葬式


連休中に祖母が死んだ。94歳だった。18年前に脳内出血で倒れて以来、祖母は「要介護の高齢者」ということになり、車イスに乗るのが精一杯という状態だった。当初は自力で車イスにも乗れたが、年々衰弱していって寝たきりとなり、ここ2年くらいは、私が誰かもわからなくなっていた。連休最後の日の夜中、介護施設から電話があり、息をしていないということで、バイクを飛ばしてかけつけ、母とともにまだあたたかい祖母の体にふれながら死に立ち会った。その日の昼に会いに行ったとき、祖母はただ眠っていて、最後もそのまま眠るように死んでいったという。身近なものの死に立ち会うことは、否が応でも自分がいまいるこの世界について考えさせられる。いま・ここはいったいどういう世界なんだろうと。きっとこどもが生まれる瞬間に立ち会った人も、そういう思いにさせられるんだろう。祖母は今回の地震のことも、原発事故のことももうわからなくなっていたが、ともかく百年近い歳月の間、この世界にいて、去って行った。この世界はいったいどんなところだったんだろうかね、ばあちゃん。


祖母は7人兄弟の末娘だった。祖母の兄弟たちはとっくに亡くなっていて、親戚づきあいもなかったので、葬式は母とふたりだけでおこなった。葬式といっても、焼き場で遺体を花といっしょに焼いてもらっておしまい。4世代の東京者で母も私も兄弟がいないから、まあ、そんなものだろう。「○○家の墓」というのもない。骨壺もひとまず母のところへ置くことにした。母は柄にもなく、仏壇どうしよう墓もどうしよう骨壺は部屋の東に置けばいいのか西に置けばいいのかとやけに形式めいたことを言い出す。信仰もないくせにそんなのどうでもいいじゃねえか、部屋に骨壺を置いとけば毎日ばあちゃんと話ができていいぞと私は応じる。昼飯を食べながら険悪なムードになる。骨壺を東に置くか西に置くかなんてことよりも、ときどき花でも捧げてばあちゃんに話しかけるほうが大事なんじゃねえのかい。いいや、ばあちゃんの介護は私が全部やってきたんだから、おまえがえらそうに意見を言う資格なんかない。じゃあ五重塔でも金閣寺でも建てて気のすむようにしたらいい。後からやってきた葬儀社の人にたしなめられる。まあまあこういうことは気持ちの問題ですからと。親子して大人げないかぎりである。ばあちゃん、申し訳ない。