うーん、どうしよう……。



近代の作劇は紋切り型を避ける。もしも悲しい場面で登場人物たちが一斉にハンカチを取り出してよよよと大げさに泣きだしたら、それは喜劇か大衆演芸だ。ところがここではそうした作劇の基本的な仕掛けが放棄され、おそらく意図的に類型化された登場人物によってアニメ的記号のパロディが演じられる。アニメ的コスチュームを着た彼らは、常にオーバーアクションで大げさに語る。その様子は1980年代の小劇場演劇を連想させる。彼らはたびたび「ここでの私の役割は」と口にする。自分は物語の都合上ここに登場したにすぎないと。そんな彼らの会話は漫才のようにボケとツッコミの役割をなぞる。(個人的には駄洒落よりも漫才もどきの予定調和の会話のほうが苦手。)それは明らかに喜劇の文脈なんだけど、その中で彼らは次々と血まみれの姿で殺され、非情で残酷な運命論めいた物語が展開される。そうやってありえない世界をいっそうありえないものとして描くことで、作り手はいったい何がしたいんだろう。それは現実よりもアニメ的世界に親近感をおぼえる人たちのために、居心地の良い舞台をつくって遊んでいるだけなんだろうか。それとももっと何か別の意図があるんだろうか。



主人公のつかう虚刀流は、刀剣を用いず、自らの心身そのものを「刀」とする殺人剣である。それは素手で人体を破壊し、刀も粉砕する。ただし、鑢一族のみに伝えられる血族の技であるため、戦国の世や大乱での活躍は知られていても、その実態はほとんど知られていない。弟の鑢七花は、父・六枝によって七代目の伝承者になるべく鍛えられ、幼いうちからひとふりの刀として生きることを説かれてきた。ただ鋭い刀になることだけを教えられてきた彼は、自らの意志や他者への情、善悪の観念といった基本的な人間性が欠落している。隔離された島の環境の中、やはり鋭い刀である父と姉との三人だけで暮らしてきたことがその傾向に拍車をかけている。性格は温和で一見ごくふつうの木訥とした若者だが、人を殺すことになんのためらいも葛藤もない。彼はとがめを探って島に来た忍者蝙蝠(もちろんコスチュームはコウモリふうの着ぐるみ)を一撃で仕留める。対決の最中、彼はとがめの正体と彼女の真の目的を蝙蝠から聞かされる。とがめは大乱の首謀者、飛弾鷹比等のひとり娘であり、十二ふりの刀あつめは、表向き幕府にとっての動乱の火種を事前につむためとされているが、それは彼女にとって口実に過ぎない。とがめは刀あつめを成功させることで将軍つきの側用人へ取り立てられ、将軍の暗殺と幕府の転覆の機会をねらっているのだという。そうして父親の無念を果たすことこそが飛弾鷹比等のひとり娘である彼女の真の目的なのだと。それを聞いて主人公の表情が変わる。彼の父親、鑢六枝もまたとがめの仇である。忍者蝙蝠を仕留めた後、蝙蝠が所有していた変体刀を手に彼はとがめへ言う。「とりあえず一本、金のためでも名誉のためでもなくアンタのためにしたくなった、俺はアンタに惚れることにしたよ」。こうして殺人剣の使い手である心を欠落した若者と目的のためなら手段を選ばないお姫様との刀集めの旅がはじまる。ややこしい架空世界が舞台になっているけど物語の骨格はきわめて古典的。剣士とお姫様の妖刀狩りの道中なんてまるで古い時代劇のようだ。



コミカルな表現が多いにもかかわらず、マンガやアニメで多用されるモノローグや心の声による心理描写はほとんど用いられない。だから、主人公の若者がなぜヒロインの復讐に手をかすことにしたのかも説明されない。彼女に同情したのか、罪悪感を抱いたからなのか、それとも目的を果たすために手段を選ばない強い決意に心うたれたからなのか、場面をよく見て、ストーリーを理解して、あとは見る側が想像してくれというわけだ。ともかく主人公はヒロインの「刀」になることを決意する。心理描写については、登場人物たちの表情やしぐさやなにげないひと言が伏線になっていることが多い。いくつもの伏線がパズルのピースのようにはめ込まれていて、アニメにしてはずいぶんと映画的。登場人物の奇妙な名前が伏線や暗喩になっていることも多い。見る側に集中力を要求するが、なんでもセリフとモノローグで説明されるよりはずっと良い。説明的なモノローグを多用されるほどしらけるものはない。また、カットバックを多用し、肩透かしや人を食った仕掛けも盛りだくさん。ぼんやり見ていると出し抜かれる。とくに四話目の展開には、まんまと一杯食わされ、腹をかかえて笑った。演出のテンポも良いし絵も良く動く。作画やアートワークも凝っていて七話目ではその内容にあわせて絵のタッチまで変えている。残酷で猟奇的な描写が多いのは「八犬伝」や「雨月物語」みたいな伝奇ものだと思うことにして受け入れよう。これはこどもが見るアニメではない。ヒロインのお姫様がニーソックスをはいてツンデレロリロリなのもまあ見てるうちに慣れる。あれはあれで三時間も見ていれば、わがままで自分勝手で焼きもちやきのヒロインがなんだか可愛いような気がしてくる。忍者が着ぐるみを着てるのも一種の様式だと解釈して受け入れよう。「ヤッターマン」の三悪にしても「ポケモン」のロケット団にしてもアニメの敵役はみんな妙なコスチュームを着ていたし、それは本質的な問題ではない。ただそうして好意的に見たとしても、釈然としないものが残る。主人公とヒロインを縛っている歴史の因果の正体が最後まで明らかにされないのだ。だから、十二話見終わった後でも、物語の完結を見とどけたという充足感が得られない。どうしてそうなるのというもやもや感だけが残されることになる。



全十二話の物語は、刀をめぐる歴史の因果を全体を通じての縦糸に、主人公の成長とヒロインとのラブコメを横糸に、各一話ごとにそれぞれの刀の所有者との対決がつづられていく。因果話は猟奇的で残酷に、ラブコメはコミカルに、両者の間を大きく振幅しながらふたりの旅は描かれる。旅がすすむにつれて、主人公はヒロインとの交流や刀の所有者との出会いと別れによって少しずつ人間性を身につけていく。怒り、喜び、悲しみ、後悔といった感情を体験し、自らの意志を自覚するようになる。それは同時に一本の刀として主人公の虚刀流が研がれ、完成していく過程でもある。また、旅がすすむにつれて、十二ふりの刀の正体も明らかになっていく。刀の制作者である四季崎記紀は古くからの占術師の家柄で、彼の一族は代々予知能力をもっている。それはたんに未来を見通せるというのではなく、「風吹けば桶屋儲かる」式の因果の連鎖を俯瞰的に知覚できるものなんだろう。四季崎の一族はその力を生かし、たんなる未来の託宣ではなく、歴史を積極的に改ざんし、本来あるべき歴史の姿に修正することを役割としてきた。彼らは因果の種をまくことで歴史の向かう方向を修正する。戦国の世に生まれた四季崎記紀は、刀を因果の種として歴史の修正を図った。まもなく戦国の世を統一することになる将軍家と幕府は本来の歴史には存在しない。本来あるべき歴史の中では、戦国の世は統一されず、将軍も幕府も存在せず、数百年もの泰平の世がつづくこともない。幕府の存在する歪んだ歴史の先には遠い未来においてこの国が異国の軍隊に滅ぼされる世界へたどり着くという。その歪んだ歴史を修正し、幕府の成立を阻止するための因果の種が彼の制作した異形の刀である。



四季崎記紀は戦国の世に千におよぶ刀をばらまく。未来の技術や異なる世界の技術によってつくられた彼の刀は戦場で絶大な威力を発揮し、戦乱の中でさらなる殺戮をもたらした。四季崎の刀の存在が戦の勝敗を大きく左右したことから、やがて彼の刀を多く手にした大名こそが戦国の世を支配するという噂が広まる。大名たちはこぞって四季崎の刀を求め、刀の存在がさらなる戦乱をまねいていった。その後、戦国の世を統一した旧将軍は、四季崎の刀を恐れ、総力を挙げて刀狩りをはじめる。収集された刀は十万にのぼり、四季崎の刀もそのほとんどが回収されたが、どうしても十二ふりの刀だけは回収できなかった。その十二ふりの刀こそが特別に強い力を持った「完成形変体刀」と呼ばれる異形の刀だという。なんだか使い古されたSFな仕掛けで少々安っぽいけど、これが十二ふりの刀のいわく。強引な刀狩りを実施した旧将軍は国力を疲弊させ、その天下はごく短期間で崩壊する。幕府の成立を阻止するという四季崎のもくろみは成功したかに見えたが、旧将軍の家臣だった家鳴家がその跡を継ぐ形であらたに尾張幕府を開き、その後、泰平の世を築くことになる。歴史の修正は四季崎の子孫の引きつがれ、残された十二ふりの刀による幕府の転覆を画策している。ヒロインの父親である飛弾鷹比等が二十年前におこした大乱もそのひとつ。劇中でくわしく描かれていないためはっきりしないが、飛弾鷹比等の大乱も四季崎による歴史改ざんのシナリオの影響下にあることを匂わせている。また、主人公とヒロインは気づいていないが、ふたりの刀集めの旅も四季崎の子孫である若い女の描いたシナリオの中にある。問題なのは、劇中で語られる「あるべき歴史」や「歪められた歴史」というのが何かはっきりしない点である。それらは思わせぶりなセリフでほのめかされるだけで、「あるべき歴史」って具体的にどういうことなのかが最初から最後まではっきり示されない。尾張幕府は本来の歴史では存在しないという。では、「本来の歴史」とは一体どのようなものなのか。ここは物語全体の核になっている箇所できわめて重要なはずである。これを明らかにしないと、さんざん張りめぐらした伏線は回収されないまま終わってしまうし、この物語全体があいまいなものになってしまう。



ヒロインの回想の中で、父親の飛弾鷹比等はまだ幼い彼女に語りかける。反乱は失敗し、幕府の軍勢に追い詰められた彼は、火の海となった城内で最後の時を迎えようとしている。

「君は歴史とはなんだと思う?僕は歴史とは人間の生きた証だと思う。精一杯生きた人間の証だと。だからあるべき姿であるべきなんだと。それなのにこの歴史は本来あるべき歴史とはまるで違う。僕はその間違いを十分に示せただろう。ここでひとまず僕の役割は終わりだ。こうやって最後に君に伝えるべきことを伝えられたんだからそれで良しとしよう。もしもこの歴史が僕の思っているとおりなら君だけは死なないはずだ。君はこの過酷な歴史に生き残ることになる。武士道にしたがうなら僕はここで君を殺してあげなきゃならないんだろうけど、いくらそれが歴史の間違いを正すことだとしても、それだけはできない。自分の娘は殺せない……」。


謎かけ問答のようだけど、彼が何を言ってるのかわかりますか?ヒロインが「本来あるべき歴史」には存在しないってことだけはわかる。歪められた歴史の因果の中にのみ存在するのだと。では、彼が語る歴史の「あるべき姿」とは、「精一杯生きた者がむくわれる世界」のことなのか、それとも「行為の結果としてただあるがままに生じる世界」のことなのか。前者ならばある価値観にもとづく歴史の修正を肯定し、後者ならばすべての修正を否定することになる。また後者ならば尾張幕府の存在自体、四季崎とは別の歴史の外部からの干渉によってもたらされたことを示唆する。だとしたらそれは誰?なんのために?あるいは、戦乱の世の中で、ひたすら殺戮の連鎖がつづく万人の万人による闘争の歴史こそが「あるべき歴史」だというのか。でもそれはたんにひとつの価値観にすぎない。それを歴史のあるべき姿という根拠は何なのか。はたまた彼は「この世界は架空の世界だ」とメタフィクションについて語っているんだろうか。ニーソックスをはいたロリロリヒロインも着ぐるみの忍者たちも存在するはずのない本来ありえない登場人物たちなんだと。だとするとまったく違う意味になるけど、でも、そんなもん原作者がぜんぶ創作してるに決まってるわけで、物語も終盤になっていまさら劇中の人物にメタフィクションを指摘されてもさあって感じ。



飛弾鷹比等が娘にそう話した直後、筋骨たくましい大男が彼の元へせまってくる。大乱の首謀者を討ち取りに来た虚刀流六代目、鑢六枝である。燃えさかる城の広間でその大男は、小柄な飛弾鷹比等を見下ろし、手刀を一閃させる。ふすまの影に隠れていた幼い娘は、噴き出す血しぶきとともにゆっくりと落下していく父親の首を凝視する。込み上げてくる怒りと恐怖で、彼女の長い髪はまっ白に変わっていく。以後、彼女は自らの名前と素性を隠し、人生のすべてを費やして父親の復讐への長い道のりを「奇策士とがめ」として歩きつづけることになる。



たしかに物語の何から何までを見る側にわからせる必要はないし、これはどうしてと想像の余地が大きいほど物語の余韻は残る。しかし、劇中で語られる「あるべき歴史」が何かというのはそういうたぐいのものではない。ここがはっきりしないことには、すべての登場人物たちの行動原理が意味不明のものになってしまう。「あるべき歴史」とその因果こそが物語全体のカギになっていて、主人公とヒロインの刀集めの旅もその中にあるんだから、これについては見る者の想像にゆだねますってわけにはいかないはずだ。四季崎記紀は大勢の人間が死んでいくのを楽しんでいるようなニヒリズムを抱いた人物として描写される。彼にとっては自分の作った刀をめぐってどれだけ大勢の人が死のうがいっこうにかまわない。ならば、幕府ができようが、遠い未来でこの国が滅ぼされようがそんなこと彼にはどうでもいいのではないか。むしろ、そんな彼が「あるべき歴史」にこだわり、幕府の成立を阻止しようとするほうが不自然に見える。彼は、虚刀流開祖、鑢一根との出会いでこう話しかける。

「俺も世の中なんてものには興味はねえ、俺が相手取ってるのはなんたって歴史って奴だからな、世の中やら世界なんてものは、歴史全体から見たら表面のほんの上澄みみてえなものにすぎねえ」


では、彼は何がしたくて歴史を相手取っているのか。また、飛弾鷹比等もなぜ自らの命と大勢の人々を犠牲にしてまで「あるべき歴史」の実現に執着したのか。それこそがこの物語世界の核心部分のはずなのに、それらはいっさい語られない。我々に見える「歴史の上澄み」ではなく、その深淵をのぞき込んだ者たちの意識の世界がきっちり描写できていなければ、よくわからない架空の世界のよくわからない歴史の因果によって登場人物たちが振りまわされ死んでいくだけのよくわからない物語になってしまう。主人公がいくら必殺技をくりだそうが、ヒロインとのラブコメでいくらいちゃいちゃしようが、世界はすべて茫洋として霧の中。だから十二本全部見終わっても充足感は得られない。ただもやもやが残されるだけだ。ここでひとまずそのもやもやを整理してみよう。



 ・劇中でくり返し語られる「本来あるべき歴史」っていったい何なのさ?

 ・四季崎記紀の言う「本来あるべき歴史」と飛弾鷹比等の言う「本来あるべき歴史」って同じものなの?

 ・予言者の存在する劇中の世界では、歴史は行為の結果として生じるのでなく、あらかじめ定められているの?

 ・尾張幕府の存在は、何者かによる歴史への干渉によってもたらされたの?なら誰が何のために?

 ・尾張幕府の転覆さえ実現すれば「本来あるべき歴史」に修正できるの?



劇中の様々な箇所で「歴史のあるべき姿」は思わせぶりに語られ、十二話全体をつらぬく縦糸として、主人公とヒロインの刀集めの旅もその因果の中にあることが示唆される。ところがこのさんざん思わせぶりに語られてきた歴史の因果は、結局、最後までその正体が明かされない。本来あるべき歴史とは何なのか、主人公たちがいる世界とは何か、歴史とは結果の積みかさねによって生じるのか、それともあらかじめ定められた流れの中にあるのか、何も明らかにされないまま主人公とヒロインの旅は終わり、物語は幕を閉じる。登場人物たちを動かしてきた運命論めいた歴史の因果は最後まで霧の中にあり、見る者は物語が終わってもその霧の中に取り残される。年末にまるまる一日費やして付きあってきたふたりの旅の行き先がこれかい。



そして結末。以下ネタバレって奴です。旅の終わりで主人公とヒロインは、虚刀流もまた四季崎記紀によって作られた「刀」であることを知る。二百年前の戦国の世に四季崎記紀によって鑢一根に植えられ、血族の技として受けつがれていく過程で根をはり枝をのばし、七代目の主人公によって花を咲かせ、完成に至る「刀」だと。そして、虚刀流もまた歴史を「あるべき姿」に修正するための因果の中にあると。主人公は言う。「俺が四季崎の作りし変体刀の一本ねえ、ぜんぜんピンと来ないなあ、まあいい、俺はとがめのために戦う、それが俺の出した答えだ」。それはそれでいい。主人公の七花くんはこの旅を通してなかなかいい男になった。ヒロインは彼のまっすぐな言葉に顔を赤くする。ならばふたりのラブコメがこの悲劇的な因果話に終止符を打つのか。そうはならない。ヒロインは最後まで父親の復讐にこだわりつづけ、最終回で四季崎の縁者によって殺される。四季崎の縁者がなぜ彼女を殺害したのか、やはりここでも説明されない。彼女もまた主人公との一年におよぶ旅によって変わった。もう以前のような、目的を果たすためなら手段を選ばず、誰も信用せず、一切の隙を見せないという過酷な性格でははなくなっていた。だからもう幕府の転覆に役にたたないと暗殺者に判断されたからなのか。それとも、彼女が飛弾鷹比等のひとり娘ならば本来あるべき歴史には不要の存在だと見なされたからなのか。あるいは、主人公を完全な刀に仕立て上げるために彼女は殺される役割を負ってこの歪んだ歴史の中に存在していると判明したからなのか。暗殺者は「すべてお前のせいだ、虚刀流」とだけ言い残し、去っていく。


死に際、ヒロインは主人公にこの旅が終わったらそなたを殺すつもりだったと告白する。主人公は血まみれの彼女を抱きしめて叫ぶ。「いちばん傷ついてるのはアンタじゃないか!傷ついて傷ついてこんな道半ばで撃たれて、アンタ、いったい何やってんだよ!」。ヒロインは言う。「でも、いま幸せだよ、道半ばで撃たれたおかげで、もうそなたを殺さずにすむのだから、やっとこれで全部やめることができるのだから……」。こうしてヒロインは彼女を縛ってきた因果の鎖から解放され、彼女の復讐劇は道半ばで幕を閉じる。一方、主人公は彼のすべてを失い、事ここに至って四季崎記紀による虚刀流の因果は完成する。主人公は死に場所を求めて尾張城へ乗り込み、刀として完全無欠の存在となった彼は殺戮の限りを尽くす。復讐ではなく、ただ死ぬために。押しとどめようとする幕府の家来衆たちを皆殺しにし、四季崎の刀を手にした暗殺剣の使い手たちもすべてなぎ倒し、いままで集めてきた十二ふりの変体刀もことごとく破壊する。天守閣にたどり着いた彼は、御簾の向こうにいる八代将軍に言う。「とがめはアンタみたいな奴のせいで人生を棒にふっちまった」。そして、命乞いをする年老いた八代将軍を絶叫とともに葬り去る。でもそれは逆恨みじゃないの、七花くん。完璧な刀となった主人公の戦いぶりは圧巻だけど、カタルシスはまったくない。だって将軍も幕府の家来衆もべつに何も悪くないんだもん。彼らがいったい何をしたっていうのさ。「歴史の深淵」も「あるべき歴史の姿」も見えない我々には、幕府や将軍がなぜそれほど否定されるのか最後までさっぱりわからないよ。結局、主人公は死に場所を求めたにもかかわらず、死にきれず、瓦礫と化した尾張城を去っていく。我らの主人公はいったいなにをやってるんだろう。



八代将軍と大勢の家来衆を失った尾張幕府だが、最後の最後で四季崎記紀による歴史の改ざんは実現しなかった。まもなく九代将軍が就任し、何事もなかったかのように再び尾張幕府による泰平の世を取り戻した。破壊された尾張城と殺された大勢の命以外、歴史は何も変わらなかったのである。四季崎記紀の末裔である若い女が主人公に言う。「四季崎記紀は結局負けちゃったのよぉ、計算違いは旧将軍からはじまった、そして飛弾鷹比等、そしてその娘……容赦姫が決定的だったわねぇ」。彼女はしたり顔でそう語るが、それらがどういう因果で結ばれているか、歴史の外から何らかの介入があったのかは語られない。歴史の改ざんとは結局何だったのか、あるべき歴史の姿とはいったいどういうものか、幕府さえ転覆すればあるべき歴史になったのか、肝心の部分は最後までわからない。この期におよんで謎かけはもういいよ。もはや、架空の世界の架空の歴史の「尾張幕府」が残ろうが消えようがどうでもいい。それがどうしたって感じ。尾張城から姿を消した主人公はそのまま旅路を歩き始める。ヒロインとふたりで行くつもりだった旅へ、彼女の追憶とともに。どよよよーん、おしまい。おしまいったらおしまい。終わっちゃうのである。肝心なことは何も明らかにされず、全十二話を通してふたりがやってきたことは何も報われず、カタルシスもなく、我らの愛すべきツンデレヒロインはすでに舞台から去り、主人公は彼女の追憶を抱いて道の彼方へ消えていく。ああもう原作者が執筆中に大失恋でもしたのかってくらい何がやりたかったのかさっぱりわからないのである。あーもやもやする。もやもやするでしょ。絵の動きもいいし、アートワークもうまくできてるし、十話目あたりまで話もうまく転がっていて感心してたのに、それまでに張りめぐらした伏線がまったく回収されないっていうのはちょっとあんまりじゃないの。だから物語はこんなナレーションで幕を閉じる。

「復讐を果たせなかった者、目的を果たせなかった者、志なかばで倒れた者、思いを遂げられなかった者、負けた者、挫けた者、朽ちた者、一生懸命がんばって、他のあらゆるものを犠牲にして踏ん張って、それでも行為がまったく結果につながらず、努力はまったく実を結ばず、理不尽に、あるいは不合理に、ただただ無惨に、ただただ不様に、どうしようもなく後悔しながら死んでいった者たちの夢と希望に満ちあふれた前向きな物語、「刀語」は、ここで静かに幕を下ろすのでございます」。


私には、さんざん思わせぶりに引っぱってきた伏線を最後まで回収できなかったことへの作者の言い訳のように聞こえる。



というわけで見た人の感想も気になったのでネットで検索してみたところ、ヒロインの髪型がどうこうとか紫のニーソックスが萌え萌えだとかおねえさんはどうやって島を出たのかとか四つ目の刀を使いこなすための技はどうなってるのかとかって枝葉の話題ばっかり。そんなのどうでもいいじゃねえかこのおたくども。そうじゃなくて、このドラマツルギーをあなたがどう受け止めたかが気になるんですよ、えっこれはおたくによるおたくのためのおたくアニメだからそんなこと気にすんなって、だったら私が悪うございました。というわけで私はあなたの感想もぜひ聞きたい。自分だけもやもやさせられてるのも癪なので、ぜひあなたにもこのもやもやを味あわせたい。もっとも、私はここにこうしてえんえんと吐きだしたおかげで少しすっきりしました。長々のご静聴どうもです。



 → 公式サイトによるプロモーションビデオ1 約3分

 → Anitube スペイン語だかポルトガル語だかの字幕つき海賊版(各50分、全12話そろってます)

 → Amazon ムカツク奴にこのDVDを送りつけてやりたいっていう人はどうぞ、べつに止めません

 → Wikipedia「風が吹けば桶屋が儲かる」