Alison

エルビス・コステロの歌には、ある人たちのある情景を切りとったものが多い。たとえば彼の代表曲のひとつである「Alison」は、昔の恋人にパーティ会場かなにかでばったり再会した場面から歌ははじまる。彼女は彼を振った後、よりによって彼の友人とくっついてしまって、いまはそいつと結婚している。一方、彼のほうはいまも彼女に未練たらたらで、ひさしぶりの再会なのに泣きの入った調子で一方的にねちねちと嫌みを言いはじめる。そんなどうしょうもなく情けない彼とそんな彼にうんざりしている元恋人との寸劇で、なんだかシチュエーション・コメディの一場面といった感じ。「ダーマ&グレッグ」にもこんなエピソードがあったような気がします。こんな歌詞です。


Elvis Costello "Alison" 1977
http://www.elviscostello.info/wiki/index.php/Alison


いちおう訳してみます。まず一番目の歌詞。

君と再会するなんて可笑しいね、ずいぶんひさしぶりじゃないか
僕にはわかるよ、君がいま心を動かされていないってことをさ
でもさ、聞いたよ、あいつが君のパーティードレスを脱がしたんだってね
僕は感傷的になんかなってないよ
未練がましい元カレみたいな連中とは僕はちがうんだ
だって、君が誰かを愛しているとしても、それが僕じゃないってことだけははっきりしてるからね


アリソン、僕にはわかってる、この世界が君を押しつぶそうとしてることを
ああ、アリソン、僕の目標は率直であることなんだ


もうなんかたまらない歌詞です。ひさしぶりの再会にもかかわらず、彼の挙動不審ぶりとうんざりした顔で彼のことを冷ややかに見ている元恋人との情景が浮かんできます。まるでウディ・アレンの映画を見ているような居心地の悪さです。二番の歌詞では、この状況がさらにエスカレートしていきます。

ああ、君に夫がいることは僕もわかってるよ
あいつが君の指をウェディングケーキの中へ入れたんだよな
そして君はあいつを抱きしめたんだ、君のその手で
あいつは手に入れられるものすべてを手にしたんだ


勝手に彼女が恋敵と抱き合ってる場面のディティールを再現して彼は嫉妬心から気持ちが高ぶっていきます。自分で言った言葉に自分が傷ついてる状況です。めんどくせえ奴。そうして感情の高ぶった彼はしだいに語調が荒くなっていきます。

ときどき君がくだらない話をしてる声が聞こえてくるんだ
そんなとき、その話し声を止められたらいいのにって思うよ
誰かこの光をかき消してくれれば良いのに
だって、もう耐えられないよ、こんなふうに君の姿が見えるのは


夢オチです。よりによって夢オチです。今までの未練たらたらなセリフはすべて妄想の中の彼女へ語りかけていたのでした。情けなくてもうなんか泣けてきます。歌ってる彼の声も泣きが入ってます。そして再びサビ。

アリソン、僕にはわかってる、この世界が君を押しつぶそうとしてることを
ああ、アリソン、僕の目標は率直であることなんだ


というわけで、この居心地の悪いシチュエーションと彼の情けない様子を引きつった笑いとともに聞くのが「Alison」の正しい聞き方だと思うわけです。というか、聴衆にはそれしか対処のしようがない歌だと思うんです。イッセー尾形のひとり芝居にひとり言をぶつぶつ言ってるへんなおじさんたちが登場するけど、ちょうどあれを見せられているような感じ。そんなわけで、エルビス・コステロはこの曲のヒットによって、ロックに演劇性とユーモアを持ち込んだとして評価されるわけです。熱心なファンの中には、楽譜を分析したり、歌詞のダブルミーニングを考察したりしてる人もいるみたいですが、これ、そんな深遠な歌じゃないと思うんです。だってこの歌詞だよ。たしかに切ない恋心を歌っていることにはちがいないけど、ストレートなラブソングではなく、引いたまなざしによって恋する者の愚かさをトラジコメディ(悲喜劇)として提示してるのがこの歌の持ち味だと思うんです。人間が必死になってやってることはたいてい滑稽だというのは、シェイクスピアからMr.ビーンまで、イギリスのコメディの伝統です。


では、曲もどうぞ。1999年のウッドストックでのライブ演奏からです。YouTube便利ね。



それにしてもエルビス・コステロの声はいつ聞いても魅力的です。黒ぶちメガネをかけたさえないルックスのおじさんが、少しかすれていて、でも、管楽器みたいによく響く歌声を発すると、その瞬間に彼がロックスターだということに納得がいきます。桜井和寿がまねしてみたくなったのもよくわかります。とくにこの1999年のライブは、1977年の録音よりずっと声に深みがあって思わず聞き入ってしまいました。ステージ通しの映像はこちら。58分。