気になる言葉

AKB48
アキバ系のおにいさんたち限定のアイドルグループからいつの間にか全国区になった。私のような芸能情報に疎いものには、飛躍のきっかけがなんだったのかさっぱりわからないが、いまや小学生の女の子たちにもあこがれの存在らしい(*はい出典)。それよりも「AKB48」と聞くたびに、私はロシア製のカラシニコフ銃を連想してぎょっとする。命中率は悪いけど頑丈で壊れにくいと評判になり、中東やアフガンやアフリカの紛争地に大量に出まわるようになったあれである。現在も世界中の紛争地で使用されており、ひげもじゃのタリバン兵やひげもじゃのダルフール民兵カラシニコフ銃を抱えている姿はニュース映像の中にしばしば登場する。アイドルグループとしてはやけに物騒な名前で猛烈にマイナスイメージだと思うんだけど、みなさん気にならないんでしょうか。

Wikipedhia「AK-47」
http://ja.wikipedia.org/wiki/AK-47


「癖のある人」
十年くらい前、年配の教師と茶飲み話をしている際にこの言葉をはじめて聞いた。なくて七癖、どんな人もひとつやふたつ奇妙な習慣を持っている。なので、癖のある人というのは、個性的な人、人とは違う見かたのできる人、侮っているとときどき物事の本質を突いくる人、油断できない人、味のある人、くせ者、くらいの意味で受け止めていた。「人と同じことをするな」と言われて育った私にとって、ちょっと変わった人というのは基本的にプラスに評価されるべき存在である。しかし、どうも話がかみあわない。相手はあきらかに「癖のある人」をつきあいにくい人、人格的に多少の難を抱えている人という意味で用いている。慣れないと運転しにくいクルマを「癖のあるクルマ」といったりするが、人間に対して同様の意味で用いているのを聞いたのはこれが最初だった。たぶん私も裏でそう言われているんだろう。その後、数回、同様の意味で「癖のある人」「あの人は癖がある」といっている人に出会った。でも、なくて七癖なら、誰にでも癖のひとつやふたつあるんじゃないの。


「わけわかんねー」
やはり十年くらい前に高校生が言っているのをはじめて聞いた。彼らは「わっけわかんねええぇ!」とやたらと力強く発する。たぶんテレビの芸人が言ってるのをマネしたんだろう。私はその言葉を「自分はバカだからさっぱり理解できない」と嘆いているのだと解釈し、そんなに自分の愚かさを力いっぱい表明しなくてもいいんだよとなぐさめたが、さっぱり話がかみあわない。どうやら自分の理解力の欠如を嘆いているのではなく、自分に理解できないことを言う相手を責めているらしい。彼らにとって自分が理解できないのは相手が悪いのである。しかし、批判の言葉として「わけわかんねー」というのは、あまりにも控えめな表現である。「それは君が愚かだからわからないんだよ」と返されたら、それで話が終わってしまうじゃない。もし、くだらねえこと言ってんじゃねえよと思ったのなら、はっきりそう言ったほうがいいと思うんだけど、きっと現代の若者たちは謙虚なんだろう。


「うちの奥さん」
昔、私の母は、客人から「ねえ、奥さん」といわれると、「うちにはそんな上等なのはいませんよ」と返して客人といっしょに笑っていた。自分を偉そうに見せるのを嫌うのが東京の下町の人間の美意識らしい。そういう親に育てられたせいか、自分の身内に敬語を使う人に出くわすと、その家意識の強さにぞっとする。この間はとうとう「うちのわんちゃんが去年亡くなって」と自分ちの犬にまで敬語を使っている人に出会った。そんなときには「私はあなたの家の使用人になったおぼえはありません」と返したくなる。身分制に由来する尊敬語や謙譲語はたんなる丁寧表現とは異なり、立場の上下関係を表している。なんでも敬語で話せばいいってもんじゃないはずである。太宰治の「斜陽」では、娘から見た「お母さま」について過剰な敬語と大げさな形容によって語られることで、没落していく旧家のいびつな親子関係と肥大化した家意識の不気味さが表現されている。

お母さまは左手のお指を軽くテーブルの縁にかけて、上体をかがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、燕のように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端から、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。

私は小松政夫の「おかーたま」を連想してしまうのだが、「斜陽」はこの粘着質で気持ち悪い文体が最初から最後までずっと続くのである。最後まで読み通すのはかなりの忍耐を必要とする。もし、「うちの奥さんがね」という人が「我が家はお前のような下賤の輩(やから)と違って奥座敷のある由緒正しい旧家であり、我が配偶者は奥の間の主として奥方様と呼ばれるのがふさわしい」という肥大化した家意識を抱いていて、「斜陽」と同じようにその不気味さを表現するための仕掛けとしてあえて自覚的に「うちの奥さん」と尊称を用いているんだとしたら、それはそれで大したものだけれど、でも、そんなややこしいセミドキュメンタリー演劇に私は出演するつもりはありませんので、正式なオファーもないまま勝手に巻き込まないでちょうだい。

語源由来辞典「奥様」
http://gogen-allguide.com/o/okusama.html


「やんちゃ」
ラジオの「パカパカ行進曲」を聞いているとよく耳にする。「やんちゃする」と動詞として使うのがポイント。「私、若い頃やんちゃしてまして」と出演者が切り出したら、幼稚園児の頃に腕白だったという意味ではなく、高校時代に暴走族に入って暴れていたことを意味している。一方、「つっぱり」のほうは、カウンターカルチャーの衰退のせいか、近頃ではほとんど聞かなくなった。また、同じワルでも、渋谷のチーマーや岡崎京子のマンガみたいなクラブカルチャーの住人たちは、AMラジオのおともだちではない。もっぱらAMラジオでは、暴走族仲間とおそろいのつなぎを作ろうとして背中にでっかく「愛羅武勇」と刺繍しようとしたのに字がわからなくて「変羅武勇」になってしまったとか、「俺は誰にも背中を見せない」と豪語する走り屋の友人が峠道で一瞬で消え去ったと思ったらバイクごと崖から真っ逆さまとか、まあそんな感じの若気の至り話が「やんちゃしてまして」の後に語られる。もっとも、任侠団体の一員だったとか恐喝で2年間服役してたとかになるともはや「やんちゃして」の婉曲表現を超えているように思うが、紳助にとっては「社会的通念上許容できる範囲」なのかもしれない。ところで、もともと「やんちゃ」は小さなこどもにつける形容としてのみ使われていたはずで、このずらした用法がいつごろはじまったのか気になるところである。十年くらい前に「やんちゃくれ」という関西局制作の連ドラがあったけど、関西方言ではもともと広く使われていたんだろうか。


「がっつり」
ガテン系のニュアンスを感じる擬態語である。私はAVのタイトルではじめてこの表現を目にした。「がっつりバコバコ、バックでイキまくり」とかなんとかそんなタイトルだったような気がする。まもなくAV系のWebサイトでは「がっつり」をやたらと見かけるようになった。その後しばらくして、コンビニ弁当のラベルに「がっつり」と書いてあるのを見かけた。「がっつり450g 満足のスタミナ弁当」とかなんとかそんなラベルだったような気がする。私はAVの業界用語だと思っていたので、弁当に「がっつり」と書いてあることに一瞬たじろいだが、それが「スタミナ弁当」であることに妙に納得した記憶がある。現在、すた丼の店のメニューにも「がっつり」と書いてあり、それはまるで遙か以前からすた丼の枕詞であったかのように馴染んでいる。Webの俗語辞典によるともとは北海道地方の方言だそうである。ちなみに2011年現在、グーグルで「がっつり」を検索するとトップに表示されるのは、このエロサイトである。

画像掲示板 がっつり
http://www.ga-turi.com/


「情弱」
最近、ネットで見かけるようになった表現。「インターネットを駆使して情報を集められない人、情報弱者」の意味。要するにコンピューターオタクである彼ら以外のすべての人間のことである。対になる言葉は「情強」。こちらはコンピューターオタクである彼ら自身のことである。どちらもパソコン機器やゲーム機器についての掲示板でよく目にする。もちろん、この場合の「情報」はインターネット経由で入手した二次・三次情報のことで、ふだんからご近所と積極的にコミュニケーションをとっていて地域の事情に詳しいとか、自らフィールドワークをして得た一次情報をたくさんもっているという意味ではない。ハードウェアー関連の掲示板は、なぜか昔からネット上でもっともガラの悪い場所のひとつで、常時攻撃的な発言が飛び交っている。コンピューターオタクというと学生時代に不登校気味だった内気な青年を連想するが、そうしたイメージに反して掲示板の住人たちは常時喧嘩上等の臨戦態勢で臨んでおり、気に入らないハードウェアーについて誰かが書き込むと一斉に人格攻撃を浴びせかけ、初歩的な質問に対しては見下して袋だたきにする。ビデオカードがRIVAやVoodooだったインターネット黎明期からずっとそんな調子なので、もはや一種の文化なのかもしれない。偏狭なディレッタントたちのたまり場なので、「聞くは一時の恥」という社会通念はもちろん通用しない。うかつなことを書くと「過去ログも読めないのかよカス」とレスがついて、過去ログを読んでみれば、誹謗中傷と半可通の知ったかぶりといったノイズばかりで有用な情報はなにもなかったという羽目に陥るだろう。それにしても不思議なのは、彼らがコンピューターオタクである自らを「情強」として誇ろうとするメンタリティである。いい歳したおとながおもちゃ大好きっていうのは「恥ずかしながら」の性癖であって、「いよっ情強!」なんて大向こうから声かけられたらどうしましょ恥ずかしくてもう道も歩けないわってなもんじゃないんですかい。そういう意味で、「スイーツ(笑)」と同じように「情強(笑)」と冷笑を含みつつ用いるのがふさわしいように思う。


ここ数年、情強(笑)の人々に人気があるのが巨大で真っ黒でやけにデコラティブなパソコンである。その偉容は「うちのご本尊様」といったたたずまいで、念の入ったことに、内部のゴテゴテも見えるようサイドには透明のアクリル板まではめ込まれている。我が家では、AMラジオにパソコンからのノイズがけっこう入るので、PCケースのシールドには気をつかってるんだけど、情強(笑)の人々に「電磁波のシールド」という概念は存在しないんだろうか。もし友人宅へ遊びに行って、このダース・ベイダーの甲冑みたいなパソコンがLEDのイルミネーションを点滅させながら6つのファンをうなりをあげて回していたら、今後のつきあいかたを少し見直したほうがいいんじゃないかと思う。