1000年後の世界


3年生の選択授業で、科学技術に対する人々の意識の変化について話をする。


20世紀半ば、科学技術は人間に利益のみをもたらすと考えられていた。そういう中で科学技術がもたらすバラ色の未来像が描かれようになる。超高層ビルの谷間をぬうように流線型の空飛ぶクルマが飛び回る未来都市では、科学技術の発達によって食料も資源も飛躍的に増えたことで地球上に飢えた人はいなくなり、医療の進歩であらゆる病気は過去のものとなり、最新型の「マイカー」に乗れば気軽に月旅行にも火星旅行にも行けるようになる。それは「鉄腕アトム」の21世紀であり、「ドラえもん」の22世紀である。十万馬力の科学の子は原子力エネルギーで空を飛び、星の彼方で地球の平和を守った。当時は原子力も夢のエネルギーであり、まもなく登場したアトムの妹は「ウランちゃん」だった。科学技術がもたらすユートピアとしての未来世界は、日本だけのものではない。宇宙船エンタープライズ号に乗ったカーク船長は銀河の彼方で宇宙人美女とのロマンスをくりひろげ、宇宙家族ジェットソンのお父さんは空飛ぶクルマで月や火星の職場へせっせと通勤した。まだ、ほとんどの人たちは、科学技術のマイナス面に気づいていなかった。三重県四日市で大気汚染によるぜんそく患者が発生しはじめた1950年代、四日市の化学コンビナートに隣接していた小学校では、「工場からもくもくあがる白い煙は私たちの希望です、日本の明るい未来です」という校歌がつくられた。その小学校では、高度経済成長の最盛期、もくもくあがる白い煙によって児童の40%がぜんそくを患うことになる。1962年、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が出版された。そこに書かれているのは、DDTをはじめとした強い農薬を大量に散布すると環境汚染をもたらし、ひいては食物連鎖によって人間にも健康被害をもたらすという現在の我々にはすっかり常識となった内容だったが、バラ色の未来を思い描いていた当時の人々には受け入れがたいものだった。カーソンはやがて学会からも産業界からもはげしい批判にさらされることになった。


20世紀後半に入って、ようやく人々は科学技術のマイナス面に気づきはじめる。品種改良や農業技術の革新で食糧が増産されても、いっこうに南北問題は解決せず、飢える人は後を絶たなかった。あたりまえだ。飢えてる人たちにトウモロコシをまわすよりも牛に食わせて太らせたほうが儲かる経済システムで世界がまわっているかぎり、いくら大規模農場で食料が大量生産されても貧富の差を拡大させるだけだからだ。飢餓や貧困は本質的に社会制度に起因する問題なので、科学技術が発達すれば自動的に解決してくれるわけではない。またこのころ、公害の問題が世界各地で深刻化し、人類に利益のみをもたらすはずだった化学物質が人体に悪影響を与えることがあるということを人々はようやく理解しはじめた。さらに米ソの冷戦が激化する中で、広島型原爆の数百倍・数千倍という威力を持つ巨大な核兵器が次々に開発され、核実験の巨大なキノコ雲の映像は、いったん全面核戦争が勃発したら、人類が絶滅する可能性があることを見せつけた。夢のエネルギーのはずだった原子力は、チェルノブイリ原発の事故によって放射能汚染が人間の住めない空間を作り出すことを現実のものとしてつきつけた。リニューアルされたアトムは、いつの間にか核融合電池で動くようになっていたが、もう以前ほどの人気はなかった。そういう中で、20世紀後半、科学技術がもたらすカタストロフィーとしての未来像が次々と描かれるようになる。「猿の惑星」では、地球の支配者はチンパンジーとゴリラとオランウータンに取って代わられ、そこでの人間は知性を失い、類人猿たちの奴隷にされていた。「マッドマックス」では、全面核戦争によって世界は瓦礫と化し、わずかに生き残った人々は食料を奪い合い、荒くれ者たちが村々を襲っては略奪をくりかえしていた。「ブレードランナー」では、酸性雨が降り続く陰気な都市を舞台に、バイオ産業の暴走によって生み出された人造人間たちが人間社会への反乱をはじめていた。「風の谷のナウシカ」では、環境汚染と人工知能の暴走で科学文明は崩壊し、人々は遺伝子操作で生み出された奇怪な生物に脅かされながら中世のような暮らしをしていた。科学技術は全肯定からいきなり全否定されたかのようだった。プラス面とマイナス面の両方を考慮しながら、リアリティのある未来像を思い描くのは難しい。

すべてを疑うか、すべてを信ずるかは、ふたつとも都合のいい解決法である、どちらも我々は反省しないですむからである。――アンリ・ポアンカレ「科学と仮説」


授業のはじめに1000年後の世界がどうなっていると思うか生徒たちに聞いてみた。その頃には宇宙船に乗って銀河の彼方へ自由に旅行できるようになっていると思うかと聞いたところ、そう思うと答えたのはSFアニメ大好きの男子ひとりだけ。女の子たちは、口をそろえてまったくリアリティを感じないという。「ドラえもん」の未来のような、「ママ、いまから火星のレストランで食事してから帰るわね」なんていう世界はおとぎ話にしか思えないらしい。きっとJAXAはがっかりだろう。日本でSFドラマがほとんどつくられないのもこのへんに理由があるんじゃないかと思う。でも、1000年もあれば、技術的なブレイクスルーはなんでも可能なんじゃないのと聞くと、宇宙の彼方で人間が暮らしている未来世界よりは、現代文明が崩壊して原始人みたいな暮らしをしているか、人類が絶滅している未来のほうがずっとリアリティがあると彼女たちはいう。「環境問題にしても、核エネルギーにしても、バイオテクノロジーにしても、たんに技術開発をすすめることより、うまくコントロールしながら利用していくことのほうがずっと難しいと思う」とのこと。それは「人類は核兵器を作り出す程度には賢い、しかしそれを使わずにいられるほど賢くはない」と語った物理学者の言葉を連想させる。そういう中でひとりの女の子はこう言った。「1000年前っていうと紫式部清少納言がいたころですよね、1000年後の未来で人間がどんな暮らしをしているのかなんて想像もつかないけど、そこでもたぶん、「春はあけぼの」なんていってる人もいるんじゃないかって思うんです」。春はあけぼのだと思える未来というのは悪くなさそうだ。そうあってほしいと思う。そんなことを福島原発から300キロ離れた春の日の教室で思う。

 人間が滅亡したあと、この地球はゴキブリの時代になる――最近よく聞くこのたぐいの話は、いかにも生活力のたくましいゴキブリから連想された神話です。
 人間が開発し、人間が暖房している台所に適応したゴキブリは、その条件が取り除かれればたちまちその生活基盤が失われるはずです。まず、寒い地方からの大幅な撤退を余儀なくされるでしょう。そして、かつてのように山林原野でのほそぼそとした静かな生活に戻っていくことでしょう。
 そんなことよりも、この人類が、次の時代を他の動物にゆだねるような、そんなりっぱな絶滅のしかたをするかどうかのほうがずっと問題でしょう。――梅谷献二「虫の博物誌」