裸の王様 Crusader Kings


Paradox Interactiveというスウェーデンデベロッパーが十年くらい前につくったPCゲームに「Crusader Kings」というのがある。タイトルの通り十字軍時代の封建領主になって国盗り合戦をするのだが、けっして英雄王になって架空の歴史で大活躍するわけではない。むしろ、歴史のうねりの中であがきつづける小領主の悲喜劇をプレーヤーは引きつった笑いとともに疑似体験することになる。なぜか年末年始になるとこれをやりたくなるのだが、これを「大好き」と公言するのは少々はばかられるというか、乗り越えねばならない心理的な壁がたくさんあるような気がするゲームである。


たとえば中央ヨーロッパのある小領主になったとする。まわりの領主たちとは、地縁・血縁・王位継承権・バチカンの意向でがんじがらめにしばられていて、うかつに身動きが取らない状態になっている。ヒストリカル・リサーチが念入りに行われているようで、複雑に絡み合ったパラメーターの中に小領主たちの泥沼のような関係性が表現されている。とりあえず領地の開発をしようとするが、先立つ資金もない。なにもできないまま十年が過ぎ、我が伯爵夫人は、男子をなさないまま30なかばを過ぎてしまった。後継者の男子がいないまま領主が死んでしまうとゲームが終わってしまうので、こういうときにこの世界でやることはひとつである。我が伯爵は「石女の年増は女ではない」と石原慎太郎のような差別発言をぶつぶつとつぶやきながら、妻に一服盛るよう取り巻きたちに指示する。こうして麗しき伯爵夫人は30なかばの若さにしてぽっくりと謎の死を遂げ、ポジティブシンキングで未来志向の伯爵はさっそく親子ほども歳の離れた後妻をジョノバから迎える。ところが、才気あふれる16歳の後妻は、女性を産む機械としか思っていない伯爵のことがお気に召さない様子で、まもなく軍将校である凛々しい若者との密会を重ねるようになる。嫉妬と怒りで眠れない夜を過ごしている伯爵には、三つの選択肢しかない。すなわち、若い妻の浮気を許して宮廷の笑いものになるか、怒りにまかせてふたりとも追放するか、さもなくば一服盛るかである。どうしたものかと伯爵が決めかねているうちに宮廷に一大事が発生。あろうことか若き後妻は不倫相手の将校と手に手を取って駆け落ちしてしまう。伯爵さまぁ〜おたっしゃでぇ〜ご機嫌よう〜。こうして若い後妻の去った後には、彼女が半年前に産んだ誰の子かわからない赤ん坊だけが残されたのであった。な、なに、これ。ままならぬ領主の暮らしはまるでモンティ・パイソンの寸劇のよう。不倫と陰謀は宮廷と芸能界の文化なのである。ええい、草の根分けてふたりを探し出し、磔にせよ!


駆け落ち事件は近隣諸国にも知れわたり、醜態をさらした我らが伯爵、「後悔」の文字は彼の辞書にはないので、すぐに未来志向のポジティブシンキングを発揮して、さらに若い後妻を今度は南仏から迎えることにする。女房と畳は新しいほうが良いのである。安産体型の16歳の后を前にして、好色な伯爵は奮い立つものがあったのか、先妻が残した誰の子かわからない長男の養育にも力を入れはじめる。領主の献身的な養育の甲斐あって、長男は才気あふれる凛々しい若者へ成長する。伯爵にぜんぜん似ていないなどと陰口をささやく不忠者は断固として首をはねることにする。大臣だろうと財務官だろうと容赦しないのである。伯爵の強気の姿勢が幸運を引きよせたのか、南仏妻がたてつづけに二男・三男と出産する。これで我が家系もひとまず安泰、めでたき哉。政略結婚のコマとして男子は多ければ多いほど良いのである。きっと皇室男系主義者たちの本音も伯爵と同様に一夫一婦制の廃止のはずである。良いことは重なるもので、隣国の縁者が領地請求権をたずさえて我が宮廷に保護を求めてくる。これで隣国にちょっかいを出す口実もできた。ところが良いことはつづかないもので、こどもたちが次々に心の病にかかってしまう。手塩にかけて育てた長男はストレス障害、次男はどもりが悪化して失語症、三男は神経症、おまけに長女と次女は小動物をいじめて遊ぶのが大好きという陰湿な性格をあらわにしはじめる。きっと複雑な家庭環境がそうさせるのだろう。ままならぬものよ。こういう場合、伯爵の選択肢はふたつ。こどもたちの回復に期待するか、彼らをいなかったことにして南仏から取り寄せた産む機械に期待するかのどちらかである。ひとまず決断を先送りにして回復を期待する。幸いにして次男は言葉を取り戻したが、長男は鬱病も併発しついに発狂してしまう。すべて家庭環境が悪いのである。いまや凛々しい若者だった頃の面影もなく、長男は幽閉された北の塔で日夜聖霊たちと会話するようになる。「ばばばばっバビロンの到来は近い!ばっバビロンが近づいてくる!ばばばっバビロンはまだか!うけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ」。狂気の長男の叫び声が城内に響きわたる。これもぜんぶ家庭環境が悪いのである。60をすぎて気の弱くなった伯爵は事ここに至っても決断を先送りにする。光り輝くように凛々しかったころの長男の姿が頭から離れないのである。そうしてなにもかも先送りにしたまま、伯爵に突然の死が場違いな道化のように訪れ、この一幕ものの芝居に幕をひく。彼もまた誰かに一服盛られたのかも知れない。享年67歳。ベスト・アンド・ブライテストだった長男と馬の遠乗りをした想い出とともに伯爵ここに眠る。我が国の継承権は長男の総取り方式なので、必然的にバビロンを夢見る狂人がすべての領地を相続する。このゲーム、プレイヤーの分身である領主だけは残念ながら一服盛ることができない。万事休すである。我が国はこれから20年にわたって悪夢の世界に生きる領主とともに暗黒の時代を迎えるのであった。さっそくめざとい隣国がこの期に領地をかすめ取ろうと国境地帯にちょっかいを出してきた。ああこれが人生か、ならばもう一度!


トラジコメディー(悲喜劇)というジャンルがある。映画の「アメリカン・ビューティー」とか「アバウト・シュミット」なんかがその典型で、ウディ・アレンの映画やイッセー尾形のひとり芝居にもそういうのが多い。そこでは悲劇的な出来事が刻々と進行しているのに、その悲惨な状況で登場人物たちが見せるへたれ具合や暴走ぶりがあまりに滑稽なために観客は戸惑いつつもつい失笑してしまう。その居心地の悪い可笑しさは、登場人物たちが必死にあがけばあがくほど際立っていく。もちろんなかには笑うに笑えず頭を抱えてしまう純情な人もいるだろう。「アメリカン・ビューティー」を劇場で見た際、前の席にあろうことか小学生くらいのこどもを連れてきている中年夫婦が座っていたが、彼らの凍りついたように固まっている様子は、映画の内容以上にエンターテインメントだった。このゲームの演出もそれに近い。封建領主の国盗りゲームにもかかわらず、プレイヤーは英雄気分を味わえず、ままならぬ状況に引きつった笑いをくりかえすことになる。ただ、はじめから喜劇を志向してつくられているわけではない(と思う)。作り手は大まじめにヒストリカルリサーチをして、リアルな歴史再現性のために複雑なパラメーターを設定した結果、どうにもならない状況が生まれ、その上にシニカルな笑いが乗っかっているという構造である。ずいぶんかわったゲームである。講談調の前のめりなゲームをプレイしながら、押し寄せる敵をなぎ倒しつつ英雄気分を味わっているこどもたちやストレス発散しているおとなたちは容易に想像できるが、この悲喜劇のようなゲームを喜々としてプレイしている物好きな人たちがいったいどういう種類の人間なのか、私にはなかなか想像がつかない。ところが、驚いたことにこのゲームの続編が制作されているという。物好きな人たちも世界全体であわせればそれなりの人数になるということなんだろうか。日本人に十万本を売るのと世界全体で十万本を売るのとでは、ゲームのつくりかたもちがってくるということなんだろう。東京都の領主も大阪市の領主もぜひ一度プレイしてみることをすすめる。続編を告知するトレイラームービーもまたへなちょこ領主によるモンティ・バイソンふうのコメディである。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=lpAYY3BvviE