謎の彼女X


ある日、クラスに転校生の女の子が入ってくる。転校生は無口で無愛想。長く伸びた前髪に隠れて表情もよくわからない。休み時間のたびに机に突っ伏して寝てしまい、転校したばかりで心細いだろうと気づかったクラスの女の子たちが話しかけても、「私いま眠いから、悪いけどじゃましないでくれる」ととりつく島もない。まもなく彼女はクラス中から「へんな奴」と認識されるようになり、誰も積極的にコミュニケーションをとろうとしなくなる。そんなある日、隣の席の男の子がカバンを取りに放課後の教室に戻ると、「へんな奴」である転校生の少女が机に突っ伏したままひとり寝入っている。彼女は熟睡している様子で、少しひらいた口元からよだれが流れている。彼は彼女をしょうがない奴だなと思う。もう下校時間だぞとゆすり起こすと彼女は眠たげに顔を上げる。それを見て彼ははっとする。あいつこんな顔をしてたんだ、けっこう可愛いんだな。誰もいなくなった夕暮れの教室で、少年は彼女の口元によだれのついた顔をアタマの中でくり返し反芻する。彼女の机にはよだれがまだついている。彼はそれを少し指に取り、なめてみる。不思議なことにそれはすごく甘い味がする。その晩、彼は彼女の夢を見る。どこか知らない奇妙な町でふたり手を取って踊っている。そこは町全体が見世物小屋のように装飾過剰な雑然とした空間で、ふたりは町を見下ろすようにつくられたステージの上で手を取り合って踊っている。いつもは無愛想な彼女がそこでは屈託のない笑顔で彼にほほえみかけ、彼の手を取ってくるくると踊っている。その日を境に、へんな転校生は彼にとって妙に気になる存在になり、彼の日々はその少し風変わりな少女を中心に回り始める。


数年前から「月刊アフタヌーン」に連載されている「謎の彼女X」はこんなふうにはじまる。夢見る少年ではない私は、その娘さん、糖尿検査をしてもらったほうがいいのではないかと思ってしまうのだが、恋する少年である主人公はもちろんそんなことは考えない。彼はやがてよだれを介してヒロインと感情や想いを共有するようになる。彼女が悲しいときのよだれをなめると彼も悲しくなるし、うれしいときのよだれをなめると彼もうれしくなる。ヒロインも彼のよだれをなめると彼の考えていることや昨晩見た夢の内容までつたわる。ずいぶんと非現実的な話だが、物語はほぼすべて主人公のまなざしを通して描写される恋する少年の意識の世界なので、そこに客観性は介在しない。そこでは主人公にとってヒロインのよだれは甘く「感じる」し、よだれを介して恋するふたりには互いの気持ちが「伝わる」のであって、物理的に彼女のよだれが甘いのかどうかは関係ない。


ヒロインは無口で無愛想だけど妙に純情でまっすぐな少女。高校2年生という設定のわりに大人びていて、物怖じせず、自分の考えをはっきり言う。だから、クラスで変わり者あつかいはされていてもとくに嫌われているわけではない。このヒロインの魅力が作品を支えている。気の強いヒロインが怒ったような表情で主人公をにらみつけ、その直後に顔を赤らめて走り去っていく描写は、恋する少年でなくてもどきどきさせられる。書き手がこのヒロインに惚れて描いているのも伝わってくる。一方、主人公は、片思いをこじらせてフェチに走ったという感じの男の子。勉強ができるわけでもなくスポーツが得意なわけでもなく、むしろ、高校2年生にしてはその言動は幼い。冒頭の机についたよだれをなめる行為にしても、小学生が好きな子のリコーダーの吹き口を自分のとつけ替えるようなもので、ふつう高校生にもなったら自尊心がじゃまをしてそんなことはしない。ヒロインが芯の強いしっかりした女の子として描かれているだけに彼の稚拙さはより際立っている。精神年齢がちがいすぎるので、当然、ふたりがつきあうようになっても、彼はヒロインから一方的にやり込められるばかりでケンカにすらならない。では、ヒロインはそんな主人公のどこが好きなのか。これがさっぱりわからない。ヒロインが主人公にとってミステリアスな存在で、恋愛感情に明確な根拠などないとしても、彼女が主人公の言動にはっとさせられる場面やなんらかの事件を通して絆を確認するエピソードが描かれないと、このアンバランスなふたりにリアリティのあるラブストーリーは成立しないはずである。


ヒロインのような女の子は、現実ならば、年上の恋人がいて同級生の男の子なんか相手にしないタイプに見える。もしもヒロインに大学生くらいの恋人がいて、主人公がそんな少し大人びた彼女に片思いしているというのなら、その関係は猛烈にリアリティがある。きっとそんな男の子は実際に大勢いるだろう。ところが劇中では、よだれによるふたりの絆という飛び道具のような仕掛けによって、いきなりふたりは恋いにおちる。それは「こんな可愛い子が自分の彼女だったら良いなあ」という男の子の願望の世界の物語であり、リアリティがないという点で、空から降ってきた女神様や常世の国の乙姫様とむすばれる話とかわらない。だから、主人公のなまなざしを通して描かれるこの物語の中でヒロインは常に他者であり、相手のまなざしをおそれて卑屈になることも自己嫌悪にさいなまれることもない。そこには恋愛感情にともなう痛みやつらさもなく、ただふたりが顔を赤らめて見つめ合っている高揚感だけが続く。しかし、恋愛は偶像崇拝やファン心理とは異なり、一方的に偶像視しているだけでは成立しない。だって、生身の人間にとって、その一方的な偶像視のまなざしは怖いもん。


連載がはじまったころの絵柄は1970年代から80年代にかけての少年漫画という感じでかなり古くさい。とくに女の子のプロポーションと丸っこい横顔はあの頃の吾妻ひでおの絵柄によく似ていて、夢のシーンにはナハハやシベールも登場する。作者が自分の高校時代を振り返りながら、あの頃にこんな恋人がいたら、あの時にこうだったらと自分の体験と重ねて描いているということなので、意図的にこうした絵柄を用いていたんだろう。劇中でくり返し描かれる黄色く染まった夕暮れの風景の中を学校帰りの主人公とヒロインが歩いているシーンはそれが遠い記憶の中の出来事のように見える。そのため、携帯電話やインターネットも登場しないし、登場人物たちはセーラー服に詰め襟の古めかしい制服を着ている。ただ、最近は絵柄や作風もずいぶん変化して、物語世界そのものよりも個々の登場人物のほうに焦点が当てられるようになってきた。長期の連載でしだいに登場人物たちが自意識を持って動き出すようになったんだろう。これはこれで等身大の若者たちの現在進行形の青春像という感じで良いんだけど、心の深い部分へ降りていく展開を期待していた者としては少々物足りなさも感じる。前々作の「ディスコミュニケーション」では、学園生活を舞台にしたドタバタギャグとシリアスな内面世界の描写とをはっきり分け、それによって作風も変えていたが、両者はそんなに明快に分かれるようなものではないはずだ。あわただしい日々のなかに得体の知れないものが顔を出すこともあるし、遠い記憶のなかにも下世話でバカげたものもある。両者を織り交ぜながら、心の中を縦に掘り下げていくような展開になればいいのにと思う。


1巻より
ふたりのいる風景はいつも夕焼けに染まり、アスファルトにはふたりの長い影が伸びている。この叙情的な風景は主人公が見る夢以上に夢の中にいるような感覚を覚える。それは目の前の風景がどこか遠い出来事のように感じる既視感と似ていて、記憶の中にある中学生の頃に見ていた風景もこんなふうにあかね色に染まっているような気がする。ヒロインはこの常世の国の乙姫であり、主人公はそこに迷い込んでしまった訪問者である。そこでは季節が移り変わっても時間は経過せず、ふたりは成長しまいまま高校二年生の一年間を何周もループし、ふたりの関係もどんな事件がおきても必ず最後には元通りに修復される。はじめの数話の暗くあやしい雰囲気は、これから先、ふたりにどんな大事件がおきるんだろうと期待させるが、結局、話はどこにも転がっていかず、常に元通りの場所へ戻ってくる。なので、枝葉の部分を切り払ってしまえば、ふたりがチッチとサリーのように顔を赤らめて見つめ合ってるだけの漫画である。きっと乙姫であるヒロインはこの男の子の願望の世界を動かすために夜中になると世界のねじを巻いているはずである。



2巻より
学校からの帰り道にヒロインのよだれを主人公がなめるのがふたりの日課。よだれを介してふたりは感情を共有するが、ストーリーが毎回単純なので、それがふたりの内面を掘り下げる仕掛けとしてあまり生きてこないのは残念なところ。永劫回帰の構成にくわえて、ストーリー展開よりも場面場面の情景描写の密度の濃さで見せていく漫画なので、物語としての広がりはほとんどない。この回のエピソードは、幼い頃に亡くなったという主人公の母親の墓参りへふたりで行く。墓の前で、彼が母親についての記憶がほとんどなく、亡くなったときに悲しかったどうかも覚えていないと話すと、彼女は彼の口に指を差し入れ、そのよだれをなめる。すると彼女の目に涙があふれてくる。いまはもう覚えていないけど、あの時のあなたはやはり泣いたのよと彼女は言い、その回は終わる。ずいぶんあっさりした展開である。よだれをなめる行為から彼女が涙を流す描写までの間に、ふたりの内面を掘り下げるエピソードがはさまれないので、読む側は傍観者としてふたりのやり取りを眺めるだけになってしまう。たとえば、墓の前でよだれをなめたとたん、ヒロインは幼い主人公の通う幼稚園の先生になっている。職場の同僚から、幼い主人公が母親を亡くしたばかりだと聞かされるが、彼は砂場で「お仕置きだべえー」なんて言っていて悲しそうなそぶりを見せない。不思議に思った新任の美琴先生はその理由をしらべはじめる。夢なのか記憶なのかわからないその体験の後、母親の面影にふれたことで、ふだんへらへらしている主人公はうつむいて黙り込み、逆にいつも冷静なヒロインは声を上げて泣き出す。ストーリーづくりの上手い作家なら、この墓参りのエピソードはいくらでも話をふくらませられたのではないか。そうして強烈な共通体験によって一時的にふたりの立場を逆転させないと、この男の子の願望の世界にラブストーリーとしてのリアリティは成立しないように思う。「じゃあ、また明日ね」という何気ないひと言も、なにか特別な出来事をふたりで共有した後では、重みがまったくちがってくる。この回はふたりに絆を確認させることでシリーズ全体のキーになるエピソードになったのではないかと思う。



8巻より
7巻目から登場する妙に色っぽい同級生。ぞくっと来る場面である。微妙な心理をあらわす女の子の表情や状況描写は陽気婢の漫画を連想させる。連載がつづくにつれて、叙情的な情景描写よりも登場人物の心理描写にウェイトが置かれるようになっていった。ラブストーリーは登場人物たちのまなざしの物語なので、そのまなざしに映る情景をどれだけ魅力的に描けるかにかかっている。読む側は彼らのまなざしを通して体験を共有するので、第三者から見て彼らがカエルに見えようがニワトリに見えようが一向にかまわない。映画やドラマの場合、その描写に生身の肉体が介在するので、不特定多数の観客を物語の世界に惹きつけるためにどうしても美男美女の俳優が役柄を演じることになりがちだが、漫画はこの主観の世界をそれ自体として完結できる表現媒体である。なんせ絵なんだから。登場人物のまなざしに映る一瞬の情景が切り取られ、その絵に魅力があれば、ヒロインが学校一の美少女だろうとカエルだろうとどうでもいいはずである。そういう意味で物語のヒロインをアイドルにたとえるのは的外れである。それはキャラクターグッズで儲けようとする者のまなざしであって、物語の中で体験するまなざしではない。



8巻より
絵柄が変化するとともにヒロインも感情をはっきり表に出すようになり、彼女の視点からの描写も増えた。8巻では、勘違いで落ち込んだり、焼きもちを妬いて道端でずっこけたりといそがしい。はじめのころの夜中に世界のねじでも巻いてるのではないかという雰囲気はすっかり影をひそめ、もうほとんど「りぼん」か「なかよし」の恋するヒロイン。これはこれで等身大の高校生の恋愛模様という感じで可愛い。彼女の未熟な面が描かれるようになったことで、主人公の男の子との釣り合いもとれてきたように思う。上のシーンでは、ヒロインの心理描写として、髪が逆毛立ったり、背景に白い玉ボケが盛大に飛んだり、「かあああああ」の書き文字が集中線の役割をしていたりとけっこう芸が細かい。