期末試験 外国人お断りのアパート


またまた試験である。今年度は試験と授業の準備に追われる日々が続いている。週フタコマしかない授業で学期ごとに中間・期末の試験をやっていると、ほとんど試験の合間に授業をやっているような感覚である。週フタコマの授業なら、定期試験は年に2回か3回で十分である。現代社会のような科目は、マルバツ式の試験よりも小論文形式のレポートのほうを重視するべきだと思うんだけど、残念ながらカフカの迷宮ではそうなっていない。今回の論述問題は、外国人の権利保障をめぐる2題。


1問目のBはとりあえずもっともらしいことを書いてみたものの、なんだか猛烈に嫌な奴という感じがする。口ぶりは慇懃だが、言ってる内容は因業大家の開き直りである。ところが、生徒の反応は、クラスの5分の1くらいがBを支持するという。驚きである。全体の傾向は、約半数がAを支持、約5分の1がBを支持、残りがわからない・まだ決まらないというところだった。

2問目については、原告支持が約6割、被告支持が約2割、残りがわからない・まだ決まらないというところ。

・外国人お断りのアパート


 日本では、「外国人お断り」の営業方針をしているアパートやホテルが多く、しばしば社会問題になっています。また、「外国人お断り」の営業をしていた北海道小樽市の温泉をめぐっては、その営業方針が差別にあたるかどうか裁判で争われたこともあります。この背景として、日本には、国籍・人種・民族による排除を規制する法律がなく、経営者の判断にゆだねられているという現状があります。とりわけ外国人お断りのアパートは、日本ではなかば慣習化しているほど多く、留学生や外国人労働者が部屋探しに困っているという話をしばしば耳にします。はたして、外国人お断りの営業方針をとっているアパートは、差別にあたるのでしょうか。それとも社会的に許容できる範囲の制限なのでしょうか。次のAとBを参考にして、あなたの考えをすじみちだてて述べなさい。


A 差別的である。
 逆の立場を想像してほしい。あなたがロンドンやパリやニューヨークの大学へ留学したとする。部屋を探そうと地元の不動産屋をあたってみたところ、「日本人お断り」「東洋人は我々と生活習慣が違うから部屋を貸したくない」とことごとく断られてしまった。きっとあなたは自分が見下されたような気分になるはずだ。また、そういう排他的な社会のあり方に対して、「なんて西洋人は傲慢なんだろう」と憤りを感じるのではないだろうか。日本社会が外国人留学生や出稼ぎ労働者に対して長年行ってきたことは、それと同じである。こうした外国人お断りのアパートが社会の中で許容され、なかば慣習化している状況は、多くの日本人が差別の問題にあまりにも無神経であることのあらわれといえるのではないだろうか。
 欧米でも、1960年代までは、人種・民族・国籍を理由に特定の人々を排除するアパートやホテル、レストランは数多く存在した。1960年代には、ロンドンの町中でも、「アラブ人、ムスリム、入店お断り」と張り紙をしたレストランをしばしば見かけたという。しかし、1960年代半ばにアメリカで公民権運動が高まるにつれて、こうした状況は世界各国で大きく変化した。国連でも人種差別撤廃条約が採択され、人種・民族・国籍を理由に排除する営業は各国で取り締まりの対象となり、姿を消していった。現在、外国人お断りのアパートが野放しになっているのは、先進国の中で日本だけである。
 たしかに生活習慣が大きく違うことは、住民同士のトラブルの元になりやすい。しかし、それは住民同士のコミュニケーションやルールづくりによって解決すべきものであり、外国人の排除を正当化する理由にはならない。個人個人を見ようとせず、「外国人」というだけではじめから排除してしまおうとする発想は、それ自体、きわめて差別的である。


B 社会的に許容できる範囲の営業形態であり、差別とまではいえない。
 ほとんどの大家さんは、外国人を見下しているわけでもないし、嫌っているわけでもない。ただ、生活習慣が異なる外国人が入居することで、住民同士のトラブルがおきることや部屋を汚されることを心配して、入居を制限しているだけである。そこには営業上の合理性があり、差別とはいえないはずである。
 また、現在の日本では、外国人の入居を受け入れているアパートは少ないため、外国人を受け入れたアパートでは、外国人ばかりが固まって暮らしているという状況になりやすい。さらに、出かせぎで来日した外国人の場合、低賃金労働で生活が不安定なため、ひとつの部屋に数人で暮らしているケースも多い。アパートがこのような状況になってしまうと、日本人のほうが入居を敬遠するようになってしまう。アパート経営は、人助けではなく、あくまでも利益を目的にした経済活動のひとつである。そのため、安定した家賃収入を得られる日本人入居者を優先する営業方針は、ある程度しかたないのではないだろうか。
 たしかに住民同士のコミュニケーションによって、文化や言葉の壁を越えられればそれにこしたことはない。しかし、それは口で言うほど容易なことではない。言葉が通じずにトラブルがこじれてしまうこともあるだろうし、生活習慣や考え方のちがいから、互いが納得できるルールがなかなか作れないことも多い。こうした状況を避けるため、あらかじめ外国人の入居を規制するやり方には、合理性があるといえるのではないだろうか。

「外国人だから」と宿泊拒む 倉敷のビジネスホテル
朝日新聞 2007年05月17日06時53分
 岡山県倉敷市内のビジネスホテルで4月、広島市在住の中国人男性(45)が、外国人であることを理由に宿泊を拒否されていたことがわかった。旅館業法では、伝染病患者であることが明らかな場合や賭博などの違法行為をする恐れがある場合など以外は宿泊拒否は認められておらず、同市は男性に「不愉快な思いをさせた」と謝罪した。同市は市内の宿泊施設に外国人を理由に宿泊拒否をしないよう周知徹底を図る、としている。
 中国人男性は4月3日夜、最初に訪れた倉敷市内の別のホテルが満室だったため、ホテルの従業員が電話でこのビジネスホテルに空室があることを確認してくれた。しかし、従業員を通じて「外国人は泊めないと言われた」と伝えられた。
 男性がビジネスホテルを訪れて真意をただしたところ、フロントで支配人の男性(70)に「外国人は泊めないのが方針」と言われ、宿泊を拒否されたという。
 男性から話を聞いた知人が数日後、同市の外郭団体の倉敷観光コンベンションビューローに相談し、同市が事実関係を確認。市国際平和交流推進室が4月中旬、「国際観光都市として売り出している中、不愉快な思いをさせて申し訳ない」と電話で男性に謝罪した。
 同ビューローも加盟施設あてに5月7日付で指導の徹底を求める注意喚起の文書を送付した。
 日本で仕事をしている男性は日本語に不自由はなく、「日本人が同じことをされたらどう思うか。非常に心外だし改善してほしい」と憤っている。一方、宿泊を拒んだビジネスホテルの支配人は「外国人客は言葉などの面で対応しきれずお断りしている」と話し、今後も外国人の宿泊を断るという。


・東京都外国籍職員訴訟


 1990年代半ば、東京都の保健所に勤務する在日韓国人二世の女性が、国籍を理由に都の管理職試験が受けられないのは、法の下の平等職業選択の自由を侵害しているとして、東京都を提訴するという裁判がありました。この行政訴訟は長期化し、2005年に最高裁判決が出るまで十年以上にわたって争われました。事件の経緯、原告・被告の主張、各裁判所の判決は次のようなものです。


【事件の経緯】
 在日韓国人2世の女性、鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さんは、1988年から保健師として東京都の保健所に勤務してきた。6年間保健所で働いてきた経験を生かし、管理職として保健プランを立てたいと思うようになり、1994年に都の管理職試験を受験しようとする。
 ところが、鄭さんは都から日本国籍のないものには管理職の受験資格がないとして門前払いを受ける。東京都の見解は、管理職のすべてと一般事務職・一般技術職については、公権力の行使や公の意思の形成にかかわる立場なので、日本国籍をもたない職員がつくのは認められないというものだった。つまり、都の管理職職員は東京都の行政のかじ取りをする立場なので、国籍による制限を設けるのは独立国としての基本原理だという。日本政府や東京都は、この考え方を「当然の法理」と呼んでいる。
 しかし、鄭香均さんはいままで保健師として働いてきた経験上、国籍が業務の障害になったことはない。東京都が主張する「当然の法理」に納得できない鄭さんは、東京都の方針を在日外国人に対する平等権と職業選択の自由を侵害するものだして、1994年に東京都を提訴、行政裁判で管理職試験への国籍条項の撤廃が争われることになった。


【原告・鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さんの主張】
保健師として都の保健所に勤務してきたが、国籍が業務の障害になったことはない。
・保健所の役割は地域の健康促進や感染症の予防対策をおこなうことであり、保健師の管理職に国籍条項を 設ける合理性はない。
・都が主張する「当然の法理」は法律の規定ではなく、具体的にどのような職種かも定められていない。
    ↓
 正当な理由のないまま国籍による制限を設定し、外国籍職員から受験機会をうばうことは、憲法に規定された平等権と職業選択の自由への侵害である。
    ↓
 よって、東京都の管理職試験における国籍制限は差別であり、撤廃すべきである。


【被告・東京都の主張】
・都の管理職は、政治的な決定をし、公権力を行使する立場にある。
・日本が独立国である以上、公権力を行使し、社会の舵取りをするのは、国籍保有者に限られる。
    ↓
 このことは憲法に記すまでもなく、独立国としての基本原理である =「当然の法理」
    ↓
 よって、国籍による都の管理職試験への制限は合理的なもので、差別ではない。


【判決】
第1審 東京地裁 都の主張を支持、鄭香均さんの訴えを棄却する。
   ・国籍による制限は、行政による裁量権の範囲内。
     → 憲法違反とまではいえない。
第2審 東京高裁 逆転判決。原告・鄭香均さんの訴えが認められ、都に損害賠償の支払いが命じられる。
   ・保健所の管理職を「公権力を行使する立場」と見なすのは拡大解釈。
     → 憲法の保障した法の下の平等(平等権)と職業選択の自由への侵害に当たる。
最高裁判決(2005年大法廷) 被告・都側の主張を支持。鄭香均さんの訴えを棄却する。(13対2)
   ・国籍による制限は、行政による裁量権の範囲内。
     → 憲法違反とまではいえない。


 原則論から判断すると、国家としての独立性を保つためには、公権力を行使し、社会の舵取りをするのは、日本国籍保有者に限られるとする都側の主張には合理性があるように見えます。しかしその一方で、日本で生まれ育った鄭さんのような人まで「外国人」とひとくくりにして排除してしまうのは、現実にそぐわないようにも見えます。また、内閣総理大臣や外交官のような国の利益を代表する立場に国籍の制限を設定するのはわかりますが、保健所の管理職を「公権力を行使し、社会の舵取りをする立場」と見なすのは、拡大解釈のようにも見えます。あなたがこの行政訴訟の判事だとしたら、どのように判断しますか。あなたの考えをすじみちだてて述べなさい。

外国籍職員の昇任試験拒否、大法廷で憲法判断へ 最高裁
朝日新聞 2004.9.1
 日本国籍がない職員に対し、東京都が管理職昇任試験の受験を拒んだことの当否が争われた訴訟をめぐり、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は1日、今月28日に開く予定だった弁論を取り消し、15人の裁判官全員で審理するよう、事案を大法廷に回付した。小法廷がいったん決めた弁論の開催を撤回し、改めて審理を大法廷に回すのは異例。公務員の採用や管理職登用で国籍条項が全国的な議論になるなか、最高裁全体として見解を示し、憲法判断をする必要があると考えたとみられる。
 上告された事件は、三つある小法廷のいずれかで審理され、多くはその場で決着がつく。しかし、(1)判例を変更する場合や新しい憲法判断、違憲判断をする場合(2)小法廷の裁判官の意見が分かれ、決着がつかない場合(3)重要な事案のため、大法廷で審理をして判例を残した方がふさわしいと判断した場合――には大法廷に回付される。  この訴訟をめぐり、第三小法廷は今年6月、双方の主張を聴く口頭弁論を今月28日に開くと決め、関係者に通知した。下級審の判断を維持する場合には弁論を開く必要がないため、「法の下の平等職業選択の自由を定めた憲法に違反する」との判断を示した二審・東京高裁判決を見直すとみられていた。
 しかし、今回、大法廷に回付されたことで、審理は最初からやり直されることになる。
 訴訟の原告は、東京都の保健師在日韓国人2世の鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さん。
 鄭さんは88年に採用され、94年に課長級以上の昇進資格を得るための管理職選考試験に申し込んだ。しかし、日本国籍が必要として拒まれたため、受験資格の確認と200万円の損害賠償を求めて提訴した。
 96年の東京地裁判決は「憲法は外国人が国の統治にかかわる公務員に就任することを保障しておらず、制限は適法」として請求を退けた。しかし、二審・東京高裁は97年、「外国籍の職員が管理職に昇任する道を一律に閉ざすもので違憲」との判断を示して一審を覆した。
 鄭さんの代理人を務める金敬得(キム・キョンドク)弁護士は「二審判決を根本から覆すような、時代の流れに逆行する判決は出ないと期待している」と話した。


外国籍職員訴訟、昇任試験拒否は合憲 都側が逆転勝訴
朝日新聞 2005.1.26
 日本国籍がないことを理由に東京都が管理職試験の受験を拒否したことが憲法の保障した法の下の平等に違反するかどうかが争われた裁判の上告審で、最高裁大法廷(裁判長・町田顕長官)は26日、「重要な決定権を持つ管理職への外国人の就任は日本の法体系の下で想定されておらず、憲法に反しない」との初判断を示した。その上で、都に40万円の支払いを命じた二審判決を破棄し、原告の請求を退ける逆転判決を言い渡した。原告側の敗訴が確定した。
 原告は、都の保健師在日韓国人2世の女性、鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さん(54)。都に対して、慰謝料の支払いなどを求めていた。外国籍の人の地方公務員への採用や管理職登用の動きは全国で広がりを見せる一方、採用職種や昇進を制限する自治体もなお多数を占めている。判決はこうした制限を結果的に追認し、自治体の裁量を幅広く認めるものとなった。
 多数意見は13人の裁判官による。これに対し、2人の裁判官がそれぞれ、「外国籍の職員から管理職への受験機会を一律に奪うのは違憲だ」と反対意見を表明した。
 外国籍の人が地方自治体の公務員になれるかどうかについて法律には規定がなく、公務就任の範囲をどこまで認めるかが争点となった。
 多数意見はまず、「職員として採用した外国人を国籍を理由として勤務条件で差別をしてはならないが、合理的な理由があれば日本人と異なる扱いをしても憲法には違反しない」と述べた。
 今回の受験拒否のケースが合理的かどうかを判断するうえで多数意見は、地方公務員の中でも住民の権利義務を決めたり、重要な政策に関する決定をしたりするような仕事をする幹部職員を「公権力行使等地方公務員」と分類。これについて「国民主権の原理から、外国人の就任は想定されていない」という初めての判断を示した。そのうえで、こうした幹部職員になるために必要な経験を積ませることを目的とした管理職の任用制度を自治体が採用している場合、外国籍公務員を登用しないようにしたとしても合理的な区別であり、憲法が保障した法の下の平等には違反しない、と結論づけた。
 これに対し、滝井繁男裁判官は「都の職員に日本国籍を要件とする職があるとしても、一律に外国人を排除するのは相当でなく違憲だ」と反対意見を表明した。
 泉徳治裁判官も「在日韓国・朝鮮人特別永住者地方自治の担い手で、自己実現の機会を求めたいという意思は十分に尊重されるべきだ。権利制限にはより厳格であるべきなのに、今回の受験拒否は合理的な範囲を超えたもので法の下の平等に反する」と述べた。 (01/26 22:05)