論述問題 原子力エネルギーのPRポスター

 8年前にちらのブログに書いた原子力発電のポスターを資料にして、授業用の論述問題を作成しました。

 

 元記事はこちら。

 https://box96.hatenablog.com/entry/20110406/1301977771

 

 今回作成した課題は次の通り。

 

 日本では、2011年の福島第一原発事故まで、国をあげて原子力発電を推進してきたため、原子力エネルギーのPR活動にも力を入れてきました。毎年、政府だけで70億円、電力会社や外郭団体もふくめると数百億円の資金が投じられ、様々なポスターやコマーシャルが大量に制作されてきました。次のポスターはそうした原子力エネルギーをPRするものです。

 

 

 

 

 

 上の3枚のポスターは、文部科学省経済産業省が主催した原子力ポスター・コンクールで優秀賞や入選などに選ばれた作品です。小学生を対象としたこのコンクールは2010年まで毎年開催され、受賞した作品はいずれも「原子力で笑顔」「原子力は地球を守る」「原子力すごいぞ」「原子力で明るい未来」という原子力エネルギーを讃える(たたえる)メッセージが込められています。こうしたポスターは印刷され、博物館をはじめとする様々な公共施設に展示されました。また、政府は10月26日を「原子力の日」としており、この日には鉄道車内の中吊り広告がすべてこどもたちの原子力ポスターで埋め尽くされるといったこともありました。
 下は四国電力の制作した商業広告用のポスターです。「プルサーマル」というのは、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムによって再び核燃料をつくり、再使用するというものです。プルサーマル方式の原子力発電を実現させることで核燃料のリサイクルを行い、ひまわりのような大輪の花を咲かせようというメッセージが込められています。
 原子力発電の是非のような世論を二分する問題について、政府や電力会社が巨額の資金を投じて推進の立場からPRすることについて、あなたはどのように評価しますか。次のAとBの参考意見を読み、あなたの考えを述べなさい。

 ただし、「自分は原子力発電に賛成だからポスターにも賛成」「原子力発電に反対だからポスターにも反対」という主張はしないこと。それは「自分と同じ考えなら表現を認める」「自分と違う考えは表現を認めない」といっているだけなので、表現の自由そのものを否定する姿勢です。原発の是非についてのあなたの考えはいったんわきに置いて、政府や電力会社のような公的な団体が税金や公共料金を使って政治的宣伝を行うことの是非を論じてほしい。

 

A 支持する。
 「原子力エネルギーの平和利用」は、2011年に福島第一原発事故がおきるまで、日本政府の方針だった。国の方針である以上、政府がPR活動に力を入れるのは当然である。原子力発電のような巨大プロジェクトは、国家事業でなければ実現できないものであり、いったんやると決めたからには、ポスターやコマーシャルを通じてメッセージを発信し、できるだけ多くの人々の理解を得られるよう努めることは、政治をあずかる政府の責任である。
 日本は議会制民主主義の国であり、人々は原子力発電の推進をとなえる政党を選挙で選んできたのである。原子力発電の推進を選挙公約にかかげて選挙に勝った以上、それを政府の方針とすることは議会制民主主義の基本原則といえる。したがって、政府が原子力エネルギーのPR活動に力を入れてきたことは民主的手続きに基づくものであり、ポスターの表現だけを取りあげて、独裁国家プロパガンダのようだと批判するのは的外れである。
 日頃、原子力発電に興味のない人は、これらのポスターを目にすることで、原子力エネルギーについて考えるきっかけになるだろう。また、誤った認識から原子力発電を不安視している人々は、原子力エネルギーを正しく理解し、根拠のない不安を解きほぐすきっかけになるだろう。つまり、原子力エネルギーのPR活動は、一方的に政府の方針を押しつけるためのものではなく、原子力発電に興味を持ってもらい、正しく理解してもらうためのきっかけづくりであり、日本のエネルギー問題を多くの人々に考えてもらうための啓発活動といえる。

 

B 支持しない。
 選挙による多数決が民主主義のすべてではない。原子力発電の是非について国民投票をしたわけでもないのに、政府が一方的に推進のPRをして人々をしたがわせようとするのは、独裁国家のやり方である。
 民主社会においてもっとも重要なことは、ひとりひとりが見識を深め、社会問題について自ら能動的に判断することである。そのため、政府には、人々が様々な角度から検討できるよう情報公開をすすめていくことが求められる。ところが、これらのポスターは、原子力発電について、「みんな笑顔」「地球を守る」「未来をはこぶ」「ひまわりのような大きな花を咲かせる」と一方的に賛美するメッセージでしかなく、人々が原子力発電への理解を深める役割をまったく果たしていない。
 原子力発電を推進するメッセージは、2011年に福島第一原発が事故をおこすまで、至るところで目にした。郵便箱を開けると「原子力はクリーンエネルギー」と書かれた電力会社のチラシが入っており、電車に乗ると中吊り広告には「原子力でベストバランス」のポスター、テレビをつけると「原子力は地球環境に優しい」というコマーシャルが流れ、さらには野球場の看板にまで原子力発電を推進するメッセージが掲示されていた。こうした大量のメッセージを人々に浴びせるやり方は、いわばソフトな洗脳であり、人々の思考力をマヒさせ、主体的な判断をさまたげる。だからこそ、独裁国家では、世論を操作するために、政策推進のスローガンをとなえるポスターが町中に貼られるのである。
 ナチス時代のドイツでは、「我らの総統を讃えよう」というヒトラーを賛美するポスターが町中に貼られ、ソ連では、「五ヵ年計画を実現させ、輝かしい未来をひらこう」という共産主義体制を賛美するポスターが貼られた。いまも北朝鮮では、「核保有国の誇りを持とう」という核戦略の推進をとなえる垂れ幕が大通りにかかっている。
 原子力発電の是非のような賛否の分かれる社会問題について、政府と電力会社が巨額の費用を使って世論を誘導しようとしてきたことは、独裁国家プロパガンダの手法であり、民主的な政府のやるべきことではない。民主社会において、重要な社会問題を判断する主体は、政府ではなく、私たちひとりひとりである。政府は私たちが決めたことをすすめるための装置にすぎない。そのことは、原子力発電の是非に限らず、東京オリンピックの開催や消費税の引き上げといった問題についても同じことがいえる。