憲法9条の改正


もうひとつは憲法9条の改正についての出題。問題文のABの参考意見は、両論併記を公平だと考えているからではなく、複数の異なる考え方にふれることで、自分の考え方についても再検証してもらうためのものである。最近はマスメディアでもネット上でも、ディベートのような攻撃的な言論が目立つが、こうした問題は、相手を言い負かすことよりも、自分の考えを再検証して考えを深めることこそが重要だと思っている。ABの参考意見はそのためのたたき台である。そもそもディベートにしても、本来はくじ引きで立場を決め、互いの主張を論理的に検証するトレーニングとしてやるものであって、テレビの討論番組のような政治的信念をぶつけあう場ではない。こちらの9条問題のAとBはわりとうまく書けたように思う。生徒は誰もほめてくれないけど。

憲法9条と自衛隊
 憲法9条では、次のように平和主義を規定しています。

憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 1950年に警察予備隊が創設されて以来、日本では、憲法9条自衛隊の関係をめぐって、はげしい議論がたたかわされてきました。その是非が議論される中、自衛隊の規模と活動範囲は年々拡大し、近年では、国連PKOやアメリカ軍への協力のために、自衛隊が海外へ派遣される機会も増えてきました。それにともない、憲法9条の改正についても議論が活発になっています。新聞各紙の世論調査では、憲法9条の改正を支持する人は約3割、支持しない人は約6割という状況です。
 あなたは憲法9条自衛隊の関係について、どのようにあるべきだと考えますか。次のAとBの意見を参考にして、あなたの考えを述べなさい。


A  個人に「正当防衛」の権利があるように、独立国には「自衛権」が認められている。外国から軍事的な侵略を受けて、それを食い止める手段が実力の行使しかない場合、防衛のために戦うことは主権国家の権利といえる。それは憲法に記すまでもなく、近代社会の基本原理のひとつである。もしも、憲法9条が防衛のための実力行使もふくめて禁じているとしたら、日本は主権国家とはいえないのではないだろうか。
 たしかに、憲法がとなえる平和主義の理想は尊いものである。しかし、現実の国際社会には紛争が絶えない。冷戦の終わった現在でも、北朝鮮核武装や中国の軍事力強化など東アジア情勢は混沌としており、とくに中国の急激な軍事力拡大と強硬な外交姿勢は、アジア全体にとって脅威になりつつある。
 その一方で、国連は国際紛争を抑えるだけの権限も力もそなえていない。PKO活動にしても、停戦が実現している地域に入って、再び戦闘が勃発しないよう監視するためのものである。PKOは紛争地域を軍事的に制圧するのではなく、あくまで政治的圧力によって戦闘の再発をふせぐというものであり、それが現在の国連の力では精一杯という状況である。だからこそ、国連は、集団的自衛権までふくめて、各国に自衛権を認めているのである。こうした国際情勢の中で、憲法9条を防衛のための戦いや防衛力までも放棄していると解釈するのは、あまりにも非現実的であり、世界の現実から目をそむけている。また、防衛力というのはあくまで相対的なものであり、中国が急激な軍拡路線を歩んでいる中、自衛隊の規模や装備はよりいっそう充実させていく必要がある。
 自衛隊の前身である警察予備隊が設立された1950年以来、日本政府は、憲法9条自衛権を否定するものではないとして、自衛隊の正当性をとなえてきた。この日本政府の姿勢は、憲法がとなえる平和主義の理想と現実の国際情勢とのバランスをとってきたという意味で評価できる。また、自衛隊の海外での活動についても、国連PKOアメリカ軍への協力は、「国際社会への貢献」であり、けっして、憲法の理念に反するものではないはずである。
 憲法9条の改正については、いったん改正すると歯止めがきかなくなってしまうという不安もあるが、自衛権と防衛力の保持は主権国家の権利であり、憲法にはっきりと明記したほうが良い。現在のように、自衛隊憲法上あいまいな位置におかれたまま、世界の紛争地で活動させられるのでは、自衛隊員たちがかわいそうである。9条の改正にあたって、集団的自衛権までふくめて認めるのか、あるいは個別的自衛権に限定するのかは、多くの声をあつめ、世論の合意の上で決めればいいのではないだろうか。


B  歴史上、「侵略する」と言って戦争をはじめた国は存在しない。戦争の口実は常に「防衛のため」であり、「自国民の保護のため」である。ナチス・ドイツポーランド侵略をはじめたときも、日本が中国を侵略したときも、その口実は、「自国の防衛と自国民の保護のため」だった。したがって、「自衛のためなら軍事力を持ってもかまわないし、戦うのもやむを得ない」という考え方は、戦争を認めているのと同じであり、憲法の平和主義から大きく外れる考え方である。
 近代の歴史の中で、日本の侵略によってアジアの多くの地域が植民地支配され、中国や東南アジア各地では、日本軍による虐殺もおこなわれた。日中戦争と太平洋戦争によって、約500万人の日本人の命が失われたが、その一方で、1500万人以上のアジアの人々が日本軍によって殺害されている。こうした侵略と殺戮を再びくり返さないため、現在の日本国憲法には、戦争の放棄と戦力を保持しないことが盛りこまれたのである。日本の近代史をふまえて考えた場合、憲法9条は防衛の名のもとの戦争も防衛力の保持も認めていないと見るべきである。「自衛のための手段まで否定してしまうのは非現実的だ」と主張する人は多いが、むしろ、侵略戦争の歴史を持つ日本にとって、「自衛の名のもとの侵略」をくり返す危険性のほうが、より現実的な問題ではないだろうか。
 日本政府によると、自衛隊憲法9条2項で禁じられている「戦力」ではなく、「必要最小限度の実力」ということになっている。しかし、こんな詭弁(きべん)が通用するのは国内だけである。どこの国でも、自国の防衛のための武装集団のことを「軍隊」という。世界有数の装備を持つ自衛隊はどう見ても「軍隊」であり、実際に海外では「日本軍」と見なされている。現在の日本の防衛予算は、アメリカ・中国・ロシア・フランス・イギリスに次ぐ規模であり、自衛隊は予算と装備の面では、フランスやイギリスとならぶ世界有数の軍隊である。防衛力の増強は自分たちにとっては安心に思えるかも知れないが、周囲の国々にとっては驚異であり、結果的にさらなる緊張関係を国際社会にもたらすことになる。日本では、アジア情勢の危機というと、中国の軍拡や北朝鮮核武装をあげる人が多いが、アジア諸国にとっては、日本の自衛隊の規模拡大も同様にアジアの危険要素のひとつである。
 「世界から紛争がなくなったら日本も防衛力を放棄する」という考え方をしている限り、世界はなにも変えられない。また、憲法9条を「足かせ」と見なす発想には、なんら平和主義の理想はない。むしろ、日本から率先して、憲法の平和主義を実践し、平和主義の理想を世界に発信していくべきである。すでに現在、世界には軍隊をもたない国が27カ国存在する。ただちに自衛隊を解散するのは難しいとしても、自衛隊の規模を縮小するとともに役割を災害救助と人道支援に限定し、将来的に日本も軍事力を持たない国になるべきである。


こちらについては、試験前の授業で、論点を三つに分けて生徒の考えを聞いてみた。


1.憲法9条の規定と自衛隊の存在には矛盾があると思うか。

矛盾してると思うが約6割。その理由を尋ねると、ほとんどの生徒が「自衛隊憲法9条第2項で禁じられている陸海空その他の戦力にあたると思うから」と答えた。

一方、矛盾してるとは思わないは約4割。こちらは女子に多く、「自衛隊は日本の防衛のために存在するので軍隊ではないと思うから」という理由を挙げている生徒がほとんどだった。この主張は日本政府の公式見解でもあり、日本国内ではしばしば耳にする。しかし、どこの国でも自国の防衛のための武装組織のことを「軍隊」と呼んでいる。そこで次のように指摘してみた。「ふつうどこの国でも、軍隊は自国の防衛のために存在するものだ。だって、我々の軍隊は侵略軍であるなんていう国は地球上に存在しないからね。ケロロ軍曹じゃあるまいしさ。だから、軍隊の役割は常に「防衛のため」だよ。フセイン時代のイラクですら、軍隊の名前はイラク共和国防衛隊だった。でも、イラクの防衛隊を軍隊ではないって思ってる人はいないよね。そういう意味で、日本の自衛隊が防衛のための組織だから「軍隊」ではないっていう主張は、論理的に無理があるんじゃないの?」。この指摘については、生徒たちはうーむという反応で、反論は返ってこなかった。


2.自衛隊は今後どうあるべきだと思うか。

規模を拡大して装備もより充実させるが約2割。その理由としては中国の軍拡をあげる生徒が多かった。問題文のAにもあるように、防衛力というのは相対的なものなので、周囲の脅威が大きくなれば、それに対応した規模と装備が必要という主張だった。

現状維持が約4割。これ以上大きくすると軍事大国になりそうで不安だし、でも、自衛隊の規模を小さくするのも防衛上不安だしという漠然とした消去法で現状維持をとなえる声が多かった。

規模縮小、もしくは災害救助に専念するが約4割。「必要最小限度の実力」という政府の見解のわりに、世界第6位の防衛予算は規模が大きすぎるという理由を挙げる生徒が多かった。また、日本から平和主義の理想を世界に発信するためにも自衛隊を解体すべきという積極的縮小派は全体の2割弱というところだった。これについては、「心情的にはそうあってほしいと思うけど、一方で、現実にそれが本当に実現可能とはなかなか思えない」という指摘も多かった。


3.憲法9条を改正すべきか。

改正すべきは約3割。自衛隊の規模拡大を主張する者と現状維持の一部がこの立場だった。改正点としては、第2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」を「防衛のための戦力は保持する」に改めて、自衛隊の位置づけを憲法の規定ではっきりさせたほうが良いという意見が多かった。

一方、改正すべきではないは約7割。「いまの自衛隊は認めるけど、だからといって憲法まで改正してしまったら、歯止めがきかなくなって軍国主義になりそうで不安」という反応と「憲法9条の平和主義をたんなる理想で終わらせないためには、自衛隊の規模縮小をすすめて実践していく必要がある」という反応とがほぼ半々というところだった。


ついでにドイツの例をあげて、徴兵制の導入についてどう思うかも聞いてみた。

「いま、自衛隊の規模を今後どうするかについて聞いたら、みんなの反応は、規模拡大と現状維持をあわせると過半数を超えていた。ある程度の防衛力が必要というのなら、日本でも徴兵制を導入したらどうだろうか。ある程度の防衛力は必要だと思うけど、自分がそれに参加するのはまっぴらというのでは、その主張に正当性はない。このことはドイツでも、第二次大戦後にやはり議論になった。日本では徴兵制の議論はタブーになっていて、徴兵制の導入を主張するのは超軍国主義者くらいしかいない。しかし、ドイツの場合、軍隊の民主化のために、戦後、徴兵制を復活させることにした。つまり、ある程度の防衛力が必要だというのなら、国民全員でそのしくみを支えていく必要がある。自治の精神こそが民主主義の基本だからね。また、徴兵制を導入することで、軍隊を軍国主義者の集団から民主的な組織に変えていく効果も期待できる。志願兵制度の場合、どうしても軍隊には軍国主義的な人が集まりやすくなってしまう。この傾向はどこの国でもそうで、日本でも、やはり自衛官には田母神さんタイプの人が多い。平和主義者はふつう軍に入隊しようとは思わないからね。戦後の西ドイツでは、制服を着た市民が軍の担い手になることで、そうした状況を回避し、軍の組織改革を進めることにしたわけだ。だから、いまのドイツ軍はナチス時代とは大きくかわった。様々な人種・民族の人がいるし、労働組合もある。公務員同様に軍人のストライキ権も認められている。思想・信条・信仰といった理由から、軍に入隊したくない人には、良心的兵役拒否といって、地域ボランティアに参加すれば兵役を免除するしくみもある。先ほど、今後の自衛隊についてみんなに聞いたところ、約4割が現状の規模を維持、約2割が規模拡大が必要と答えた。ならば、日本でも徴兵制について検討すべきではないだろうか。」

と長めに説明して、生徒の考えを聞いてみたが、徴兵制の導入を支持するものはひとりもいなかった。ふーむ、ある程度の防衛力が必要という声が多いわりには、自分ではやりたくないらしい。たしかに日本の場合、徴兵制の導入をとなえているのはひとにぎりの超軍国主義者だけなので、民主主義の根幹は自治の精神だといわれても、ドイツみたいにはいかないことは容易に想像がつく。しかし、自分と社会との関わり方というもっとも基本的な部分を視野に入れないまま、防衛問題だけを議論しても、空想の世界で遊んでいるだけにすぎない。システム先にありきという日本の社会状況がこうした社会問題を自分に引きつけて考えることを阻害してるのではないか。日本で天下国家を論じる声がみな「どこかの誰か」に「やらせる」議論ばかりなのと根を同じくする問題のように思う。自分は安全地帯に身を置いて、後ろのほうから「尖閣諸島問題では一歩も引くな!」なんてただ勇ましい声を張り上げているだけの連中とくらべたら、田母神のほうがまだマシである。