新卒一括採用

 授業の課題として、新卒一括採用の是非を作成した。個人的には、新卒一括採用は日本社会の諸悪の根源だと思っているのだが、生徒の反応は、新卒採用がなくなってしまうのは不安という声が多く、存続派が6割、廃止派が4割という割合だった。

 

新卒一括採用は必要か

 日本では、企業の社員募集は「新卒一括採用」というやり方が一般的です。
 これは、まだ在学中の学生と「卒業後に入社する」という就職内定の契約を結び、卒業と同時に新入社員として一斉に入社するしくみです。そのため、卒業の近づいた大学4年生や高校3年生は、就職活動のためにいくつもの企業を訪問して採用面接を受けることになります。近年では、日本の経済状況の悪化を受けて、学生たちの就職活動の時期は年々早くなり、大学3年生のうちから就職活動をはじめ、数十社も企業訪問をするのが一般的になっています。
 こうした新卒一括採用は、高度経済成長期の1960年代に多くの日本企業に広まり、定着していきました。当時は日本の経済規模が年々拡大していた時期で、各企業は設備投資を活発におこない、事業拡大をすすめていきました。その事業規模拡大にともなう労働力不足を解消するためにとられたのが、まだ在学中の学生に「卒業後、うちの会社にこないか」ともちかけて就職内定の契約を結び、卒業とともに大勢の若者をまとめて採用する「新卒一括採用」というやり方だったわけです。
 高度経済成長期のように、年々経済規模の拡大している右肩上がりの経済状況では、大勢の若者をまとめて採用することのできる新卒一括採用は効率の良いやり方でしたが、それから半世紀たち、日本経済は長い低迷期に入っており、社会状況にそぐわなくなっているという批判も出ています。また、日本では一般的な新卒一括採用ですが、世界的にはこうした採用方法をとているところはほとんどありません。
 欧米の場合、若者の就職活動は、卒業が決まった後に個人個人で企業の採用試験を受けるというのが一般的です。欧米の大学は、卒業審査が日本とくらべて非常にきびしく、毎年、卒業できずに留年する学生が2割程度いるので、卒業前に就職のための企業訪問をくり返しても意味がないからです。むしろ逆に大学4年生になると学生たちは学位をとるための勉強にかかりっきりになります。就職活動は、その卒業審査をクリアーして卒業が決まった後、各自がそれぞれ行うことになります。また、いきなり正社員として採用されるケースはまれで、はじめはアルバイトやインターン(見習い)として採用され、採用担当者がそこでの働き具合を見ながら、真面目によく働く者へ正社員としての雇用をもちかけていきます。そのため、入社時期はひとりひとり異なっており、企業側も年齢、新卒・既卒を問わず、随時(ずいじ)、従業員を募集するというやり方をとっています。
 日本での新卒一括採用は今後も続けたほうがいいのか、それともやめたほうがいいのか、次のAとBの参考意見を読み、あなたの考えを書きなさい。(約800字)

 

A 続けたほうがいい。

 新卒一括採用では、若者たちは就職活動について学校側から様々な支援を受けることができる。高校3年生なら、クラス担任の教師が就職の相談にのってくれるし、大学4年生や専門学校の2年生なら、就職課の職員から専門的なアドバイスをもらうこともできる。近年では、模擬面接を学校側がセッティングして、面接での受け答えを指導してくれたり、履歴書や志望動機書の添削をしてくれるというのも一般化している。欧米で一般的な卒業後に個人個人で就職活動を行うやり方では、こうした学校側からのサポートがなく、いきなり個人として社会の中に放り出されることを意味している。

 そのため、新卒一括採用をやめてしまったら、若者の失業率が増加することが予想される。16歳から24歳の失業率は、日本が10%程度なのに対し、アメリカでは15%程度、EU諸国では20%程度に達する。新卒一括採用のない欧米式のやり方では、学生時代から目指す企業でアルバイトやインターンをしているという者以外は、卒業後、無職の状態から職探しをスタートさせることになる。学校は卒業したけれども、就職の見通しもたたず、収入もないという生活は多くの若者にとって不安なものになるだろう。自分がどこにも所属せず、社会の中に自分の居場所がないという状態は孤独なものである。そのため、若者の失業率の高いEU諸国では、そのことがしばしば社会問題になっており、若者たちによる就職状況の改善を求めるデモも頻繁(ひんぱん)に行われている。欧米の企業の場合、採用を新卒者に限定せず、随時募集しているが、人気のある企業の場合、応募が殺到(さっとう)するので、いままで働いた経験のない若者が採用されるのは、たとえアルバイトやインターンであっても狭き門である。

 たしかに、経済状況によって特定の世代が就職で不利益を被ったり、新卒者の多くが一年以内に退職してしまうのは、新卒一括採用の問題点である。しかしそれは、既卒第二新卒の採用枠を拡大して対応すればいいことであり、新卒一括採用そのものを廃止する理由にはならない。新卒一括採用を全面的に廃止して、卒業後、多くの若者が無職の状態から職探しをするようになったら、親の経済的負担はいちだんと増すことになる。

 ひとりの自立した人間として社会と向き合って生きていこうとする若者にとっては、卒業後、一時的に無職になることなど取るに足りない問題かもしれない。また、学生のうちに十分な技能や専門性を身につけ、自分の力で生きていこうという若者にとっては、就職支援のレールなど敷かれていなくても、条件の良い就職先に自分を売り込むこともできるだろうし、自ら会社をおこすことも可能だろう。しかし、すべての若者がそういう強い気持ちを持っているわけでもないし、高度な専門性を身につけているわけでもない。自分になにができるのかまだわからないという多くの若者たちにとって、学校側からのサポートを受けながら「みんなでいっしょに」就職活動を行う新卒一括採用の日本式慣習は心強いものになるはずである。だからこそ多くの大学や専門学校がこぞって就職支援の充実を売り物にするようになったのである。

 産業構造が高度化し、業務の多くに高度な専門スキルが要求されるようになった先進諸国では、社会階層の二極化が起きている。アメリカの場合、シリコンバレーのコンピューター産業やウォール街の金融機関などの専門性の高い職種に就職した若者たちは、入社一年目から1000万円を超える年収を得ている一方で、そうした専門スキルを身につけていない者は、中国やインドをはじめとする新興国との競争の中で低賃金労働を余儀なくされている。アメリカでトランプ氏のような極端な発言をする人物に支持が集まったのも産業の高度化に適応できない人たちが大勢いたためである。トランプ氏が大統領時代、コンピューター業界をくりかえし批判し、安価な製品を大量に輸出している中国を敵視していたのも、彼の支持層に向けての政治的姿勢といえる。こうした社会階層の二極化は、新自由主義経済のアメリカだけでなく、イギリス、フランス、ドイツといったヨーロッパ諸国でもおきている。先進国で産業構造の高度化が進んでも、若者がみな高度な専門スキルを身につけているわけではないし、社会に適応できているわけでもない。そうした若者たちが社会からドロップアウトしないよう、安定した働き口を保障するしくみとして、日本の新卒一括採用方式はいまも機能しており、学校と企業とが連携しながら手厚い就職支援によって新卒者を新入社員として送り込んでいる。こうしたしくみは今後も必要なものである。

 

B やめたほうがいい。

 新卒一括採用の最大の弊害(へいがい)は、新卒採用の時期を逃してしまうとまともな就職先がほとんどなくなってしまうということである。2008年のリーマン・ショックや2020年の新型コロナ・ウイルス騒動のように経済状況が悪化した年に、たまたま大学4年生や高校3年生だった者は、就職が極端に難しくなる。日本の場合、アルバイトや派遣社員から正社員として採用される道すじがほとんどないため、新卒時の就職活動がうまくいかず、いったん非正規雇用になってしまうとそこから抜け出すのは難しい。「就職氷河期」と言われた1990年代末から2000年代はじめにかけて高校や大学を卒業した者が40歳代になった現在もフリーターや派遣社員を続けているケースが多いのもそのためである。大学4年時に就職活動がうまくいかなかった者の中には、来年のチャンスにかけるためにわざと休学や留年をしたり、研究に興味もないのに大学院へ進学するケースも一般化している。ひどく無駄なことをしているように見えるかも知れないが、それくらい日本企業の採用における新卒と既卒の扱いの差は大きい。

 アルバイトや派遣社員であっても、収入が十分にあって生活できるのなら悪くはないが、日本の場合、「同一労働・同一賃金」を徹底しているEU諸国と異なり、正規雇用と非正規雇用との賃金格差は極端に大きい。福利厚生や退職金や年金まで含めて計算すると、正社員に対して派遣社員なら1/3程度、アルバイトなら1/5程度の収入にとどまる。企業側がアルバイト社員や派遣社員を正社員として再雇用することを渋り、低賃金の非正規雇用として雇い続けようとするのも人件費の抑制のためである。正社員への道が新卒採用時の一回しかチャンスがなく、たまたま卒業の年に不景気にめぐりあったとことで特定の世代の人たちが生涯にわたって不利益を受けるというのは、あまりにもアンフェアーである。

 また、いままで働いたことのない学生たちをいきなり正社員として雇用するというやり方は、企業側・労働者側の双方にとってリスクが大きい。数回の面接だけで正社員として採用する企業側のリスクはもちろん、働く側にとっても、実際に働いてみてはじめてわかることがたくさんあり、「こんなはずではなかった」と業務内容や職場環境に失望して辞めていく若者も多い。そのため、日本における新卒採用者の離職率は極端に高く、毎年、入社1年以内に30%以上の若者が会社を辞めている。3割以上の新卒採用者が1年以内に辞めてしまうのでは、新卒一括採用はもはや若者のドロップアウトをふせぐしくみとして機能していない。この点において、欧米で一般的におこなわれている、はじめはアルバイトやインターンとして雇用し、働き具合を見ながらあらためて正社員として採用するというやり方は合理的である。企業側にとっては、実際に働き具合を見ながら正社員としての採用を判断でき、働く側にとっても、いくつかの職場を体験し、職場を比較検討しながら自分の働き方を選択できるというメリットがある。こうした採用方式では、卒業時に就職先の決まっていない若者が増えたとしても、新卒以外にも正社員として雇用されるチャンスはいくつも存在する。日本のように学校から会社へと新卒一括採用のベルトコンベアーに乗せられた生き方では、自立した個人という意識は育みにくい。卒業後、しばらくの間、アルバイトをしたり、バックパッカーとして世界を旅行したり、ボランティア活動に参加したりしながら、自分と向き合い、これから先、どう生きていきたいのか模索する期間は、むしろあったほうが長い目で見れば自分のためになるのではないだろうか。私たちは働くために生きているのではなく、生きるために働くのである。

 景気の悪化した1990年代なかば以後、多くの大学が「手厚い就職サポート」を売り物にするようになったが、それは一方で大学の就職予備校化という問題をもたらしている。就職活動が本格化する大学3年生、4年生になると学生たちは、授業にはほとんど出席しなくなってしまう。日本の大学には、欧米の大学のように学位認定の審査をきびしく行うしくみがないため、試験も受けず、卒業論文すら提出しなくても、就職の決まった学生は卒業させてくれるので、授業に出席しないことも問題にならない。日本の場合、大学の社会的評価は大手企業にどれだけ学生を送り込んだかによって決まるので、就職が内定している学生を留年させてしまったら大学側にとっても都合が悪いため、学位認定の審査を欧米の大学のように厳しくしようという動きもない。それは多くの高校が受験予備校化しているのと根を同じくする問題である。そのため、大学のゼミもどのような研究をしているかではなく、大勢の卒業生を大手企業に送り込み、企業とどれだけ太い人脈があるかによって学生から支持されるケースが多い。しかし、本来、大学は物事を深く考え、真理を探究する場のはずである。エントリーシートの書き方や面接の受け答えばかり達者になり、その一方で、プラトンサルトルドストエフスキーも読んだことすらないまま卒業していく学生が多数派になっている現在の状況は、もはや大学としての機能を果たしていない。いまの日本の大学は実質的にサラリーマン養成所であり、就職のための踏み台という役割を取り除いたら中身は空っぽである。

 新卒一括採用が日本で一般化した高度経済成長期、しばしば企業経営者たちは、新卒者の教育は入社してからこちらで行うので、大学は学生に余計な知恵をつけないでほしいと語っていた。それは要するに、学生時代にマルクス主義フェミニズムを学んだりすると面倒なことを言う扱いにくい社員になるから、大学は余計なことを学生に教えずに会社の言いなりになる人材を送り出してほしいというわけである。社会経験の乏しい新卒者をわざわざ優先的に採用する新卒一括採用の背景にあるのは、若者たちを産業のコマとしか見なしていないこうした考え方である。たしかに高度経済成長期のように右肩上がりの経済状況では、新卒一括採用は大勢の労働力をまとめて確保できるという点で効率の良いやり方だった。その頃は、各企業ともに毎年、大量の若者を採用していたので、卒業した年による就職の有利・不利も大した問題にならなかった。しかし、新卒者をまとめて雇用し、社内教育で愛社精神と根性主義をたたき込むことで「会社人間」を作り上げるというやり方は、安価な商品を低賃金労働と長時間労働で大量生産する労働集約型の社会だったからこそ通用した手法である。高度経済成長期から半世紀以上たった現在では、こうした日本式の慣習はむしろパワハラや過労死をもたらすブラックな職場環境の原因になっている。新卒一括採用はすでに社会状況にそぐわなくなっており、新卒者と既卒者に平等にチャンスを与え、正規雇用と非正規雇用の待遇格差を改めていくべきである。