電力会社の広告の禁止


福島原発がこういう事態になって、ネットでは電力会社の原発推進広告を批判する発言をあちらこちらで見かけるようになった。さらには、草野仁星野仙一勝間和代岡江久美子北村晴男薬丸裕英といった原発推進のテレビCMに出演していた人々やそうした広告をさかんに流していた放送局についても批判されている。一方、電力会社は、事故がおきてこの一ヶ月間、原発推進広告を「自粛」しているようで、いままで大量に発信されてきた「原子力はクリーンエネルギー」のメッセージは、3月11日を境にして、テレビからもラジオからもまったく流れなくなった。


ずいぶんと姑息である。本気で「地球のため」だと思ってるなら、いまこそじゃんじゃん原発広告をながせ。草野仁星野仙一勝間和代もいまこそ原発のすばらしさを大いに語れ。放送局も新聞社も原発事故の報道なんか一切しないでいいから原発の必要性だけを連日特集しろ。ほとぼりがさめたころに再開なんて姑息なこと考えるな。原発推進するなら腹すえてやれ。さあやれるもんならやってみろ。いままでなにを言われようと痛くもかゆくもなかったはずだ、いまさら人目を気にしてる場合じゃない。それとも「地球のため」も「日本の将来のため」もみんな口先だけか。


私は、原発推進の広告は「自粛」ですむ問題ではないと考えている。今回の事故とは関係なく、電気・ガスといった地域独占企業の広告は基本的にすべて「禁止」したほうがいい。電気とガスは、安定供給という公共性の高さから政府の保護下に置かれ、地域独占体制が認められてきた。競合他社もなく、常に一定の利益を得られる状態にあるので、独占体制の企業には、顧客獲得のための広告は必要ないはずである。そうした独占企業が広告を発信する場合、政府広報がそうであるように、広告のメッセージは政治的なプロパガンダになりやすい。「原子力はクリーンエネルギー」「地球のため私たちのために原子力発電」「プルサーマルで明るい未来」とさんざん放送してきた原発推進の意見広告はその典型といえる。ついひと月前までは連日そうしたコマーシャルが放送されていたので、それを知らない人は誰もいないだろう。


独占企業によるメッセージ広告に対して、消費者にはそれに対抗手段がまったくない。原子力がクリーンエネルギーだというメッセージを欺瞞だと思っても、電気をつかう以上は地域の電力会社から供給を受けざるを得ない。他の電力会社に切り替えることもできないし、ボイコットによって抗議行動をとることもできない。コマーシャルを見ながら、核廃棄物と放射能汚染はどうするんだよとぼやくのが精一杯のところである。独占企業なのをいいことに、一方的に広告でメッセージを発信するのはフェアなやり方とはいえない。そのやり方は、独裁国家がさかんに政治的スローガンをかかげて大量のポスターを街中にべたべた貼るのとまったく変わらない。


十年ほど前、イタリアのアパレル会社ベネトンアメリカで死刑廃止キャンペーンを展開して物議をかもしたことがある。ベネトンはそれまでも人種差別やエイズ患者差別を批判する広告を製作していたが、そうした人権問題啓発の一環として、その年、死刑廃止のキャンペーンをアメリカで展開した。それに対して、死刑制度の是非のような賛否の別れる問題について、ベネトンのような多国籍企業が一方的に死刑反対のメッセージを発信するのは、いったいどういうことだという批判の声があがった。その声は保守派を中心に大きな動きとなり、やがて、全米各地でのベネトン製品のボイコットにまで発展していった。しかし、ベネトンがいくら大きな多国籍企業であっても、あくまでたくさんあるファッションブランドのひとつにすぎない。死刑廃止のメッセージ広告に納得がいかなければ、消費者はいくらでも商品ボイコットによって対抗することができる。また、今後ベネトンの服をいっさい買わなくても生活に困ることもないだろう。それに対して、電力会社が連日大量に発信してきた原発推進の広告の場合、消費者には対抗手段も選択の余地もない。政府の保護下で地域独占体制が維持され、政府の「国策」と連動して原発推進のメッセージを発信してきた電力会社の世論操作の問題は、ずっと根の深い問題である。


電力会社の広告内容はおもに次のようなものである。

  • 「こまめにスイッチを切ろう」等の節電の啓発。(これは事故後も「節電のお願い」として継続中。)
  • 「タコ足配線はやめよう」等の事故防止の啓発。
  • オール電化」等の家庭内エネルギーの電化推進。
  • 原子力はクリーンエネルギー」等の原発推進の啓発。
  • 原油価格高騰による電気料金の値上げ」等の告知。


競合他社が存在しないので、「どこそこよりも安い」「品質が安定している」といったアピールはなく、広告の内容はいずれも「人々の啓発」ばかりである。顧客が逃げることはありえないのでずいぶんと優雅である。節電や事故防止は常識的な豆知識であり、原発推進は世論操作であり、オール電化は煮炊きも暖房も電気にしようという呼びかけである。どれもわざわざ広告する必要はない。電気代値上げの告知にしても料金伝票への記載で十分である。こうした広告費に毎年、東京電力だけで約300億円、電力各社の合計で約900億円が使われている。なぜこれほど大量の広告がマスメディアを通じて発信されているのかといえば、言うまでもなく電力会社によるマスメディアへの影響力を強めるためである。AC・公共広告機構の理事にも電力会社の出身者がずらっと名を連ねている。今回の原発事故報道でも、マスコミ各社による東京電力への批判はにぶい。スポンサーに頭があがらないのは世の常である。


数年前、混ぜ物ハムで問題になった北海道の食肉加工業者ミートホープが記者会見を開いた際、社長に向けて一斉に罵声が浴びせられた。「社長!あんたねえこんな記者会見ですまされるとでも思ってんのかよ!」「おい!逃げんなよこら!」「あんた社会的責任を感じないのかよ!待てよこら!」。私はその記者会見をテレビで見ながら、どこかの総会屋グループでも乱入したのかと思ったが、あれはすべて社会部の記者たちからの罵声だった。事態の深刻さからいえば、あのミートホープ事件よりも今回の原発事件のほうがはるかに社会的責任は重いはずである。従業員百人の食肉加工業者による不祥事には、居丈高に罵声を浴びせても、巨大な電力会社による放射能汚染になると萎縮してしまうようなら、報道機関としての役割をはたしていない。先日の朝日新聞のWebサイトには、清水社長は元慶応ボーイでネクタイの趣味がいいなんていうどうでもいい記事まであった。


いま、テレビ・新聞等のマスメディアがまずやるべきことは、大量の原発推進の広告を発信してきたことについて、その社会的責任をどうとらえているのかを釈明することのはずである。現在の原発報道が東京電力に気をつかった内容になっているかどうかは、報道機関の内部にいる者にしかわからない。しかし、マスコミ各社が電力会社による原発推進広告を長年にわたって発信しつづけてきたことはまちがいのない事実であり、その行為は原発推進の片棒をかつぐものだと言える。したがって、今回の原発事故についても、マスメディアはすでに中立の立場にはいないことを意味している。マスコミ各社と電力会社との間で、巨額の広告費のやりとりがあり、両者が僚友の間柄であることも周知の事実である。電力会社と手を組んで原発推進のメッセージを発信してきたことの社会的責任をどう自覚しているのか、そのことを釈明しない限り、いくら福島原発の報道をしても信頼性はまったくない。それは報道内容をどうこう言う以前の問題である。


アメリカでは、電力会社とガス会社については、営利目的の広告が禁止されている。1980年代に電力会社とガス会社から、経済活動の自由を妨げているとして訴訟があったが、連邦裁判所はエネルギー節約の観点から営利広告の禁止には合理性があると判断し、その訴えを退けた。その後、アメリカでは、エネルギーの自由化によって電力会社もガス会社も地域独占体制ではなくなったが、電気・ガスの営利目的の広告の禁止は、現在も維持されている。ましてや日本のように、地域独占体制が維持されている電力会社やガス会社が広告を行う必要性などまったくない。電力会社が大量の原発推進広告で世論を誘導しようとするのは、プロパガンダ以外のなにものでもない。それこそ大きなお世話であり、私たちひとりひとりが判断すべき事柄である。


政府は今回の福島原発の事故を受けて、長年つづけてきた原発推進の政策を改めるという方針を打ち出した。毎年70億円の予算が投入されてきた資源エネルギー庁原発推進PRも来年度からは打ち切りになるだろう。その一方で、独占企業である電力会社やガス会社の広告自体を規制・禁止しようという話はなかなか出てこない。ほとぼりがさめたら、また電力会社は「原子力はクリーンエネルギー」というコマーシャルを再開するつもりだろうか。しかし、原発を今後どうするのかというきわめて重要な課題は、私たちひとりひとりが自律的に判断し、将来の方向を定めていくべき事柄である。それを半官半民の独占企業が大量の広告によって世論誘導するのでは、まるでジョージ・オーウェルの世界であり、民主主義のあるべき姿からはかけ離れている。地域独占体制にあるエネルギー産業の広告活動には、なんら社会的にプラスの作用はない。それはマスメディアの報道をゆがめ、世論を誘導し、公共料金に上乗せされるだけである。独占体制にある電気・ガスの広告の禁止・規制については、ぜひ法制化をすすめてほしい。電力各社による年間900億円もの広告費が削減されれば、電気代だって年に数千円は安くなるはずである。



3月22日の福島民報に掲載された東京電力の「お詫び広告」。(画像は下記のブログから。)
http://blogs.yahoo.co.jp/cxgsw928/37810292.html


こういう謝罪広告も不要である。現在、東京電力は、福島の避難民や農家・漁業関係者への損害賠償の仮払いすら、「原子力賠償法」を盾に支払いを渋っている。その状況で数億円も使って「お詫び」の全面広告もないだろう。向いている方向が完全にずれている。東京電力がいまやるべきなのは、世論コントロールのような広告による「お詫び」ではなく、被害者と向かい合って行動によって補償と救済をすすめていくことのはずである。
なお、いくつかの福島の新聞社・ラジオ局は、現在、この謝罪広告の掲載・放送を拒否している。