不思議の国の自転車

 自転車ブームがつづいているそうでここ数年で大型チェーン店が目につくようになった。私もオートバイを手放して以来、家から20km圏内はもっぱら自転車で移動しており、すっかり身軽な暮らしの相棒になっている。構造がシンプルなので手入れをしてやるとそのぶんよく走るようになるのもわかりやすくていい。ただ、ブームに乗って自転車やグッズを売りたい業者とそれに乗せられた自転車乗りたちが嘘だらけの奇妙な煽り文句を流通させているのは気になるところである。ここではそうした自転車をめぐるお伽噺を挙げてみます。

 

・自転車は渋滞に巻き込まれてもスイスイ!

 いったいそれはどこのワンダーランドの話だろうか。日本ではほとんどの道路に自転車専用車線がないので、クルマが渋滞していれば必然的に自転車も巻き込まれる。また、幹線道路の場合、5台に1台は工事用の大型車両なので、クルマの左側をすり抜けることも困難で、排気ガスを浴びながらダンプの後ろにつくことを余儀なくされる。さらに前後を大型車にはさまれてしまうともう逃げ場すらなくなり、スイスイどころか非常に危険である。自転車の車道走行は道路環境が整備されていないぶん、クルマと同じペースで走行できるオートバイよりもむしろ交通事故のリスクは高い。渋滞など関係ないというのは、車道と歩道を行ったり来たりしながらクルマをすり抜け、赤信号も無視して突っ走る無謀運転の自転車だけである。

 

・片道5kmの自転車通勤で楽々ダイエット!

 たかだか5kmの自転車通勤でみるみる体重が減ったとしたら、それは健康上きわめて深刻な状態なので、即、病院へ行って診てもらったほうがいい。自転車の運動強度は案外低く、平らな道を25km/h以下でだらだら走っているのなら散歩程度の負荷にすぎない。週五日自転車通勤したところで体重はほとんど変わらないだろう。食事制限もせず他の運動も一切せず、片道5kmの通勤だけで体重を落としたいと本気で思っているのなら、行きも帰りもランニングするべきだ。慣れてきたら最後の1kmは全力疾走。それくらいの負荷をかけなければ片道5km程度では運動にならない。自転車で痩せたと言っている人たちに共通しているのは、額から汗がしたたり落ちるくらいの運動強度で週に200kmも300kmも自転車で走るという暮らしを何年も継続していることだ。もっともその運動量はフルマラソンを3時間台で走る人のトレーニングと同じくらいなので、そりゃあそれだけ体を動かしていればどんな運動だろうと体脂肪が落ちてくるのは当たり前といえば当たり前の話です。


・自転車に乗ることはランニングよりも有酸素運動としてずっとすぐれている!

 自転車とランニングの両方を本格的に取り組んでいる人は少ないため、本の解説やネットの発言はたいていどちらか一方のひいきになりやすい。自転車関係者は自転車に乗ることの良い点ばかりを挙げ、ランニング関係者は走ることの良い点ばかりを挙げ、公平性を欠いたまま互いに布教活動をしているという感じ。私はここ何年か自転車で30km走ったあと8kmのジョギングをするという生活を続けているが、その経験から自転車運動の長所・短所をあげると次のようになる。

 良い点

  1. 遠くまで行ける。
  2. ランニングとくらべて、ひざへの負担が少ない。
  3. 自転車で遠出すれば、運動と旅行が同時に楽しめる。
  4. 近所に峠や長い坂があるなら、自転車での坂登りは結構いい運動になる。
  5. 機材が介在するので、機械いじりが好きな人は整備・調整も楽しめる。

 悪い点

  1. 初期費用が最低でも5万円くらいかかる。
  2. 車道を走ることになるため、走行中、クルマから幅寄せされたり、煽られたりすることが多く、しばしば不愉快な思いをする。そうした運転は本来、危険運転行為に該当するのだが、車道を走っている自転車を目の敵にしているドライバーは少なくない。
  3. 転倒のダメージはランニングよりもはるかに大きい。
  4. 信号機だらけの都市部に暮らしている場合、自転車に乗っている時間の半分は信号待ち。
  5. 時間あたりの消費カロリーはランニングの半分以下。
  6. ランニングはほとんどのスポーツの基本動作になるが、ペダルを漕ぐ運動が上達しても他に応用がきかない。
  7. 機械いじりが苦手な人にとって自転車のメンテナンスは苦行。
  8. 自転車の愛好家には「ねばならぬ」式の発言をする偏狭なオタクが多く、コミュニティは運動を大らかに楽しみたい人には不向き。

 メリットとデメリット双方あるが、機材が介在するぶん、自転車のほうがランニングよりもどうしても敷居が高くなる。ときどき「はじめから高価な自転車を買ってしまえば後々運動を続けるモチベーションにもなる」という発言を耳にすることがあるが、もし本気でそう言っているのだとしたら、ヒトをモノの奴隷におとしめる発想である。まあたいていは高い自転車を売るためのセールストークなんだろう。また、楽しみや体力作りのために運動するのなら、その日の気分や体調にあわせて自分のペースで体を動かせばいいはずなのだが、自転車乗りはランナー人口よりも全体のパイが小さいぶん愛好家のグループも競技志向が強くなりがちで、「速いほどエライ」というヒエラルキーを形成しやすい。というわけで、運動不足解消や減量が目的なら、手軽にできるランニングのほうが向いている。とくに都市部に暮らしている場合、ほぼ100m間隔で信号があるので、自転車の市街地走行では信号ダッシュと信号待ちのくり返しになってしまい、有酸素運動としての効率は著しく低下する。市街地を数分ごとに信号待ち休憩をはさみながら自転車で2時間走るより、休まずに1時間ジョギングしたほうがずっと運動効率はいい。逆に田舎暮らしで近所に買い物に行くにもクルマという生活をおくっているなら、自宅から半径5km圏内の移動を徒歩、15km圏内を自転車に切り替えれば、それだけで運動不足解消と環境対策の両方が同時に実現しますってまあこれもごく当たり前の結論ですね。


ロードバイクはあなたの行動範囲を大きく広げる!

 確かにきちんと整備されたロードバイクはまるで路面を滑空するように走る。ホームセンターの9800円ママチャリしか乗ったことのない人はきっと驚くだろう。しかし、ロードバイクはあくまでレース用の機材であって日々の生活の相棒にはならない。たとえば、「せっかく良いバイクを買ったんだから」と週末に日帰りのツーリングに出かけたとする。6時間せっせとペダルを漕ぎ、汗をかいて埃や排気ガスも浴びたので、帰りに銭湯へ寄ってひとっ風呂浴びようと思いついた。名案だ。まだ明るいうちに入る銭湯の広い湯船はさぞや極楽だろう。高いところの窓から夕日が差してきて富士山のペンキ絵が赤く染まったりしてさ。でも、まもなく風呂屋の入り口に停めた30万円のカーボンバイクが気になりはじめる。盗まれやしないか、悪戯されやしないか、勝手に動かされてひっくり返されたりしないかと。ロードバイクは軽く精密に作られているぶんデリケートなので、ちょっとぶつけられただけでも当たり所が悪いと、即、調子が悪くなる。買ったばかりの高級車は帰り道に変速機からガラガラと不快な音をたてはじめるだろう。それを思うとおちおち湯船にも入っていられない。で結局、やっぱり銭湯はまた今度にしようとあきらめる。また別の休日、「せっかく高いの買ったんだから」と少々足を伸ばして古本屋の梯子をしようと思い立ったとする。しかし、店に着く度に自転車をワイヤーロックでぐるぐる巻きにする手間を思うと気が重くなる。それにたとえフェンスに三重にくくりつけたとしても盗難や悪戯を完璧に防げるわけではないので、やはりおちおち本も選んでいられないだろう。で結局、やっぱりクルマで行けるブックオフでいいやとなる。こうなるともう完全に本末転倒で、行動範囲を広げるどころか高価な自転車がかえって行動の自由を束縛することになる。レース用の機材であるロードバイクの用途は峠と家の往復しか存在しない。レースに出場するつもりがないのなら無用の長物だし、自転車は身軽な暮らしの相棒であってほしいと思っているのなら、それは「くびき」以外の何物でもない。


ロードバイクは自転車の王様である!

 自転車には用途に応じて「種類」があるだけだと思っていたのだが、自転車の国にカースト制度があったとは驚きである。しかし、ロードバイクにはなんら生産性はない。労働生産性という点では豆腐屋のリヤカー付き自転車やヤクルトレディの電動アシスト自転車のほうがはるかに上等な存在である。それともこれは「働かない」という意味で貴族的だと言ってるんだろうか。ヨーロッパの自転車ロードレースは、ボクシングと同様に一攫千金を夢見る貧しい労働者階級の青年が大怪我のリスクと隣り合わせに競い合うイベントとして広まっていったものだが、なぜか日本では小金持ちのおじさんたちの気どった趣味として普及したせいか、この手の鼻持ちならない発言をよく耳にする。彼らが実用車を見下すのは、ちょうどフライフィッシングに興じている旦那衆が生活のために魚を捕っている漁師を馬鹿にするのと一緒で、きわめてタチが悪い。フライフィッシングロードバイクも旦那衆の道楽にすぎず、なにも生み出さない。もっとも、だからといって「やめろ」とはいわない。たいていの娯楽に生産性などないし、周囲に多少の迷惑をかけるものだからだ。あなたが用もないのにクルマでドライブに出かければ大気汚染や交通渋滞の原因になるし、山登りをすれば遭難して他人の手を煩わせることもある。あるいは夕暮れの公園で気分よくスケボーに乗ってトリックを決めていれば、近所の住民からうるさいと苦情が来るだろう。この社会は「人に迷惑をかけない」という道徳的命題が大好きだが、他者に一切迷惑をかけられない社会ほど息苦しいものはない。なので、周囲に多少気兼ねしながらそれらの非生産的行為をささやかに愉しんでいるぶんには、いずれも悪くない趣味だと思う。ただ、その成果を得意げに吹聴するのは無意味だし、その非生産的行為に特権意識を抱くのは愚かだ。あなたが草レースで表彰台に乗ったところで、難民キャンプのこどもたちが救われるわけではないし、核廃絶が実現するわけでもない。もちろん我が家の今晩のおかずが一品増えるわけでもない。まあ、オリンピックで表彰台に乗れば、テレビ局とナショナリストたちは「感動をありがとう!」と盛大に感激してくれるかも知れないけど、それは20世紀にナチス国威発揚のためにはじめた政治手法である。


・自転車のベルは使わない!

 自転車のベルはクルマのクラクションに相当するもので使い方も一緒である。もっぱらクルマのクラクションの使い方は「邪魔だ、どけよ!」と「おせーな、早く行けよ!」のふたつだが、もちろんこれは誤りで、交通事故を回避するために注意喚起をするのが本来の用途である。たとえば、向こうから携帯電話を見ながらふらふらと蛇行している自転車がやって来たとする。こんな時、じゃりン子チエのテツのように「どこ見てんのんじゃこのど阿呆!前見て運転せんかいボケナス!」と怒鳴るより、ベルを鳴らして前方への注意をうながしたほうがスマートである。また、中学生の集団が道いっぱいぞろぞろと横に広がって通行を妨げていたとする。やはり「おんどりゃインベーダーゲームか!一列縦隊で歩かんかいマヌケ!」と怒鳴るより、ベルを鳴らしたほうがスマートである。他にも脇道からいきなり飛び出してくる自転車やら右側を逆走してくる自転車やら信号無視して横断しようとする年寄りやら、ベルの使いどころは結構たくさんある。むしろ問題は、ベルの音が小さくてクルマのドライバーに聞こえないことのほうである。肩に接触しそうなくらいすれすれの間隔で強引に追い抜いていくクルマやウィンカーを出さずにいきなり左折しようとするクルマには、それが危険行為であることを喚起させたくても、自転車のベルの音はドライバーに届かない。なので、クルマのクラクションと同じ音量の電子ホーンを自転車にも装着したいところである。自転車で車道を走る際には、クルマを運転しているときよりも怖い思いをすることが多いので、ホーンを使う機会も多いだろう。もっとも、こういう自己中心的な運転をするドライバーは自転車側から注意をうながされると逆に暴れ出しそうなので、自転車乗りは護身術も身につけてほうがいいような気がする。アスファルトジャングルで生きのびるのは色々大変である。ちなみに東京の京王バスは、前を自転車が走っていると道幅が狭かろうがバス停直前だろうが何が何でも追い抜こうとしてクラクションを鳴らしながら右からかぶせてくるにもかかわらず、バスの後部には「左側すり抜け危険」という大きなステッカーが貼ってあったりする。喧嘩売ってんのかてめえ。CSRって言葉、知ってる?


・105以下のコンポなんて話にならない!

 うるせえよ。あ、「105」というのは、シマノという大阪の機械メーカーが製造・販売している中くらいの価格帯の自転車部品のブランド名です。クルマもオートバイも降りて自転車生活をしている私にとって、自転車の魅力はモノへの執着から開放されて清々した気分になれるところにあると思っているのだが、意外なことに自転車の愛好家には、所有を束縛ととらえるスナフキン的自由人よりもモノマニアの機材オタクのほうが多いみたいなのである。彼らはモノマニアの常として大量生産された工業製品に物神性を見出そうとする。自動車マニアがポルシェの水平対向六気筒エンジンを美術品のように扱い、オーディオマニアが500万円のスピーカーをヴィンテージワインにたとえるのとまったく同じ調子で自転車マニアは高級パーツの魅力を語る。息苦しいなあ。いい歳しておもちゃ大好きっていうのは「恥ずかしながら」の性癖のはずで、そんな自分を自嘲気味に笑っているうちはまだ可愛げがあるが、得意げに吹聴するようになると困った人である。そもそも自転車の最大のパーツは自分のカラダなんだから機材の蘊蓄を語るより先にてめえのカラダを鍛えるほうがずっと有意義のはずだが、もちろんそんな身も蓋もない言いぶんは物神性の崇拝者には通じない。まあこれも先の生産性の話と一緒で、夜中にガレージで自転車をなで回しながらひとり悦に入って一杯やったりして、「ああわたしの愛しいしと」なんてつぶやいてるぶんには、気持ち悪いけどそれ以上の害はないので勝手にどうぞというところだが、周囲の人たちやネット上に「ねばならぬ」式話法で自らの審美眼を押しつけがましく披露するようになるときわめて有害である。


・自転車が趣味ならお金をかけるのは当たり前!

 否。それはただの悪趣味である。


・9kg以上の自転車なんて自転車じゃない!

 否。つべこべ言ってないでまずは体脂肪をヒトケタまで落とそう。機材の軽量化はトレーニングで身体を絞った選手が最後に手をつけるべきものだ。えっ、レースはやってない?ちょっと何を言ってるのかわからないんですが、レース用途でないのに機材の軽量化にこだわるっていうのは不思議の国の作法かなんかでしょうか。

 

・室内保管は絶対!

 この手の発言をする人はやはりたいていがロードバイクの愛好家だ。まあぬかるみに突っ込んで泥だらけになったマウンテンバイクやツーリングバイクを室内に持ち込もうとは思わないもんね。それにしてもロードの愛好家は神経質なのが多すぎるんじゃないか。私たちはモノの奴隷ではなく、自転車はどんなに高価なものでも移動のための手段にすぎない。ヒトとモノの関係において主従を逆転させるその倒錯的行為にきっと家族は顔をしかめているだろう。彼らによると自転車を屋外に出しておくと雨や埃や紫外線で痛むのだそうだ。でもさ、自転車は屋外で走らせるものだよ。雨や埃や紫外線くらいでダメになるのならそれは自転車としての用をなさない。あなたが不幸にしてそんなやわな自転車を買ってしまったのならさっさと手放したほうがいい。きっとモノに振りまわされる生活が改善して家族からも歓迎されるはずだ。もっとも不思議の国の住人たちは、そのうち「自転車を屋外で走らせるなんて」と言い出すのかもしれない。また、彼らは自転車を屋外に置いておくと盗まれると主張する。でも、それは彼らの自転車がワックスとつや出し剤で磨き上げられ、常にピカピカのコンディションを保っているからだ。もしその自転車が泥だらけになっていて一見したところ動くのかどうかも怪しい状態だったら、常習犯も魔が差した者もわざわざ他人の敷地に入り込んで自転車を持ち去るようなリスクは冒さないだろう。自転車をわざと泥だらけにして製造メーカーもわからないくらい汚らしくしておくというのは、昔から自転車旅行者にとって泥棒よけのもっとも手っ取り早い手段である。私は古いマウンテンバイクをもう25年以上カギをかけずに玄関先に停めているが、盗まれたことは一度もない。フレームはそこら中にすり傷や錆があるし、元の色がもうわからないほど退色しているが、使い込んだあとだと思えば気にならない。自転車は見た目がどんなにみすぼらしくなっても駆動部さえ定期的にメンテナンスしていれば問題なく走る。最近、前後ホイールをはじめとして駆動系一式を新しくしたので、この25年間でもっとも調子がいい。なによりわざわざ汚さなくてももはや盗まれる心配がないのはすごく便利だ。本屋の駐輪場に停めて3時間立ち読みしても平気だし、出先で酔っ払って自転車を駅前の無料駐輪場に一晩置きっぱなしにしても翌日取りに行けばちゃんと同じ場所に停まっている。サイコー。まあ、買ったばかりの高級車を外に置いて汚れるのはイヤというのはわからなくもないけどさ、そのバイクが10年後も20年後も買ったときのままピカピカだったら味気ないよ。ちなみにヨーロッパ諸国や北米ではマウンテンのほうがロードよりも倍ちかくマーケット規模が大きい。日本のようにロードの圧倒的優勢がつづいているのはかなり特殊な状況で、その理由は神経症的なモノマニアが多いからじゃないかと思う。


・ヘルメット着用は自転車乗りの最低限のマナーである!

 大笑いである。いつからヘルメット着用がマナーの問題になったんだ。ヘルメットをかぶらずに自転車に乗ることは、無灯火で夜間走行したり、スマホ片手に右側を逆走したりする行為とは異なり、交通事故を誘発するものではない。また、狭い道で向こうから来た歩行者がわざわざ脇に寄って道を譲ってくれたのに頭も下げないといった礼儀知らずの行為とも異なる。ヘルメットの着用は、万が一の交通事故にそなえて自らの衝突安全性をどの程度確保したら良いのかという純粋にテクニカルなテーマであって、交通マナーとはまったく関係のない事柄である。要するにてめえの身がかわいいからヘルメットをかぶっているだけのことなので、とりたてて威張るようなことではないし、そうでない人間に文句を言うようなことでもない。両者を混同して、社会道徳の観点からノーヘルを糾弾するのは明らかにお門違いであり、愚かである。もしもヘルメット着用がマナーの問題だとしたら、近所のスーパーに買い物に行くにもフルフェイス・ヘルメットに全身プロテクターのフル装備でかためている人は、お釈迦様かイエス様のように品行方正な人物として礼賛されねばならないはずである。
 ヘルメット着用がテクニカルな議題である以上、着用するかどうかはそれぞれ自分で判断すればいいことである。プロの自転車レーサーの格好だけをまねて、穴だらけの華奢なヘルメットとぴたぴたの自転車ウェアを「正装」だと思い込んでいる人はたんなる思考停止にすぎない。自転車用ヘルメットは魔法の兜ではない。万全を期したい人は、大型オートバイに乗るような頑丈なフルフェイス・ヘルメットとハード・プロテクターの入ったジャケットを着用すれば良いし、そんなの煩わしいという人はなにもつけずに乗ればいい。多少は備えておきたいという人は、その両極端の間から必要だと思う装備を選択すればいい。いずれにせよ、自転車に乗る際にどの程度の衝突安全性を確保したら良いのかといった問題は、自分で判断すべきことであり、他人や法律に強制されるようなことではない。同様にオートバイのヘルメット義務化やクルマのシートベルト義務化も、テクニカルな議題をマナーの問題にすり替えたことによる誤謬であり、本来、国家が法律で強制するような事柄ではないはずである。ちなみに風車とチューリップと自転車の国として知られるオランダの場合、自転車用ヘルメットは不要と見なされており、かぶっているサイクリストはほとんどいないとのことである。個人的には、市街地走行では、ヘルメットをはじめとする衝突安全対策よりも、反射板を増設したり反射材のついた服を着るなどしてクルマのドライバーからの視認性を上げ、事故回避にウェイトを置くほうが安全対策として効果的だと考えている。なので、反射板をすべて取り払ってしまい、小さな尾灯だけで市街地を走っている人物が「ヘルメット着用は最低限のマナーだ」なんて言うのは「私はバカです」という札を首からぶら下げているように見える。逆に自転車のロードレースの場合、市民レースもふくめて、集団での高速走行が不可欠になるため、ヘルメット着用が義務づけられているにもかかわらず、毎年、落車で大勢の死傷者を出している。選手が骨折するような大事故がこれほど頻発する競技は他にないんじゃないだろうか。ロードレースの場合、レギュレーションにフルフェイス・ヘルメットと胸部・脊椎プロテクターの着用が入っていないのは合理性を欠いているように見える。


・ヘルメットをかぶれば自転車事故の死亡率は四分の一になる!

 この主張は日本の警察と自転車関連業界がさかんに展開しているヘルメット着用の推進キャンペーンのものである。しかし、自転車の交通事故で亡くなった人のうち頭部損傷の割合は六割程度である。たとえヘルメットが頭部への致死的ダメージをすべて防いでくれたとしても死者は六割しか減らず、「死亡率は四分の一になる」という言いぶんはあきらかに水増しである。この四分の一という数字の根拠になっているのは、警察の外郭団体である交通事故総合分析センターが発表した次のレポートである。
https://www.itarda.or.jp/itardainfomation/info97.pdf

 このレポートの図12と表1では、2007年から2011年にかけての五年間に自転車の交通事故で頭部損傷を負った死傷者について、ヘルメット非着用者と着用者を比較している。非着用者が死傷者94922人のうち死者2121人で割合は2.2%。それに対して着用者は死傷者4697人中死者27人で割合は0.5%となっており、ヘルメットを着用することで死者の割合が四分の一になったというものである。つまり、四分の一というのは頭部損傷に限定した数字であり、自転車事故で頭部損傷を負った人の総数約10万人のうち、すべての人がヘルメットをかぶっていたら死者は500人程度になるというデーターである。それをヘルメット着用によってあたかも自転車の死亡事故総数が四分の一に減るかのようにキャンペーンを展開するのは、数字の捏造である。くり返すが、自転車用ヘルメットは魔法の兜ではない。
 では、自転車の交通事故全体で見るとどうなるのか。このレポートの図10によると、2009年から2011年の三年間で死者は1981人、そのうち頭部損傷による死者は1265人となっており、はじめに指摘したように自転車の死亡事故に占める頭部損傷の割合は約六割である。もしこの人たちがすべてヘルメットをかぶっていたら、頭部損傷の死者は約300人、全体の死者数は約1000人となり、全体での減少率は約五割となる。ただ、このレポートでは、ヘルメット着用でどの程度ダメージが軽減されたかは触れられていない。自転車用の華奢なヘルメットが死に至るほどの深刻なダメージを完全に防いでくれるというのは非現実的なので、ヘルメット着用によって重軽傷に緩和されたというところだろう。ヘルメットが頭部への衝撃緩和に効果があるのは紛れもない事実なので、よりダメージを軽減したいのなら自転車に乗る際にもオートバイ用の頑丈なフルフェイス・ヘルメットを常用すればいいということになる。また、この交通事故総合分析センターのレポートでは、ヘルメットの有用性を訴えるために頭部損傷にばかり着目しているが、交通事故による脊椎損傷で寝たきりや車イス生活を送っている人もいるはずである。こちらの対策としては、エアバッグジャケットや胸部プロテクターの着用が有効である。
 では、そもそも自転車を利用する人のうち一年間に死亡事故に遭遇する確率はどのくらいなのか。警察庁の発表した統計データによると一年間の自転車による交通事故の死者数は最近ではだいたい600人前後で推移しており、先の交通事故総合分析センターの古いデーターより減少している。

  ・2013年 604人

  ・2014年 542人

  ・2015年 577人

http://www.garbagenews.net/archives/2047920.html

 また、交通事故全体の死者数は、1970年の16765人をピークにその後減少し、近年は年間4000人くらいで推移している。
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikokoutsu

 一方、分母のほうの自転車の利用者は国内にどのくらいいるのか。総務省の報告書では、日本で暮らしている人のうちふたりにひとりが自転車を保有し、通勤・通学で利用している人は14.6%である。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000354710.pdf

 通勤・通学以外に買い物やレジャーも含めると日常的に自転車を利用している人の割合は二割から三割にのぼるだろう。四人にひとりが日常的に自転車を利用していると仮定してその数は約3000万人。この人たちが一年間自転車に乗って死亡事故に至る確率は3000万分の600。もしもすべての人がヘルメットをかぶって自転車に乗るようになれば3000万分の300ということになる。これをパーセントで表すと大多数がヘルメットをかぶっていない現状で約0.00002%、すべてヘルメット着用で約0.00001%となる。先の約50%という死亡事故の減少率だけを取りあげればヘルメットの効果は絶大に見えるが、一年間に死亡事故に遭遇する確率も含めて算出するとヘルメット着用による生存率向上はわずか0.00001%の差すぎない。警察とヘルメットメーカーと保険会社はすべての自転車利用者の頭にヘルメットをかぶせたいのだろうが、この数字では説得力にとぼしいように見える。日本よりもずっと自転車の交通環境の整備されたオランダで、自転車用ヘルメットが不要と見なされているのもうなずけるところである。もちろん、この0.00001%死亡率が減少するという数字から、「たとえわずかでも交通事故で死ぬ確率を減らせるのならヘルメットをかぶろう、頭部損傷や脊椎損傷で重大な後遺症を負うことのないよう常に頑丈なフルフェイス・ヘルメットと胸部プロテクターを着用しよう、歩行中の交通事故だってゼロではないんだから外出の際には常にフルフェイス・ヘルメットをかぶろう」と受けとめる人がいてもいい。ただ、その判断はヘルメットやプロテクターの効果と煩雑さとを天秤にかけた上で本人がすべきものだ。ヘルメット着用の義務化は、自宅の玄関にカギをかけない者を法で処罰しようとするのと同じであり、著しく合理性に欠ける。もしヘルメットをかぶらない者を全体の利益の立場から他者が道徳的に糾弾するとしたら、それはファシストの社会である。
 もちろん、ヘルメット必要論を展開するのも、ヘルメット不要論を展開するのも各自の自由である。それが衝突安全性をどの程度確保するべきかというテクニカルな議論である限り、自らと異なる考えを耳にしても腹をたてるようなことはないだろう。両者の言い分は自転車に乗る者にとってヘルメット着用の判断材料になるはずだ。ただし、この問題について、「推進キャンペーン」や「全廃キャンペーン」のような他者への強制がともなう主張は大きなお世話であり、慎むべきである。