「軽水炉が安全であることが証明された」という池田信夫


今回の福島原発事故については、様々な人が様々なことを言っているが、そのなかでも池田信夫の発言には唖然とした。これはあまりに傲慢な解釈ではないか。

原発事故というブラック・スワン 池田信夫 2011年03月19日


上記のブログで池田信夫福島原発の事故を次のように結論づけている。

「今回の事故は、1000年に1度の最悪の条件でもレベル7の事故は起こらないことを証明したわけです。誤解を恐れずにいえば、国と東電の発言が正しく、軽水炉が安全であることが証明されたといっていい。」


この解釈はふたつの点で間違っている。

まず、今回の地震を「1000年に1度」「世界史上の歴代5位」として、彼は歴史上まれに見る地震であるかのように解釈しているが、マグニチュード9.0の地震規模は観測をはじめた1900年以降で5番目ということにすぎない。つまり、「この100年間だけでも5回も起きている」のであり、人間の歴史という尺度で見たら幾度となくくり返されてきたものである。さらに、災害を考える上では、地震の揺れや津波の大きさといった個別の現象のほうが重要であり、マグニチュードという地震自体の規模を引き合いに出すのはあまり意味がない。たとえ地震の規模がマグニチュード8程度のものでも、それが直下型ならば今回のような「最悪の条件」をもたらす可能性がある。そしてその規模の地震は、日本では20年くらいのサイクルで定期的に発生している

また、福島の事故は現在進行形でおきているものであり、状況は悪化し続けている。このまま原子炉と使用済み核燃料プールの冷却ができずに核燃料のメルトダウンが進行すれば、レベル7の事故にいたる可能性はある。そのシナリオはけっして「隕石に当たって死ぬ程度」の確率というようなものではない。それにもかかわらず、どうして19日の時点で「レベル7の事故は起こらないことを証明した」などといえるのだろう。予言者にでもなったつもりだろうか。池田信夫は熱心な原発支持者のようだが、自説に執着するあまり、合理的な判断ができなくなっているように見える。人々の健康と生活と経済活動に甚大な被害をもたらしている今回の福島の事故で、あえて原発を前向きに評価する材料をあげるとした、それは事故対応のノウハウが蓄積されたということだけである。

この先、幸いにして福島の事故が最悪の事態を回避できたとしても、それは高い放射能の中で生命の危険にさらされながら懸命に冷却システムの復旧作業にあたっている作業員・エンジニア・消防隊員・自衛隊員の活躍のたまものであって、福島原発自体の安全性を意味するものではない。つまり、彼らの「英雄的な活躍」がなければ最悪の事態を回避できないような原発は、そもそも「安全とはいえない」と評価するべきである。それとも池田は、復旧作業に当たっている人々を危険にさらすのも「想定の範囲内」と考えているのだろうか。

ともかく、原発を支持していようと反対していようと、いまは彼らの「英雄的な活躍」に期待するしかない状況である。今後、原発を続けるのかどうかは、人々が冷静に判断し、広く世論の声を集めて決めるべきことである。少なくとも現在のような地震原発事故で社会が騒然としているときにパニックになって決めるようなことではない。いまは原発の是非はひとまず置いておいて、福島原発で懸命に復旧作業にあたっている人々の無事と作業の成功を願おう。


*追記 3/24

池田信夫の発言があまりにひどいので少し書き足す。彼は様々な場で「原発は安全」「福島原発は大丈夫」「事故は大したことはない」という趣旨の発言をくり返しており、「池田信夫福島原発」で検索するとネット上にある彼の「安心発言」が大量にヒットする。しかし、そうした楽観的な予測や評価には、いずれも根拠がまったく示されていないという点で共通している。たとえば次の文章では、YouTube原発を題材にしたアニメーションを取り上げ、アニメの文脈を借りながら「大したことはない」「恐れる必要はない」とくり返している。

おなかがいたくなった原発くん 2011年03月17日
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51689181.html
YouTube原発くんアニメーション
http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM&feature=player_embedded


YouTubeのアニメーションでは、福島第一原発は「原発くん」という擬人化されたキャラクターとして描かれ、原子炉内の核燃料は「ウンチ」、高温の核燃料が気化して発生した放射性物質は「オナラ」にたとえられている。チェルノブイリの場合、原子炉の爆発で「ウンチ」が大量にまき散らされたのに対して、福島の「原発くん」は「オナラ」が出ているだけと解説し、「時間とともに原発くんのおなかが痛いのはきっとなおるよ」と締めくくっている。なぜ「きっとなおる」のかはまったく理由が述べられていないので、たんに希望的観測をアニメで表現しているにすぎないが、いちおう福島の「原発くん」が「ウンチ」を出してしまう最悪のケースについてもふれているので、池田よりは合理的な判断力があるようだ。池田はこのアニメを引き合いに出しながら、次のように言っている。

オナラだけなら大したことはない。ちょっとくさいが数日でにおいは消える。

スリーマイルではオナラだけですんだ。福島でも、最悪の事態になってもウンチがまき散らされる事故は考えられない。

ウンチが直接出るわけではないので、それほど恐れる必要はない。

100km以上離れた首都圏では、非常に精度のいい計測器でオナラの分子をいくつか検知することはあるだろうが、人体への影響は考えられない。


原発を擬人化して愛嬌のあるキャラクターに描くのは中立性を欠いているし、四つの原子炉建屋で同時進行している状況を絵にするなら四人の「原発くん」を登場させるべきだし、放射性物質を「ウンチ」と「オナラ」にたとえるセンスもどうかと思うが、ただそれはアニメーション自体の欠陥なのでひとまず置いておこう。(このアニメ、原発の問題を矮小化する電力会社のチラシやパンフレットの手法とそっくりである。)

ここでの問題はそのアニメを紹介しながら池田が主張する楽観論にまるで根拠がないことだ。池田は「ちょっとくさいが数日でにおいは消える」という。しかし、それはスリーマイル島事故のように短期間のうちに冷却が復旧した場合にかぎられる。スリーマイル島事故のケースでは、大気中へ放出された放射性物質はわずかで、地域住民の健康にも環境にも深刻な被害はなかったが、それでも原発付近の放射線レベルが通常に戻るまでに十数年かかった。福島では、事故から十日以上経過した現在も冷却装置は回復しておらず、気化した放射性物質を大気中へ放出しつづけている。しかも、三つの原子炉でスリーマイル島事故と同じ状況が進行しており、さらに、各原子炉に隣接している四つの使用済み核燃料プールからも冷却水が失われ、放射性物質を放出している。福島はスリーマイル島事故よりもはるかに厳しい状況だ。その中で連日つなわたりの作業が続けられており、とうとう今日は三人の作業員が被曝で病院へ搬送された。なぜ、池田はこの状況を「大したことはない。ちょっとくさいが数日でにおいは消える」などといえるのだろう。そもそも放射性物質をウンチやオナラにたとえること自体、放射線健康被害を軽視するもので、比喩として不適切である。そのアニメーションを「おもしろくてわかりやすい」と無邪気に同調し、原発事故の被害をズレた比喩で語るのは、正確な状況把握を妨げるものだ。放射線被曝が「ちょっとくさい」だけですむのなら、誰も苦労していない。

池田は「スリーマイルではオナラだけですんだ。福島でも、最悪の事態になってもウンチがまき散らされる事故は考えられない」という。しかし、スリーマイル島事故では、事故の発生したその日のうちに原子炉の冷却をおこない、ほぼ一週間で事態を収束させることができた。そのため、核燃料の溶融も運良く原子炉内でとどまったというだけである。それでも燃料棒の約半分が溶融しており、福島第一原発炉心溶融が進行した場合、スリーマイルのように原子炉圧力容器内にとどまるという保証はどこにもない。さらに福島では、三つの原子炉でそれが同時進行しており、事故発生からすでに十日以上たったいまも冷却機能は復旧できず、収束の見通しはまったくたっていない。今後、炉心溶融によって原子炉圧力容器から核燃料の流出はあり得るのか、原子炉を設計した技術者ですら今後の予測はつかないと言っているのに、池田はなにを根拠に「オナラだけ」「ウンチがまき散らされる事故は考えられない」と言い切るのだろう。「考えられない」ではなく「考えたくない」というのならわかるが。
*福島第一原発事故、スリーマイル超えレベル6相当に 朝日新聞3/25

また、現在のように気化した放射性物質が大気中に放出される状態が長期化すれば、たとえチェルノブイリのような大規模な爆発を起こさず、核燃料の原子炉からの流出も食い止められたとしても、深刻な放射能汚染をもたらすことになる。原発事故は核燃料の外部流出さえ食い止めれば大丈夫というものではなく、「オナラだけなら大したことはない」というわけにはいかない。原発事故で重要なのは、爆発や火災といった個々の現象ではなく、どの程度の放射能汚染がもたらされるのかということである。福島事故のケースでは、すでにチェルノブイリの20分の1から50分の1程度のヨウ素131が放出されていると見られており、局地的にはチェルノブイリ事故と同レベルの土壌汚染もおきている。放射能汚染は長期におよぶため、事故発生時の犠牲者よりも、十年後にがんの発生率が上昇したり、長期にわたって農業や沿岸漁業ができなくなるといった被害のほうがはるかに大きなものになる。その規模と期間を予測するのは、爆発や火災といった短期間の災害と異なり、きわめて困難である。

「100km以上離れた首都圏では、非常に精度のいい計測器でオナラの分子をいくつか検知することはあるだろうが、人体への影響は考えられない」という発言については、すでに23日、葛飾区の浄水場から乳児に影響の出るレベルの放射性ヨウ素が検出されており、彼の「予言」が誤りであることが判明している。もちろん、この基準値は安全マージンをきわめて大きく取った数値なので、ただち人体に害をおよぼすようなものではない。しかし、福島原発からの放射性物質の流出が止まらないかぎり、今後、周辺地域の放射能汚染が長期化・深刻化していくことは誰が見ても明らかである。

池田は経済学者であり、原子炉の専門家ではない。上の文章でも「大したことはない」「考えられない」「恐れる必要はない」と断定調の文体で楽観論をくり返しているが、その根拠はなにも示されていない。多くの人が不安になっている中で、根拠のない楽観論をネットに垂れ流すのはあまりにも無責任だ。それは「もうすぐ東京にも強い放射能の雨が降ってくるぞ」というデマを流す行為となんらかわらない。楽観論か悲観論かは関係ない。現在のような状況下では、根拠のない予測は混乱を生むだけである。発言するなら根拠を示せ。根拠がないなら語るな。

池田のもとには「東電の手先」という批判が大量に送られてくるようで、彼はそれらを「悪質なデマ」と批判している。もちろん根拠もなく手先と決めつけるのは問題があるが、原発事故についての間違った解釈と根拠のない楽観論によって事態を矮小化しようとする池田が原子力産業のロビイストではないかと疑われるのはあたりまえである。原発事故について特別な情報も専門知識も持たない池田にとって、いまもっともやるべきことは口をつぐむことである。

彼がネットのあちらこちらに書き散らかした文章を読んでいると、その盲目的な原発への信頼はまるで宗教のようだ。彼の根拠のない楽観論はさながら予言である。しかし、発電所は神殿ではない。原発はたんに技術の集合体であり、人々の暮らしを支えるための道具にすぎない。原発はきわめて高度な技術の集合体だが、同時にきわめて大きなリスクを伴う技術でもある。だからこそ、すぐとなりにある南相馬の火力発電所が震災で火事になってもほとんど報道されなかったが、福島第一原発の事故については、世界中のマスメディアがその状況を日々報道しつづけているのである。それとも池田は、オウム真理教の若者たちが「マスコミはいっさい信用しません」と言っていたように、「かわいい原発くん」を批判する声にはいっさい耳を貸す必要はないと考えているんだろうか。


原子力安全委員会の班目委員長は、「想定を超えたもの」「安全規制見直しがなされなければならない」と発言しており、原発教の池田信夫よりはまだ謙虚である。
毎日新聞3/23 「原子力安全規制見直しを」班目委員長
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110323k0000m040159000c.html