憲法96条の改正


どうも。ひさしぶりの更新です。やけにいそがしかったり、やけにたっぷりと時間ができたりして、しばらくこのブログもほったらかしになりました。いそがしくて時間がないとブログなんか書いてられませんが、逆にたっぷり時間があると遊びに出かけたくなったり、半七捕物帳全69話や別役実戯曲集を一気読みしたくなったり、ものすごく時間のかかる大作ゲームにどっぷりと首までつかってみたくなったりするもんで、ブログ書きみたいなのは、ほどほどにいそがしくて仕事中心に生活が回ってる時がちょうどいいのかなと思います。


あ、先日、電車の中で満面の笑顔で少年ジャンプを読みふけっている大学生くらいのおにいさんを見かけました。あんなに楽しそうにマンガを読んでいる人を見たのはずいぶんひさしぶりな気がします。なんかみなさん不機嫌そうだしさ。世界中の人が彼のようになればきっと世界平和も実現するんじゃないかって思いました。


で、こちらは仕事中心に生活が回り始めて、今度の中間試験にいま話題の憲法96条の改正を論述問題として出題することにしました。ちょうど授業では、自然権や社会契約やらについて解説しているところなので、タイムリーな話題だと思ったしだい。まあ、こういう現実の社会問題に切り込んでいけないのなら、いくら授業で自然権やら社会契約やら法の支配やらを解説したところで、そんなの社会科の授業じゃねえよって感じです。そんな洗濯機をがらがら回しながら日曜の昼を費やして書いた今回の出題はこんなの。またまた、たたき台にあたるAとBの参考意見を読んであんたの考えを書いてというもので、もしAとBのここをこうしたほうがいいというアドバイスがありましたら、コメントをいただけると幸いです。

憲法96条の改正


 現在、国会を中心に憲法96条の改正が議論になっています。憲法96条は憲法改正手続きについての規定で、次のように記されています。

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 現行の96条では、憲法改正のためには、国会の両議院でそれぞれ全議員の2/3以上の賛成、国民投票過半数の賛成を必要とします。現在議論されている憲法96条の改正は、国会の両議院でそれぞれ全議員の過半数の賛成で憲法改正国民投票ができるようにしようというものです。
 この改正がなされた場合、憲法を改正しやすくなるので、時代や社会状況に応じて柔軟に対応できるようになることが期待できます。しかしその一方で、選挙によって国会の勢力が変わるたびに多数派の国会議員によって憲法改正の発議がなされてしまい、多数決原理によって憲法という社会の根幹が変えられてしまうという危険性もはらんでいます。
 あなたはこの憲法96条の改正についてどのように考えますか。次のAとBの参考意見を読み、あなたの考えを述べなさい。


A 憲法96条を改正すべきである。
 現在、多くの世論調査で「憲法を改正したほうがいい」と回答している人の割合は過半数を超えている。それにもかかわらず、日本では憲法改正国民投票は一度も行われたことがない。これは、憲法改正の発議に必要な衆参それぞれで全国会議員の2/3以上の賛成というハードルが高すぎるためである。
 近代憲法は政治権力をしばるために人々の声を集めてつくられるものである。そのため、憲法改正の手続きも国民投票のほうにウェイトが置かれるべきであり、その発議である国会議員の議決のほうはハードルを下げてもかまわないはずである。多くの世論調査憲法改正を支持する人の割合が過半数を超えているのに、一度も国民投票が行われたことがないという日本の状況は、民意を政治が反映していないといえる。
 現在国会を中心に議論されている憲法96条の改正は、国民投票なしで憲法改正ができるようにしようというものではなく、あくまで国民投票に必要な国会の発議を衆参各院の1/2以上の賛成に緩和しようというものである。これは憲法改正のような重要な決定について、国会議員だけでなく、できるだけ人々の判断にゆだねようとするものといえる。この改正によって発議のハードルが下げられれば、国会では日常的に憲法改正の発議が議決されることになる。改正の発議がなされた後は国民投票が行われることになるので、必然的に憲法についての世論の議論も活発になるはずである。人々が活発に議論し、国民投票によって重要な決定を行うことこそ、民主社会のあるべき姿である。憲法改正の発議が一度もなく、憲法改正国民投票も一度も行われていないという日本の状況がつづく限り、多くの人にとって憲法はいつまでも身近なものにはならないだろう。
 国会で2/3以上の賛成が必要ということは、言い換えると1/3という少数派の反対によって、重要な決定が阻止されてしまうことを意味している。「慎重に議論を積み重ね、できるだけ多くの人の理解を得る」というのは、言葉としては聞こえがいいが、少数の反対さえあれば社会の重要な決定が止まってしまうという状況は健全なものとはいえない。
 現在の日本国憲法は一度も改正されていない憲法として、すでに世界でもっとも古いものになっている。憲法が制定されて60年以上が経過し、日本の社会状況も国際情勢も大きく変化している。そうした社会の変化対応できるよう憲法はより柔軟に改正できるようにすべきではないだろうか。


B 憲法96条を改正すべきではない。
 そもそも近代憲法というのは、人々の自然権を具体的にとりまとめることで政治権力にしばりをかけ、権力の濫用をふせぐためのものである。この自然権は、時代や文化を越えてすべての人間にあてはまる普遍的な権利のことであり、それをとりまとめた憲法も普遍性を持つものでなければならない。そのため、多くの国で憲法の改正手続きはふつうの法律よりもきびしく設定されており、アメリカやドイツでは両議院で全議員の2/3以上、フランスでは投票した議員の3/5以上の賛成を憲法改正の条件としている。さらにスペインや韓国では、日本と同様に国民投票も義務づけている。こうしたきびしい条件は、時の権力者によって憲法が自分たちに都合よく改正されてしまうことをふせぐためのものである。
 憲法が人々の自然権をとりまとめたものである以上、憲法を改正する場合も、人々の側からの要望によるものでなければならない。しかし、現在の96条改正論議は、もっぱら一部の国会議員たちが先導するかたちですすめられている。本来、国会議員というのは政治権力をあずかる立場であり、憲法によってしばられる側にいる。そのため、憲法99条で規定されているように、彼らは憲法を尊重し、擁護しなければならない立場のはずである。こうした立場にいる者のほうから、「憲法を改正しやすくしたほうがいい」と言い出すのは、本末転倒であり、社会契約としての政治から外れる行為といえる。
 社会の重要な事柄を決める場合に、民主社会においてもっとも重要なことは、ひとりひとりが社会への問題意識を持ち、考えを深めることにある。そうした理解や広い議論のないまま、多数決原理によって社会の重要な決定がなされるとしたら、それは「数の暴力」にすぎない。もしも、憲法改正手続きが全国会議員の1/2以上・国民投票過半数に改正されたら、その時の政治状況や勢いで憲法が改正されてしまうだろう。慎重に議論をつくすためにも、国会で2/3以上の賛成というハードルは守るべきである。人々の憲法への理解を深め、慎重な議論を積み重ね、その上でどうしても改正したほうがいいというところがあるのならば、全国会議員の2/3以上の支持も得られるはずである。アメリカやドイツも国会議員の2/3以上を憲法改正の条件としているが、アメリカでは18回の改正がなされ、ドイツでは西ドイツ時代から数えると59回もの改正が重ねられている。日本の場合はそれに加えて国民投票での過半数が必要になるが、改正の「発議」という点では同じ条件である。それにもかかわらず、日本で一度も憲法改正の発議がないことは、憲法について、多くの人が納得できるような議論が国会で積み重ねられていないことの証拠といえる。
 現在の日本の状況は、人々の憲法への理解や関心は薄く、たとえ憲法改正国民投票になったとしても、多くの人が棄権することが予想されている。「そもそもなぜ憲法を改正するのか」という根本的な議論を積み重ねないまま、一部の国会議員の主導によって憲法96条の改正がとなえられている状況は、民主社会のあるべき姿から大きく外れるものである。憲法については、制度を変えて改正しやすくするのではなく、ひとりひとりの憲法への理解と幅広い議論をうながすことこそ、本質的な課題といえるのではないだろうか。


こうした政治的なテーマは、「自分は保守派で自民党支持だから96条改正賛成」「自分はリベラル派で護憲派だから96条改正反対」と自分の立場を決めてから、結論先にありきで発言している人が多いけど、それは身内以外はみんな敵っていうやくざの発想と同じ。自分のアタマで判断しているとはいえない。なので、生徒たちへの注文も、結論先にありきで主張すんな、個々に問題を判断して自分のアタマで考えろ、です。ほら、クリス・ロックもこう言ってるよ。

まったくアメリカ人はどうかしちまったぜ。
「俺は共和党だから戦争に賛成だ」とか「わたしはキリスト教徒だから同性婚に反対だ」とか、保守だから、とか、リベラルだから、とか。
てめえの党派や立場を先に決めてから結論を出すなよ!
てめえ自身の考えで、それぞれの問題に意見を言えよ!
それぞれの問題ごとに意見が違うもんだろう、普通は。
たとえばオイラは犯罪に関しては保守的だけど、売春については超リベラルだぜ!
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050227


以下、資料として生徒に配った新聞記事もついでに載せておきます。産経はわかりやすく96条改正大賛成で論陣を張ってます。定期読者のためのリップサービスなのか、社としての方針なのかわからないけど、こういうふうに立場を決めてから発言する姿勢を「ブレない」っていうんだろうか。私には思考停止にしか見えないんだけど。日本にはアメリカと違っていちおうメディアの公正原則があるはずなのにさ。フォックスニューズみたいになりたいんだろうか。まあ、テンプレートみたいなもんなので、改憲支持派の言い分を調べる時にはすごく便利です。

毎日新聞世論調査 憲法96条改正 反対46%
毎日新聞 2013年05月03日
 毎日新聞が4月20、21日に実施した電話による全国世論調査で、憲法96条に定められた改憲発議に必要な衆参両院での「3分の2以上」の賛成を、「過半数」に引き下げることの是非を聞いたところ、反対は46%で、賛成の42%を上回った。「憲法を改正すべきだと思う」は60%で、「思わない」の32%を大きく上回った。憲法改正を必要としながらも、改憲手続きの緩和には慎重な意見も根強い。
 調査の方法が異なるため単純に比較はできないが、毎日新聞の09年9月の世論調査(面接)では改憲賛成が58%、12年9月の調査(同)では65%で、改憲賛成が多数を占める状況が続いている。今回、憲法9条についても「改正すべきだと思う」は46%で、「思わない」の37%を上回った。
 一方、「憲法を改正すべきだ」とした人の59%が、改憲の発議要件の引き下げに賛成、37%が反対と答えた。また、「9条を改正すべきだと思う」とした人では、63%が引き下げに賛成し、35%が反対した。
 安倍晋三首相は、96条改正を参院選の争点とする考えを示しているが、自民支持層でも改憲の発議要件の引き下げに賛成したのは約5割にとどまった。公明支持層で賛成したのは約3割。民主支持層で賛成したのは約4割、維新支持層では約5割だった。【青木純】
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憲法改正、「賛成」が51%…読売調査
読売新聞 2013年4月19日23時39分
 読売新聞社の全国世論調査(3月30、31日、面接方式)で、憲法を「改正する方がよい」と答えた人は51%となり、昨年2月調査の54%に続いて半数を超えた。
 「改正しない方がよい」は31%(昨年30%)だった。
 政府が「保有するが行使できない」としている集団的自衛権に関しては、「憲法を改正して使えるようにする」が28%(同28%)で、「憲法の解釈を変更して使えるようにする」の27%(同27%)との合計は55%となり、昨年に続いて容認派が半数を超えた。
 憲法改正の発議要件を定めた96条については、「改正すべきだ」と「改正する必要はない」がともに42%で並んだ。
 今夏の参院選で投票先を決める際、憲法問題を判断材料にすると答えた人は40%で、前回参院選前の2010年調査から12ポイント上昇した。安倍首相が96条の先行改正などの憲法問題を参院選の争点に掲げていることを反映したようだ。各政党が憲法論議をもっと活発に行うべきだと思う人は76%に上った。
 海外で事件に巻き込まれた日本人を自衛隊が輸送する場合、船舶や航空機に加えて、車での輸送を認める方がよいとする人は76%に達した。
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質問なるほドリ 憲法ってどうやって変えるの? 回答・木下訓明
毎日新聞 2013年05月10日 東京朝刊
 ◇衆参「3分の2」と国民過半数の賛成
 なるほドリ 憲法改正が議論になっているけど、憲法ってどうやって変えるの?
 記者 憲法を変えるには、変えたい内容をまとめた改正案を国会の衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成で可決したうえで、国民投票過半数の賛成が必要です。自民党などはこの「3分の2」を定めた憲法96条を変えて「過半数」に引き下げて、憲法を改正しやすくすべきだと提案しています。

 Q なぜ国民投票が必要なの?
 A 法律は「国会が作る国民の守るべきルール」ですが、憲法は「国民が作る国家権力(国会、政府、裁判所)が守るべきルール」です。だから国民投票が必要なのです。

 Q 外国の憲法も改正の手続きは厳しいの?
 A 国によって違いがあります。米国やドイツ、カナダでは国民投票はありませんが、スペインや韓国にはあります。デンマークでは国会の議決の後に国会議員の選挙を行い、また国会の議決を経てから国民投票にかける、という日本よりも厳しい手続きを定めています。

 Q 日本の国民投票は選挙の投票と同じようなやり方なの?
 A 選挙では候補者名や政党名を投票用紙に書きますが、国民投票では投票用紙に書かれた「賛成」「反対」のいずれかに○を書き込みます。これは無効票を少なくするためです。投票の際、憲法改正案はテーマごとに示されます。例えば、首相を国民が直接選ぶ「首相公選制」に変える改正案と、軍隊を持てるようにする「国防軍」を書き込む改正案が国会で可決された場合、国民投票では別々に賛否を投票することになります。

 Q 憲法をまるごと一度で変えたり、いくつかの改正案をまとめて国民投票にかけたりできないの?
 A ダメです。国会法で内容ごとに関連したものを分けて出すよう定められているからです。ひとまとめにして国民投票にかけてしまうと、「このテーマは賛成だけど、こっちのテーマは反対」と国民が判断した場合、改正案全体に「反対」となってしまう可能性があるからです。だから、一つ一つテーマごとに国民投票を行うよう法律は定めています。(政治部)
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憲法96条改正へ各党が意見表明 衆院憲法審査会
朝日新聞 2013年5月9日
 衆院憲法審査会は9日、憲法改正手続きを定めた96条について各党が意見を表明した。自民党日本維新の会に加え、条件をつけたみんなの党も改正に賛成の立場。共産党と生活の党は反対を明言し、民主党は96条改正を先行させることに反対した。与党の公明党は改正に慎重な姿勢を示しつつ、賛否は明らかにしなかった。
 安倍晋三首相が意欲を示す96条改正に対し、国会で各党が正式に意見表明するのは初めて。各党の姿勢が鮮明になり、7月の参院選の争点となるのは必至だ。
 自民党の船田元氏は「3分の2の発議要件はハードルが高すぎる。どちらかの院の3分の1以上の反対で発議が出来ず、国民の憲法関与が妨げられている」と指摘。憲法9条など自民党憲法改正草案で示した改正項目の実現に向けて「改正手続きを何度か繰り返す必要があり、あらかじめハードルを下げておく合理性はある」と過半数への引き下げを訴えた。維新の坂本祐之輔氏も「3分の2以上の現状では国民に判断を仰ぐことは困難」と同調した。
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憲法96条改正すれば民意は反映されるか 得票率と獲得議席数の関係を試算
毎日新聞 2013年05月07日
 安倍晋三首相が改憲要件を定めた憲法96条改正を参院選の公約にすると正式に表明した。「改憲すべきだ」という民意の大きさと、条文が規定する改憲要件の厳しさとが「乖離(かいり)しているから」というのが改正派の言い分だ。ならば、改正すれば民意を正しく反映させられるのか。立ち止まって考えてみた。【吉井理記】

 ◇28・92%で「過半数」 国民投票は棄権多数の恐れ
 96条改正の論点をおさらいしよう。現行の条文では、改憲は衆参両院の総議員のそれぞれ3分の2以上の賛成で国民に提案(発議)し、国民投票過半数の賛成を得ることが条件だ。自民党は「『3分の2以上』は厳し過ぎて現実的ではない。過半数に緩めるべきだ」と主張し、昨年公表した改憲草案に盛り込んだ。安倍首相も「3分の1をちょっと超える議員が反対すれば国民が憲法に手を付けられないのはおかしい」と繰り返し、先月23日の参院予算委では「参院選で堂々と掲げて戦う」と初めて明言した。
 言うまでもなく「過半数」に変えるには、現行の96条が定めるハードルを越える必要がある。今のところ改正を訴えているのは自民党日本維新の会みんなの党の3党で、衆院(定数480)は計366議席と、既に3分の2のハードルをクリアしている。一方、参院(同242)の3党の議席数は計100。3分の2の162どころか過半数の122にも足りない。夏の参院選で改正派が102議席を得れば、3党の非改選議席60を加えて発議の条件は整う。
 要するに96条が改正される日は刻々と近付きつつあるわけだが、問題の核心は、むしろ「その後」にある。ハードルが下がったのを受けて政権与党が憲法改正の発議を次々にしたとしよう。それらは果たして国民の多数意思を反映していると言えるのか。
 「今の選挙制度は民意とかけ離れた結果を生んでいる。それなのに国会の意思決定のルールまで緩めてしまえば、ゆがみをさらに増幅することになりかねません」。そう危惧するのは神戸学院大教授で憲法学が専門の上脇博之(かみわきひろし)さん(54)だ。
 「過半数」というハードルが、いかに低いかを浮き彫りにするシミュレーション方法を上脇さんが教えてくれた。使ったのは昨年の衆院選のデータ。小選挙区比例代表とでは制度が全く異なるが、ここでは単純化して、双方の得票数の合計を民意の大きさと置き換える。
 そのシミュレーションによると、無効票などを除く全政党の得票数の合計は小選挙区5962万6567票、比例代表6017万9888票、計1億1980万6455票だ。うち自民党は計4226万7766票(小選挙区2564万3309票、比例代表1662万4457票)で得票率は35・28%。自民党は、この35・28%の票で480議席中294を得た。ならば逆算すれば、過半数の241議席は得票率何%に相当するか−−わずか28・92%だ。
 「国会の過半数」という建前の裏で、得票率に換算して実に71%もの民意を無視して改憲発議ができるということなのだ。
 もっとも現在の「3分の2以上」のままでも自民党と16・03%の維新、6・72%のみんなの得票率の合計は58・03%にしかならない。それでも切り捨てられる民意は過半数より小さく、ずっとましだ。
 なぜ、このようなことが起こるのか。
 上脇さんは「根本的な原因は選挙制度の欠陥にある」と強調する。「昨年の衆院選では小選挙区の総得票数中56%の3730万票が当選に結びつかない死票だった。つまり44%の民意しか反映していない。自民党小選挙区の定数300の79%、237議席を得たのに、得票率は43%。1票でも多い候補が当選し、負けた候補の票は無視されるという制度の弊害です」
 比例復活などを考慮しない乱暴な計算ながら、衆院480議席を先のシミュレーションではじいた得票率に応じて配分すると、35・28%の自民党は169議席改憲をうんぬんする勢力には程遠い。
 参院選も同様の欠陥を抱えている。思い出されるのは10年の参院選だ。自民党の得票率は選挙区33・38%、比例代表24・07%で、民主党の38・97%、31・56%を下回ったにもかかわらず、議席数は51で民主党の44を上回る逆転現象が起きた。これも改選数121のうち29を占めた1人区で大量の死票が出たことが大きいとされる。
 上脇さんは憤る。「改憲要件が民意とかけ離れている、国民の権利行使の機会を奪っていると言うなら、まず第一歩として民意を反映しない国会議員の選出方法を改善するのが当たり前。それこそ国民主権の侵害ですよ」
 「何だかんだと言っても国民投票があるじゃないか」。そんな声もありそうだ。両院の賛成後、国民が直接、意思表示する機会があるのだからいいじゃないか、と。
 「そうでしょうか」と上脇さん。「近年のように選挙ごとに1党が過半数を占め、しかも民意とかけ離れてオセロゲームのように政権交代することを考えれば、政権が代わるたびに改憲発議が乱発される可能性すらある。その結果、改憲案そのものが重みを失って関心の低下を招き、国民投票で多数の棄権者が出かねないのです」。10年に施行された国民投票法最低投票率の規定はない。「民意を反映しない改憲」のリスクはここにも潜んでいるのだ。

 ◇「根本の議論」が欠落
 東大名誉教授で憲法学が専門の樋口陽一さん(78)は、「改憲の必要性」ばかりを強調するかのような議論のあり方に疑問を抱く。「そもそもなぜ改憲しなければいけないのか。根本の議論が欠けているように思えてならない。改憲派の人たちは『時代にそぐわない』と言いますが、実際は立法や法改正でカバーできる部分がほとんどでしょう」。そして続けるのだ。「憲法は未来の世代に与える影響が大きい。例えば改憲して1院制や首相公選制にすれば正しい政治が実現できるのか。9条を改正して専守防衛の理念を守れるのか。9条がなかったら日本はどうなっていたか。こうした問いに明確な答えを出せていないのに、改憲だけを容易にしようとするのは国民への責任を果たすというより、むしろ無責任な行為ではないでしょうか」
 毎日新聞の最新の世論調査では、96条改正反対が46%と、賛成の42%を上回った。安倍政権は「改憲のための改憲」などに手をつけるより、最高裁が「違憲」とまで断じた選挙制度の抜本改革に取り組むことが先ではないのか。
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論点 憲法をめぐる課題とは
毎日新聞 2013年05月03日
 改正論議がかつてなく高まる中で迎えた今年の憲法記念日改憲へのハードルを低くする96条改正や、9条をめぐる自衛隊国防軍化論に焦点が当たるが、今、日本が向き合うべき憲法の課題とは何か。

 ◇国益考えれば改正は無用 長谷部恭男・東京大教授
 現在の日本国憲法は、立憲主義に基づく議会制民主主義の憲法として見たとき、ごく標準的なものだ。つまり、世の中にはいろいろな考え方があるので、それぞれを公平に尊重しつつ共存を目指す、という原理だ。今、どこかを変えなくては困るという課題はない。なぜ変えようとしているのかよく分からない。政治の重要な役割を果たす人たちは、もっと喫緊の課題、例えば財政再建社会保障の再整備などに力を注ぐべきだ。
 改憲論の中には「押しつけられた憲法だから」という主張もあるようだが、そもそも憲法は押しつけられるものだ。アメリカでも南北戦争の結果、南部諸州は北部から押しつけられた。
 「日本国憲法は外国であるアメリカに押しつけられた」という議論もあるが、第二次世界大戦ファシズムと議会制民主主義という、国の根本原理を巡る深刻な対立だった。その戦争に負けた以上、議会制民主主義を受け入れざるを得なかった。冷戦で敗北した東側と同じだ。
 憲法は、中長期的に守っていくべき社会の基本原則だ。憲法96条が定める改正の発議条件(衆参両院3分の2以上の議員による賛成が必要)を緩和すべきだ、という主張がある。憲法が変えにくくされているのは、時々の政治的多数派が都合よく変えようとすると、収拾のつかない混乱になりかねないからだ。選挙の度に改正されるのでは、何のための憲法か分からない。
 また今は3分の2以上が必要なので、なるべく広いコンセンサスを得るような、ほどほどの改正案が出てくる。これが2分の1超になれば、ぎりぎり過半数の人が賛成する提案で、極めて党派的な改正が可能となる。さらに改正に成功したあと、発議の条件を3分の2以上に戻して変えにくくすることもあり得る。
 「『新しい人権』を憲法に書き込むべきだ」という意見について考えると、例えばプライバシーや環境権は、すでに個人の尊重を規定した憲法13条によって当然守られるべきものと判例などで定着している。改めてこれらを書き込みましょうということになると、「『新しい人権』はこれで打ち止めです」ということになりかねない。
 9条と自衛隊の存在が乖離(かいり)しているため、9条を実態に合わせて改正すべきだという議論もある。しかし改正は現状追認にとどまらないだろう。政府が積み上げてきた解釈は、日本固有の利益を守るためならば実力を行使するというものだ。だが、自民党のいう「国防軍」を持つと、日本と直接関係のない国際公益のために実力を行使していい、ということにもなる。例えばアフリカで起きている戦争に自衛隊を送って鎮圧しよう、となりかねない。
 憲法の大きな役割は、権力を制限することで人々の自由と権利を守ることだ。一方で、「権力を拘束するための憲法という考えは古い」という考え方もある。「国民の責務」を記した自民党憲法改正草案(昨年4月発表)は、こうした考えに基づいているようだ。
 憲法を改正するならば「ねじれ国会」で問題になっている参議院の強すぎる権限を改めるべきだが、現実的には難しいだろう。ただ参院議員の行動様式が、時々の党派的な利益を考え行動するのではなく、国全体の利益を考えて行動するものならば改正の必要はない。【聞き手・栗原俊雄】

 ◇96条改正は主権国家の要 高村正彦自民党副総裁
 自民党は1955年の結党以来、自主憲法制定を党是としている。現行憲法は日本が敗戦し、連合国軍総司令部(GHQ)の占領時代にGHQの草案に基づいて作られた。日本が主権を回復した後も、そのまま維持するのは理念的におかしい。改憲の必然性はまずこの点にある。憲法は日本人自身で作るべきだ。
 実態面でも不都合がある。例えば憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、これはユートピア的平和主義とでもいうべき内容だ。前文は一種の宣言だから、これでいいとの考え方もある。だが、この憲法を基にすると「外交努力と一定の抑止力をもって平和を維持」という現実的平和主義者ですら「タカ派」と称されるおかしな状況になる。
 不合理なのは「陸海空軍はこれを保持しない」という9条2項だ。条文を文字通り解釈すれば自衛隊違憲だ。中学生が読んでも分かる。2項に「前項の目的を達するため」と加えた修正で整合性がとれているという意見もあるが、文理的に無理だ。
 ではどうして合憲なのかというと、主権国家が自らの生存権を否定することはあり得ないから必要最小限度の自衛はできるという考え方に基づいている。裁判所や内閣法制局は、自然権という言葉は使っていないが、私に言わせればそういう自然権的な考え方から合憲にしているに過ぎない。成文憲法の国なのに、成文通りに読めば違憲で、自然権としては違憲ではないというのはみっともない。
 法治国家の基礎を揺るがすような成文憲法と現実の乖離(かいり)があるのだから、9条2項は削除。パリ不戦条約以降の侵略戦争はいけないという平和主義を盛り込んだ9条1項は堅持する。若干字句の修正はあるが、自民党憲法改正草案の根幹はそういうことだ。
 改正草案には、自衛隊の存在も明記した。名称は世界に通用するものということで自衛軍国防軍が挙がったが多数決で国防軍とした。付言するが、改憲手続きを定めた96条の改正を含め、改憲草案は谷垣禎一総裁の時に決めたもので安倍晋三総裁(首相)になってから一字一句変わっていない。
 その96条の規定により、日本の憲法はスペイン憲法と並んで世界で最も改正が難しい。主要国の戦後の憲法改正をみると、少ない米国で6回。ドイツは59回、フランスは27回だ。日本は皆無。先述したように日本の憲法はGHQ草案に基づいているのだから、占領目的に沿った内容になるのは致し方ないことだとしても、主権回復後の改正を極めて困難にする規定を設けたことは了解しがたい。
 主権者たる国民に憲法の是非を問いやすくするというのはごく普通の発想ではないだろうか。自民党は衆参両院それぞれ3分の2以上という発議要件を過半数に緩和することを提案している。自民党が一党支配と言われた時代でさえ、衆参のいずれかで3分の2以上を持ったことはない。両方で3分の2以上というのは重過ぎる。戦後、長い間、一度も国民に憲法の是非を問うことすらできなかったことは正当とは言えない。96条改正は、主権国家が自らの憲法を、主権者たる国民の手で、改正という方法で作るために必要な条件だ。【聞き手・因幡健悦】

 ◇生存権保障の後退を懸念 稲葉剛、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい代表理事
 「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する憲法25条が危機的な状況にある。
 昨年、芸能人の親族の生活保護受給がきっかけでバッシングが起き、政治家が「生活保護を恥だと思わなくなったのが問題」などと発言した。兵庫県小野市は4月、生活保護費や児童扶養手当の受給者がパチンコなどに浪費することを禁じる条例を施行し、市民の通報を義務づけた。
 不正受給が横行していると言われるが、金額ベースでは0・5%以下に過ぎない。逆に、利用すべき人が利用できないことの方が問題だ。受給資格がある世帯のうち、実際に受給できている世帯の割合を示す「捕捉率」は2〜3割にとどまっている。生活保護利用者は過去最多の約215万人に上るが、背後には少なくとも450万人の人が、収入が生活保護基準以下で資産もないのに受給していない状態にあるとみられる。
 背景には、福祉事務所が申請に来た人を追い返す「水際作戦」があるが、生活困窮者自身も「恥ずかしい」「後ろめたい」意識から相談に行かないことも多い。バッシングや財政悪化の中で生きる権利を主張しないことを「美徳」と取る風潮が広がっている。
 生活困窮者の餓死や自殺も後を絶たない。厚生労働省の人口動態調査では1995〜2011年の「食糧不足」が原因の死者は1129人いる。
 安倍政権は8月から生活保護基準を3年かけて段階的に引き下げる。保護を受ける人の親族の扶養義務強化も検討している。これは事実上の憲法25条の解釈改憲だと思う。
 高齢者や障害者が多い保護受給者にとって月額数千円の引き下げは極めて深刻だ。夏の暑さをしのぐ冷房代を切り詰めれば、生命の危機につながりかねない。資産のある家族に頼れといっても、配偶者や親から暴力や虐待を受け、家族に居所を知られれば身に危険が迫る人もいる。
 生活保護法は1946年の制定当初、「勤労意思のない者」「素行不良者」「扶養義務者が扶養をなし得る者」を保護対象から排除したが、4年後の50年の改正で無差別平等の原則を確立した。今回の見直しは時計の針を60年以上前に戻すものだ。
 自民党憲法改正草案で「家族は、互いに助け合わなければならない」(24条)と規定した。東日本大震災で「絆」の大切さが強調されたが、家族や地域の自発的な支え合いを政治が利用し、政治が果たすべき責務を果たしていないと感じる。草案では基本的人権の普遍性に関する条文(現憲法第97条)が丸ごと削除されているなど、個人の人権を尊重する姿勢も大きく後退している。
 私たちの「もやい」には生活困窮者からの相談が毎年1000件くらいある。相談者の年齢は多様化しており、児童養護施設を出て仕事が見つからない10代の若者から80代の年金生活者まで来る。
 「税金を投入している制度の利用者はある程度、人権を制限されても仕方がない」と主張する政治家もいる。だが、その論理を認めれば、医療・介護・年金を含めた社会保障制度全般に影響が及ぶ。政府の社会保障制度改革国民会議では社会保障費抑制に向けた議論も始まっている。
 憲法改正論議とともに生活保護制度が後退すれば、人々の命と暮らしを支える全ての制度が利用しづらくなりかねない。【聞き手・青島顕】
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【主張】憲法96条改正 国民の判断を信頼したい
産経新聞 2013.5.11
 憲法96条が定める改正の発議要件を緩和せず、現行の衆参両院の「3分の2以上」のままにするという意見が提起されている。
 これは憲法改正を求める多くの国民の意向をないがしろにし、現実離れした「不磨の大典」を守り抜く硬直的な姿勢と言わざるを得ない。
 「3分の2以上」の条件を必要とする米国が制定以来18回、さらに戦後のドイツが59回の改正を重ねていることを、96条改正反対の理由としている向きがあるが、いずれも国民投票を求められていないことを指摘したい。
 国民投票過半数の賛成を得るというのが、いかに重い条項であるかを認識すべきだ。
 現行憲法があまりにも現実と乖離(かいり)していることは、周辺情勢を見れば明らかだ。尖閣諸島の奪取に動く中国や、日本への攻撃予告までする北朝鮮を前にしてなお、自らの安全と生存を「平和を愛する諸国民」に委ねるとしている前文が、そのことを象徴している。
 制定以来、改正が行われていない成文憲法として世界最古であることも、内外の多くの問題への処方箋を示せなくなっている現状につながっている。
 衆院憲法審査会では、自民、維新の会、みんなが96条改正に賛同し、公明、民主が96条の先行改正に慎重な姿勢だった。共産、生活は反対の立場を表明した。
 自民党が「衆参のいずれか一院で3分の1超が反対すれば改正は発議できず、憲法に国民の意思が反映されなくなる」と主張したように、「3分の2の壁」が憲法改正を阻止していることが問題なのである。
 発議要件を「過半数」に引き下げることで、改正への民意をくみとることができるという考えは極めて妥当なものだ。
 これに対し、慎重派や反対派は「時の政権によって憲法が簡単に変えられることになる」と強調したが、こうした主張は憲法改正の可否が最終的には国民投票で決せられる点を無視している。
 民主党などが「改正の中身の議論が欠かせない」と指摘するのもおかしい。自民党は改正草案で「天皇は元首」「国防軍の保持」など具体案を示している。議論を欠いているのは民主党である。
 国民が憲法を自らの手に取り戻すため、発議を阻んでいる壁を取り除かなければならない。
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【社説】憲法96条改正論 ハードル下げる危うさ
東京新聞 2013年5月10日
 「国の在り方」を定める憲法は、その時々の国会の多数派の意思によって安易に改正されてはならない。衆参両院とも三分の二以上の賛成が必要という憲法改正の発議要件は、緩和すべきものでもない。
 憲法九条などに比べれば、改正手続きを定めた九六条をめぐる議論がこれほど熱を帯びたことは、かつてなかったのではないか。
 九六条は「この憲法の改正は、(衆参)各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」と定めている。改正論は「三分の二以上」を「過半数」に緩和しようというものだ。
 九日の衆院憲法審査会では各党が九六条改正について初めて正式に意見表明した。自民党日本維新の会みんなの党が賛成、共産党と生活の党が反対を明言。民主党は九六条の先行改正に反対し、公明党は改正に慎重姿勢を示した。
 九六条改正をめぐる議論が活発化したのは、憲法全体の改正を目指す安倍晋三首相が、九六条を他の条項に先行して改正するシナリオを描き、夏の参院選の争点にしたいと明言したからだ。
 改正のハードルさえ下げれば、あとは政権党の思うがままに改正できるという下心があるのなら、見過ごすわけにはいかない。
 日本国憲法の三大原則は国民主権基本的人権の尊重、戦争放棄だ。これは太平洋戦争という大きな犠牲を払って日本国民が手にした人類普遍の原理でもある。発議要件を緩和すれば、その時々の多数派により、こうした不可侵の原則にも改変の手が及びかねない。
 自民党など改憲派は「世界的にも改正しにくい」と主張するが、三分の二以上という改正要件は国際的に妥当な基準だ。
 米国は連邦上下両院の三分の二以上の賛成に加え、四分の三以上の州議会の承認が要る。ドイツも両院の三分の二以上の賛成が必要だ。改正要件が厳格な「硬性憲法」は民主主義国家の主流である。
 改正を繰り返す他国に比べ、日本が改正に至らなかったのは要件の厳しさではない。憲法を変えるよりも変えないことによる国益の方が大きいと、先人が判断したからにほかならない。
 もし改正が必要という政党があるのなら、その中身を国民に堂々と訴え、衆参両院で三分の二以上の議席を得る王道を歩むべきだ。
 改正の中身を棚に上げ、手続きだけを先行して変えるような邪道にそれては、決してならない。