中間試験


中間試験の問題を作成する。まだ4回しか授業をやっていないクラスがあるのに、試験もないだろうと思うのだが、担当者の「現代社会も試験やりましょう」「試験やります」「試験やることになってます」という不思議な三段活用によって、いつの間にか試験をやることになっていた。カフカの世界では現実よりも既存のシステムが優先されるのである。学校から原発まで硬直化した官僚組織では、どこもそうして回っているんだろう。


試験問題は、300字から400字くらいの論述問題が2問と説明文の正誤を問う選択問題をつくっている。できれば論述問題を増やしたいところだが、採点が手に負えなくなるので2問くらいが精一杯である。問題作成の基本方針は、用語の丸暗記を問うような問題を作らないこと。たとえば核燃料サイクルのしくみと問題点を理解していることは、今後の原発のあり方を考える上で手がかりになる。でも、「プルサーマル方式」という言葉だけを暗記したところで、原発問題についてなんら視野を広げてくれることもないし、考えを深めてくれることもない。定期試験のたびにその種の用語の暗記を若者たちに要求するのは、彼らの時間と労力をただ浪費させることになるし、ましてやそんな用語の丸暗記で成績をつけるなんて無意味な行為に思える。なので「〜とはなにか、漢字6文字で答えろ」式の問題は大嫌い。この手の問題を見るたびに出題者の志の低さを感じて気が滅入ってくる。試験問題はクイズじゃねえんだよ。教師によっては教科書に太字で書いてある用語はとにかく暗記させたがる人がいるが、現代社会のテキストには「ディファクトスタンダード」とか「デジタルディバイト」のようなパソコン業界の業界用語のようなものまで太字で表記されているのである。こんなのを若者たちに暗記させていったいどうしようっていうんだろう。それをおぼえさせることで社会への視野が広がるとでも本気で思ってるんだろうか。教科書も学校も入試問題もなにか根本的に間違っているように思う。


社会科の教科書は基本的にどれも制度と法律と用語ばかりがずらずらと列記されている。その一方で、生活体験の延長線上にある社会のしくみや身近な社会問題についてはほとんどふれていない。その傾向は授業でいっそう拍車かかかる。たいていの教師は生活の延長としての社会の有りようを提示することができず、授業は法律と制度の理解と暗記に終始する。その俯瞰による社会像は、自分とは切り離されたどこか遠い世界のものでしかない。また、そうでない教師は「教科書に沿って教えていない」「受験指導に力を入れていない」と見なされしばしば批判の対象となる。しかし、ウェイトは生活の延長線上にある社会にこそ置かれるべきで、法律と制度の解説は一年間の授業のまとめとして最後にやればいいことではないのか。法律や制度の名前ばかりが太字で列記されている教科書は、まるで公務員養成講座のテキストのようである。


システムによって「やることになってます」という定期試験だが、やるからにはせめて社会への視野を広げるきっかけになるような問題をつくりたいものだと思う。今回の論述問題は次の2題。論述問題は正解のある問題ではないので、試験前に出題内容をネットに書いてしまってもいっこうにかまわないのである。生徒たちにも試験一週間前に問題を公開して、あらかじめ考えておくように言っている。生徒は誰もほめてくれないが、「ディファクトスタンダード」と答えさせるような問題よりはずっといいと思っている。

問題1.気候変動枠組み条約をめぐる先進国と途上国の対立


 1992年の地球サミットでは、気候変動枠組み条約の内容をめぐって、先進国と途上国とがはげしく対立しました。先進国と途上国の言い分は次のようなものです。

先進国「地球温暖化問題には世界全体で取りくんでいかなければ効果が上がらない。先進国・途上国を問わず、すべての国にCO2削減の義務づけが必要」
途上国「地球温暖化は先進国が過去100年にわたって排出してきたCO2が原因。そのため、先進国にCO2削減を義務づけるのはわかるが、途上国はこれから経済発展しようとしているところだから、途上国へのCO2規制はしばらく待ってほしい」

 この対立は現在もつづいており、京都議定書にかわる2012年からの新たな議定書づくりでも、再び同じ対立がおきています。日本政府は、発展途上国にもCO2削減を義務づけるべきだという立場をとっており、先進国のみにCO2削減を義務づけた京都議定書がこのまま延長されるとしたら、日本は参加しないと主張しています。

京都議定書延長「反対の国ない」 COP17事務局長

朝日新聞 2011年4月9日3時2分
 地球温暖化対策を話し合う国連気候変動枠組み条約の締約国会議(COP17)に向けたバンコクでの作業部会で8日、フィゲレス条約事務局長が京都議定書の2013年以降の延長について「反対の国はない」と述べ、議定書延長が加盟各国の大勢となっているとの見方を示した。
 日本は議定書延長を阻む考えはない一方で、「延長されても参加しない」との立場を明確にしており、年末のCOP17に向けて議定書延長の国際合意ができた場合、議定書から離脱する可能性が浮上する。
 日本政府代表団は同日、議定書で温室効果ガスの削減義務を負う国のなかで延長に無条件に賛成している国は少なく、「延長が簡単に決まるとは思えない」との見方を示した。 京都議定書は、08〜12年を「第1約束期間」として、先進国に削減義務を課している。COP17で13年以降の「第2約束期間」を設けるかどうかを決めなければ、温暖化対策の法的な枠組みに空白が生まれる。
 昨年末にメキシコで開かれたCOP16では、京都議定書に入っていない米国や、中国やインドなど新興国も自主的な削減策を示すことで合意したが、これを京都議定書に代わる新たな法的枠組みにするまでには時間がかかることから、途上国は空白を生じさせないために同議定書の延長を求めている。
 これに対し日本は「京都議定書が延長されれば、先進国のみが削減義務を負う体制が固定化する」(日本政府代表団)として反対の立場を表明してきた。
 今回の作業部会では、議定書延長問題をCOP17で決着させるための交渉日程を詰めた。フィゲレス事務局長は「年末に政治的な解決策を得ることを各国は望んでいる」として、第2約束期間が設けられる公算が大きいという見方を示した。作業部会は8日、閉幕した。

 気候変動枠組み条約について、CO2削減を先進国のみに割り当てるべきなのか、それとも先進国・途上国を問わずすべての国に割り当てるべきなのか、あなたの考えを述べなさい。


問題2.原子力発電の事故の確率


 原発を推進してきた人たちは、しばしば事故の確率の小ささを主張してきました。その主張を要約すると次のようなものです。

 たしかに原子力発電所といっても人間が建設し、運営するものだから、理論上は事故の確率はある。しかし、その確率は、数万分の一、数億分の一というごく小さなものであり、それは大きな隕石が落下して、大惨事をもたらす確率に等しい。日々の生活の中で、巨大隕石が自分の頭の上に落ちてくるのを心配しながら暮らしている人はいないだろう。それなのに、原発というとなにかと事故を不安視するのは矛盾した姿勢ではないだろうか。原子力発電所が大事故をおこす確率と比較したら、交通事故にあう確率のほうがはるかに高い。したがって、原子力発電所の事故を心配するよりも、道を歩いていてクルマにはねられないよう気をつけることのほうがはるかに現実的な問題のはずである。

 この主張についてあなたはどう考えますか。あなたの考えを述べなさい。


ちなみに2問目は、池田信夫のコラムを読みながら思いついたものである。彼の原発についての文章を読むたびに、本当にこういうことをいう人が世の中には存在するんだと驚かされる。授業で生徒たちにこの主張をどう思うか尋ねたところ、9割の生徒が批判するか、あきれていた。もちろん論述問題では、生徒がどういう立場から論じてもそれで採点に差をつけるようなことはしないので、この主張を支持する生徒についても、すじみちだてて自分の考えが書いてあれば、大いに評価するつもりである。