奴隷商人像の撤去

 Black Lives Matter運動をめぐる奴隷制度に関わった人物の銅像撤去について、論述問題を作成した。撤去の是非は、像を歴史的遺産ととらえるか、それとも政治的シンボルととらえるかが別れ目。AとBの参考意見を読み返してみたところ、どうにもAが弱い。参考意見について、ここをこうしたほうがいいという指摘があったらコメントをもらえると助かります。

 ネット上の記事で参考になったのは、ナショナルジオグラフィックのこれ。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/070100392/?P=1

 課題は次の通り。

 

奴隷商人像の撤去

 2020年、「Black Lives Matter」といわれる黒人の権利向上を求める抗議デモが世界的に広がるにつれて、黒人奴隷制度に関わった人物の像を撤去する動きが世界各地ですすんでいます。次の資料は、ロンドンの街中に設置されていた奴隷商人ロバート・ミリガンの銅像が撤去されたことを伝える新聞記事です。

 

「人種差別の象徴だ」奴隷商人らの銅像、英国で撤去続く
 朝日新聞 2020年6月11日
 米国で起きた白人警官による黒人男性の暴行死事件を受けて、英国でも抗議デモが広がり、各地で奴隷商人像を撤去する動きが出ている。
 ロンドン博物館前に設置された像が、周辺を管理する団体によって9日に撤去された。英メディアによると、撤去されたのは、18世紀のジャマイカで500人以上の奴隷を使って砂糖のプランテーションを経営していた商人ロバート・ミリガンの像。博物館は「記念碑(像)は白人中心という現在も続く問題ある制度の一部だと認識している。ミリガンが犯した人道に対する犯罪の遺物と今も闘う人たちの痛みを無視するものだ」としている。 

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 ロバート・ミリガンは18世紀イギリスの貿易商で、奴隷貿易で財をなすとともにジャマイカで500人以上の黒人奴隷を使役して砂糖のプランテーション農園を経営した人物です。彼の銅像は、ロンドンの発展に貢献した彼の業績を讃えるものとして、ミリガンの死後間もなくの1809年にロンドンのドックランズ博物館前の広場に設置されました。
 こうした実在の人物の像は、歴史的記念物であるのと同時にその人物を歴史上の偉人として讃えるという政治的シンボルの性質も持っています。ロバート・ミリガンのような黒人奴隷制度に深く関わった人物の像を残すべきなのか、それとも撤去すべきなのか、つぎのAとBの参考意見を読み、あなたの考えを述べなさい。

 

A 残すべきである。
 奴隷商人の像を撤去することは、たんにうわべを取りつくろうだけであり、歴史を変えることはできない。歴史は過去にあった事実の積み重ねであり、数多くの残酷な出来事が存在したことで現在の社会は成り立っている。像の撤去は、そうした過去の事実から目をそらす行為である。
 たしかに、いま新たにロバート・ミリガンのような奴隷商人の像を広場に建設しようとするのは、愚かな行為である。しかし、このロバート・ミリガン像は、彼の死後間もなくの1809年に建設されたものであり、200年間ロンドンの広場に立ち続け、それ自体、歴史的価値を持っている。歴史的遺物がつくられた場所にそのまま残されているということは、過去の事実を理解する重要な手がかりとなる。ロンドンの街中でこの銅像を見ることで、200年前のイギリス社会がロバート・ミリガンという奴隷商人をどう評価し、当時の人々が奴隷貿易や奴隷農園をどのように考えていたのか知ることができる。イギリスには、ロバート・ミリガン以外にも数多くの奴隷商人の銅像が各地に設置されており、それらの像は、18世紀、19世紀のイギリスが奴隷貿易によって経済発展していったことをいまに伝えている。
 過去の事実は時間とともに急速に風化していく。手がかりとなる資料を失えば、わずか数十年前の出来事さえ、真相は闇の中へ消え、デマや憶測(おくそく)があたかも事実であるかのように語られるだろう。過去の事実を記録し、その歴史を直視するための歴史的遺産として、ロバート・ミリガン像は、ロンドンの街中にそのまま残しておくべきである。
 歴史的な業績を残した人物は、現在の倫理観ではかるとなんらかの問題を抱えているケースが多い。大西洋を渡ってアメリカ大陸に到達したコロンブスは、アメリカ先住民からすれば、殺戮(さつりく)をくり返した残忍な侵略者である。アメリカ独立宣言を起草した第3代アメリカ大統領のトマス・ジェファーソンは、人権思想をうたう一方で、奴隷農園を経営しており、14歳の黒人の少女を愛人にし、彼女との間に生まれた5人のこどもたちも奴隷にしたことで知られている。また、日本では「太閤(たいこう)さん」の愛称で親しまれている豊臣秀吉は、一方でキリスト教徒に残忍な刑罰を科した宗教弾圧者であり、朝鮮半島での虐殺と略奪を命じた侵略者でもある。だからといって、各地に存在するコロンブス像、ジェファーソン像、秀吉像をすべて撤去することは、彼らの業績をも否定することになり、過去が消される危険性をはらんでいる。人間の歴史は、偉大な業績と愚かなあやまちの歩みである。現在の価値観で過去を裁き、あやまちを人目につかないよう隠してしまったら、それはもはや人間の歴史とはいえない。

 

B 撤去すべきである。
 実在の人物の像は、たんに歴史的記念物というだけでなく、その人物を「偉人」と見なし、業績を讃えるという意図でつくられている。貿易商のロバート・ミリガンは、18世紀にロンドンの発展に貢献した地元の名士であるが、その一方で奴隷貿易と奴隷農園の経営で財をなした人物でもある。こうした奴隷商人を歴史上の「偉人」として讃え、公共の場に像を残すことは、「奴隷制度は悪いものではなかった」というメッセージを発信し続けることになる。「Black Lives Matter」運動の参加者たちがこの銅像の撤去を要求したのもそのためであり、彼らの主張は歴史上の虐殺や弾圧をなかったことにしようとする歴史修正主義とはまったく立場が異なる。「Black Lives Matter」運動の参加者たちは、黒人奴隷制度をなかったことにしようとしているのではなく、奴隷商人を地元の名士として200年間受け入れてきたイギリス社会の無神経さとエスノセントリズム(自民族中心主義)に抗議しているのである。
 像の撤去はけっして歴史上の事実から目をそらす行為ではなく、あくまで歴史の再評価である。歴史は常に再評価されるべきものであり、歴史観も社会とともに変化していくものである。コロンブスアメリカ大陸で先住民の大虐殺を行ったことが詳細にわかっている現在でも、人々の抱くコロンブスのイメージが「偉大な航海者」のままだとしたら、むしろそちらのほうが問題である。歴史に目を向けるとは、様々な角度から過去の事実を検証することであり、一面的な見方で英雄物語をでっち上げ、その像をつくって崇拝(すうはい)することではないはずである。
 もし、人種差別がすっかり過去のものになっていて、もはや誰も肌の色で差別的なあつかいを受けることがなくなっているのなら、ロバート・ミリガン像も過去にそうした差別が存在したことを知る歴史的遺産としてロンドンの広場に残しておくのもいいだろう。始皇帝兵馬俑(へいばよう)やアレクサンドロスの石像が「人類の遺産」として大切に保存されているのも、あくまで遠い過去にふれるための重要な手がかりだからであり、始皇帝アレクサンドロスを偉大な人物として讃えるためではない。しかし、人種差別は現在進行形でおきている深刻な社会問題であり、いまも肌の色のことで学校でいじめられたり、地域社会で差別的なあつかいを受けたり、進学や就職で不利な状況におかれている人々が大勢いる。アメリカで警察官による職務質問の際に暴力をふるわれるケースは、黒人のほうが白人よりも圧倒的に多い。こうした現在の社会状況で、ロバート・ミリガン像を兵馬俑アレクサンドロス像と同列に論じることはできない。ロンドンの広場に、過去の黒人奴隷制度に目を向けるための記念碑を設置するのなら、奴隷商人像を残すのではなく、新たに人権尊重のシンボルになるようなモニュメントをつくるべきである。ヒトラー像が平和の象徴にならないように奴隷商人の像は人権尊重の象徴にはならない。
 黒人奴隷制度や植民地支配を「悪いことではなかった」と主張している白人至上主義者は現在も存在し、アメリカでトランプ前大統領の重要な支持層となり、ヨーロッパ諸国でネオナチの団体や排外主義(はいがいしゅぎ)の政党を結成するなど、21世紀になってもなお一定の政治的影響力を持っている。奴隷商人像を公共の場に残すことは、そいうした人々により所を与え、政治的シンボルとして利用される危険性をはらんでいる。その動きに歯止めをかけ、黒人奴隷制度が歴史上の大きなあやまちであり、人種差別が愚かな行為であるという価値観を社会全体で共有するためにも、奴隷制度に関わった人物の像は公共の場から撤去すべきである。