トム・ウェイツ

 夜中に古いCDを引っ張り出してトム・ウェイツを聴く。
 トム・ウェイツ1985年のヒット曲「Downtown Train」はこんな歌詞。

Tom Waits "Downtown Train" 1985

外には黄色い月
夜空に丸い穴を開けている そうさ
俺は窓から通りへ出る
通りは真新しい10セント硬貨みたいに輝いている
ダウンタウン・トレインは満員
ブルックリンの女たちで
彼女たちは自分の小さな世界から抜け出そうと必死だ

君が手を振ると連中はカラスのように散っていく
連中は君の心をとらえるものを何ももっていない
連中は棘だけの茨みたいなものだ
暗闇の中で連中に出くわしたときは気をつけたほうがいい
ああ もし俺がその中のひとりなら
君の特別な男になれるのに
ああ愛しい女よ もう俺の声が聞こえないのか

今夜 君に会えるだろうか
ダウンタウン・トレインで
毎晩ずっと同じだった
君が去ってから俺はずっと孤独だった

どれが君の窓か知っている もう遅いことも知っている
どれが君の階段かどれが君のドアかも知っている
君の通りを歩いて門を通り過ぎる
俺は四つ角の街灯のところに立ってる
君は連中が倒れるのを見ている
連中はみんな心臓発作だ
大騒ぎの中で
でも 誰も君を取り戻せない

今夜 君に会えるだろうか
ダウンタウン・トレインで
毎晩ずっと同じだった
君が去ってから俺はずっと孤独だった
今夜 君に会えるだろうか
ダウンタウン・トレインで
俺のすべての夢が雨のように降っている
すべてのダウンタウン・トレインの上に


 曲のタイトルでもある「ダウンタウン・トレイン」は、通りで客引きをしているブルックリンの夜の女たちの列と解釈して訳した。ブルックリンの夜の女たちは、まるで列車のように通りにずらっと並んで派手な化粧と安っぽい色気で客を誘っている。通りを行く男たちはひやすばかりで上客はなかなかつかまらない。ああ、俺がそこにいたら、きっとおまえの特別な男になれるのに、なんでこんなことになっちまったんだろう、あの時、なんであんなくだらないことでおまえを罵って殴っちまったんだろう、今夜おまえに会いに行けたらどんなにいいだろう。男は女の住んでいるアパートを細部まで思い浮かべ、そこへ入っていく自分の姿を想像する。でも、男は自分の思いがもう届かないことも、やりなおすにはもう遅すぎることもわかっている。そんな愛すべきアバズレ女とろくでなし男の場末の恋の物語。トム・ウェイツの代表曲で、その後、何度もカバーされた。訳は「君」より「おまえ」のほうがいいかな。あと、最初の「they」を「ブルックリンの娼婦たち」、二つ目以降を「その客たち」と解釈して訳したけど、微妙に意味がとれない。「棘だらけのイバラ」はブルックリンの女たちにこそふさわしいと思うんだけどどうでしょう。歌詞を訳しながら、以前アパートの隣の部屋にすんでいた土建屋のにいちゃんと彼の恋人のことを思い出した。彼らもしょっちゅう通りに響くような大声でけんかしていたけど、その後、うまくやってるんだろうか。夜中にトム・ウェイツのしわがれ声を聴いていたら妙に人恋しい気分になってきた。



 もう一曲、トム・ウェイツ。やはり1985年の歌。「Hang Down Your Head」。



Tom Waits "Hang Down Your Head" 1985

静かに 野のスミレ
静かに 黄金の絆
静かに 誰かがおまえの噂をしてるのを聞いたんだ
俺との誓いを踏みにじったって
俺の心を引き裂いたって
おまえは他の男を見つけたんだな
愛しい女よ 俺は出て行かなきゃならない

悲しみでうなだれてくれ
俺を想ってうなだれてくれ
うなだれてくれ 明日
うなだれてくれ 愛しいマリー

静かに 俺の愛 雨とともに
静かに 真実だった愛よ
静かに 俺の愛 列車とともに
さあ おまえの元から遠くへ連れて行ってくれ

悲しみでうなだれてくれ
俺を想ってうなだれてくれ
うなだれてくれ
うなだれてくれ
うなだれてくれ 愛しいマリー


 これも同じく愛すべきアバズレとろくでなしとの場末の恋の物語。男は女の裏切りを知って去って行く。飛び乗った列車は中西部の荒れ地の風景の中を走り、女と暮らした町が地平線の彼方へ遠ざかっていく。流れ者の男はまた根なし草に戻っていくだけだ。男は心の中で語りかける。愛しい女よ、俺たちの愛が真実だったのなら、去って行った男のことを想ってうなだれてくれ。そんな寝取られ男のみじめな思いが陽気なメロディーに乗せて歌われる。さて、愛しのマリーさんはどうするんだろうか。出て行ったろくでなしを想って酒場で酔いつぶれるんだろうか。それとも清々したよと高笑いするんだろうか。どちらにしても、トム・ウェイツの歌に登場する女には、そこでめそめそ泣くような恋愛小説のヒロインみたいなのは想像しにくい。彼の歌は、粗野で飲んだくれだけど妙に純情な男たちと、だらしなくて明日の見えない暮らしをしてるけど情に厚い女たちの物語だ。これも好きな歌で、ときどきサビのフレーズがアタマの中で無限ループすることがある。ただ、シングルカットされていないはずなので、それほど知られていないのかと思っていたら、Youtubeのコメント欄には大量の書き込みがあってちょっとびっくり。この情けなくてみじめで切ない歌を愛している人がそんなにいるなんてね。きっと全員おっさんたちだろう。トム・ウェイツの歌が好きだという女の人には出会ったことがない。私の周囲では「あの顔がねえ」とか「男のセンチメンタリズムが濃すぎてねえ」とか散々。ところで、ふたつめのフレーズの「a band of gold」がなにかの比喩か慣用句かと思って調べてみたけどわからなかったので、ここではとりあえず「ふたりの絆」と解釈して訳してみた。


 さらにトム・ウェイツ。1983年の歌で「In the Neighborhood」。これもone of the best。



Tom Waits "In the Neighborhood" 1983

そう 卵がベーコンをフライパンの周りで追いかけてる
それにくんくん鳴いてる犬
教会の尖塔のベルとロープの脇の鳩たち
犬たちは一晩中ゴミ箱をひっくり返していた
それにいつも工事中で悩ませられる
それがうちの横町
それがうちの横町
それがうちの横町

金曜は葬式
土曜は花嫁
セイはレジスターの脇でピストルを持っていた
それに配送のくそったれトラックがやたらと騒音をたてる
俺たちのバターはもう届かない
それがうちの横町
それがうちの横町
それがうちの横町

そう ビッグ・マンボが年寄りのグレイハウンドを蹴っとばしてる
こどもたちはもうアイスクリームをもらえない
だって市場は火事で焼けちまったから
吹きっさらしの通りで新聞紙が寝袋
それにあのくそったれトラックがまた俺を縛り付ける
それがうちの横町
それがうちの横町
それがうちの横町

フィリピン人の女の子たちが教会で笑ってる
窓は割れちまって店の主人はいない
ブッチは軍隊に入っちまった
ああ どこにあいつはいるのやら
削岩機がまた歩道を掘り始めやがった
それがうちの横町
それがうちの横町
それがうちの横町


 この「荒れ放題のうちの横町」で何を連想するのか。もちろんトム・ソーヤーとハックルベリー・フィンの物語であり、トムやハックの目を通して語られる南部の人々の貧乏暮らしである。そんなマーク・トウェインの頃と大差のない南部の貧乏人たちの浮き草模様がゆるいブラスバンドの演奏に乗せてノスタルジックに歌われる。ただ、トム・ウェイツが南部や中西部の貧乏人たちに人気があるという話は聞いたことがない。きっとその渦中にいる者にとって、町の荒廃はこんな叙情的なものには映らないんだろう。トム・ウェイツは昔からヨーロッパで人気があって、知り合いのイギリス人はなぜかみんなトム・ウェイツの歌が好きだ。ぜんぜん知り合いじゃないけど、ピーター・ガブリエルエルビス・コステロトム・ウェイツの歌の世界を「美しい」と言う。ロックやブルースが好きなイギリス人にとって、アメリカ南部の貧乏暮らしには妙な郷愁をさそわれるらしい。


 ハックルベリー・フィンの物語は、この歌に限らず、すべてのトム・ウェイツの歌に通奏音のように流れている。ハックの目から見た人々の暮らし、ハックの目に映るおとなたちの偽善と偏見と差別、ハックの思い描く地平線の向こうにある自由と希望。トム・ウェイツの歌に登場する粗野だけど妙に純情な男たちは、皆、ハックルベリー・フィンのその後の姿に思える。目端の利くトム・ソーヤーの場合、その後ちゃっかり地元の名士に収まって、「いやあ俺も昔はずいぶん悪さをしたもんだよ」なんてチョイワルを気どる嫌みなおっさんになっていそうだけど、おとなになったハックがカントリークラブの会員になってゴルフをしている姿は想像できない。トムと違って帰る家のないハックは、逃亡奴隷のジムと別れた後も地平線の彼方にあるかもしれない自由を探し求めているはずだ。歌ってるのはトムだけど。


 最後にもう一曲。1985年の「Time」。ある町での出来事を子守歌のように歌う。「子供たちをよろしく」という路上で暮らすこどもたちを記録したドキュメンタリー映画の主題歌にもなった。これもトム・ウェイツのone of the bestだと思う。他の歌より歌詞が抽象的なんで少し堅めに訳してみたけど、後半、なんの比喩を表してるのかよくわからなくなってしまった。夜中に酒を飲みながらこの曲を聴いているとこどもの頃の記憶がよみがえってくる。「思い出は遠ざかる列車のよう」「遠ざかるにつれて小さくなっていく」。



Tom Waits "Time" 1985

そう ハーロウには罰金が科せられてる
通りには月がかかってる
不良少年たちはことごとく法律を破ってる
ここはイースト・セントルイスの東
風が話をしている
雨音が喝采のように響いている

ナポレオンが大騒ぎの酒場で泣いている
彼の見えない婚約者は鏡の中
バンドの連中はもう帰ろうとしている
雨は降り続いている 打ちつけるように 突き刺さるように
そうさ ここにはもう何も残っていないんだ

時よ 時よ
時よ 時よ
時よ 時よ
愛する時がきたんだ
時よ 時よ

誰もが孤児のふりをしている
思い出は列車のよう
遠ざかるにつれて小さくなっていく
思い出せないこと
忘れられないこと
そんな過去が夢の中に聖人を送り込む

そう そばにいてあげると彼女は言った
包帯がとれるまで
でも そんなママっこの少年は際限を知らない
チルダが船乗りに尋ねる
それは夢 それとも祈り?
目を閉じろ 息子よ
少しも痛くないから

ああ 時よ 時よ
時よ 時よ
時よ 時よ
愛する時がきたんだ
時よ 時よ

そう カレンダーガールにはひどい出来事だ
少年たちは車から飛び降り
道ばたで泥をはねる
彼女は調子に乗って
ブーツからカミソリを取り出した
そして千羽のカモは彼女の足下に落ちた

キャンドルを窓辺において
彼の唇にキスしてやりな
窓の外ではいい女が雨に濡れている
君の取り巻きとは見知らぬ仲のように
俺が帰ってくるまで褒美はやらないように

時よ 時よ
時よ 時よ
時よ 時よ
愛する時がきたんだ
時よ 時よ


https://acoyo.exblog.jp/282801/
映画「子供たちをよろしく」を紹介しているブログ。いい文章です。



【おまけ】


 すっかり禿頭のおじいさんになったピーター・ガブリエルが歌う「In the Neighborhood」。