メールとブログとツイッターのコミュニケーションの非対称性


当ブログは一日平均でだいたい200回のページビュー、100人弱の訪問者というペースでほそぼそと運営しています。ところが、四月のはじめに突如として十倍の2000PV、1500人の訪問者ということがありました。いったい何がおきたんだろうと調べてみたところ、三月末に書いた原子力損害賠償法についての文章がツイッターからトラックバックされ、それがくり返しリツイートされたことが原因のようでした。ネットのコミュニケーションはすっかりツイッターが中心になっているようです。
→ 3/31 原子力損害賠償法


こんなブログでもなんらかの反応があるのは好ましいわけですが、ただ一方で、この日の訪問者の平均滞在時間は一分弱。いつもの十分の一程度にとどまっています。原子力損害賠償法についての文章はけっこうややこしいことを書いたつもりで、さっき読み返してみたところ、自分の文章なのに五分以上かかってしまいました。なのでツイッターユーザーのみなさんが本当にあれ読んでくれてるのかという疑問も感じます。ツイッターの特徴は即時性と拡散性にあるわけですが、逆にそのせいで、ああいう長い文章はてきとうに読み飛ばして、勢いだけでリツイートしてるんじゃないかという気もするわけです。当方としては、いくらPVがふえたところで一銭にもならないので、たとえ少数でもいいからじっくり読んでくれる人がいて、多少でも拙文を考える材料にしてもらえたらいいなと思ってます。


SNSとブログが普及したせいで、ネット上でのコミュニケーションも変化しているように見えます。メールの使用頻度が減って、ツイッターやニコ動のような同時性・共有性を重視する傾向にあるようです。そのため、知らない人からの当方へのメールも年々減ってきました。ただ、個人的には、メールの一対一の対等なコミュニケーションというしくみが好きで、SNSツイッターのような、場に取り込まれるコミュニケーションが苦手です。とくにホリエモン勝間和代のような名の知れた人がやってるブログの場合、そこにコメントを投稿する人たちとの関係性は、「ご主人様とそのしもべたち」もしくは「教祖様とその信者たち」という非対称の関係になります。本人はあくまで「お言葉」を一方的に発するだけで、コメント欄でディスカッションするわけでもなく、「しもべたち」や「信者たち」がファンレターのようなコメントをよせてつどっているだけという状況が生まれます。その様子は媒体がWebページになっただけで、「送りっぱなし」のマスコミュニケーションとかわりません。個人的には絶対にあんな所にコメントなんかするもんかと思うわけですが、みなさんそんなことないんでしょうかね。


そういうネットの「マスコミュニケーション」は、語り手を身近に感じられ、偶像を肥大化しやすいという点で、テレビよりもラジオに似ているように思います。テレビの場合、人に見せたい部分よりも、人から見られたくない部分に注目が集まるという性質があるので、たとえばこのところ毎日登場する原子力安全・保安院の審議官も、話の内容より、かつらをもう少しどうにかしたほうがいいんじゃないかとか、顔がイタチに似てるなあといった、どうでもいいことのほうが印象に残ったりするわけです。また、テレビに演出がつきものなのは見る側もよく知っているため、どうしてもシニカルなまなざしを向けることから、偶像のメッキもはがれやすくなります。それに対してネットの場合、たとえそれが一日に数十万回のPVのある「マスメディア」で、実質的に一方通行の「マスコミュニケーション」だったとしても、送り手と受け手との間にパーソナルな絆があるかのように錯覚しやすいのではないかと思います。そういう意味で人々を扇動しやすい性質を持っているのではないか、さらにそれがツイッターのような即時性と拡散性をそなえることで、使い方によってはかなり危険な状況をもたらすのではないかと考えています。ツイッターでさかんに拡散しているネットのデマもそういう傾向のひとつの例に見えます。


というわけでなんだかへんな方向へ話がころがってしまいましたが、当方、場を共有するようなコミュニケーションよりも一対一の直接的なコミュニケーションのほうが好みです。もし気が向いたらメールでもください。ページビューの回数よりも、直接、感想を聞かせていただいたほうがモチベーションも高まります。


あてさき
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