業者敬語

 ラジオで若い女性タレントが言う。「この間、NHKさんに出演させていただきまして、そのときウッチャンナンチャンさんにお会いさせていただだきまして……」。なんだろう、このムズムズするへんな感じ。さらに自分が乗ってるクルマを「わたし、トヨタさんのプリウスに乗らせていただいてるんですが」と言う。なんらかの事情でトヨタからプリウスを無償貸与されているのかと思ったら、どうやら自分のクルマのことを「乗らせていただいている」と言ってるらしい。事務所からそう言えと教育されているんだろうか。でも、彼女はなんでそこまでへりくだっているんだろう。機械的に話している感じでなにかに敬意をいだいているようには感じられない。むしろ、自分のパーソナリティを遮断しようとする厚い仮面のようなものを感じる。ビートルズさんやローリングストーンズさんを楽しく聞かせていただいたり、台湾さんや韓国さんを楽しく旅行させていただいたりしているんだろうか。ここ数年、若いタレントたちがこの業者敬語みたいなへんな喋り方をするのをやたらと耳にするようになったが、本来、「さん」は人に用いる尊称である。丁寧に話したいのならNHKの「みなさん」だし、ウッチャンナンチャンの「おふたり」のはずである。

 企業名・団体名に「さん」を用いるのは、少し前まで、すれっからしの業界人が使うかなり下卑た業者用語だった。たとえば、営業所で同僚と「いやあ凸凹産業さん、契約渋くってさあ」「凸凹さんってあれだろ、何度も呼びつけたあげく結局断るって評判のさ」とぼやきあう。あるいは外務官僚がぶら下がりの記者たちにオフレコと念を押して「今回の交渉はアメリカさんが手強くってね」とぼやく。もちろんこうした会話は内輪の軽口に限定されるもので、公式の場やお客さんの前では使えなかったはずである。少なくとも、1990年代末に深夜のテレビ通販で、アクの強い通販業者たちがパナソニックさんやカシオさんを連発しながらセールストークをまくしたてるようになるまでは、場を選ぶ言い回しだった。もし、証券会社のセールスマンが個人客に対して、「いまはイオンさんやダイエーさんあたりの流通業界さんが狙い目ですねえ」などと言い出したら、業界の方しか向いていない様子が透けて見えるので、顧客の信頼は得られないだろう。あるいは公的な発表の場で、「今回、三菱さんとの合併がまとまりまして」とか「アメリカさんとの通商交渉が締結いたしまして」などと担当者が言い出したら、社員や職員の教育はどうなってるんだと組織としての信用を落としかねない。

 元々下卑た業者用語なので、そこにはしばしばあざけりのニュアンスも込められる。相手チームをカモにしている野球選手が試合後の会見で「いやあ、阪神さんにはいつもお世話になってます」などとコメントしたら、そのなめた物言いに次の阪神戦では、彼のアタマめがけて剛速球が飛んでくるだろう。

 学校関係者にこうした話し方をする者は少ないが、それでも「中学さん」や「高校さん」という人間を時々見かける。教育産業の業者という感じ。1980年代に出版された干刈あがたの小説『黄色い髪』(だったと思う)に、中学生の娘を持つ母親が高校の学校説明会で学校関係者が「中学さん」というのを聞いて席を立つという場面がある。彼女はこんな物言いをする教師には娘をあずけられないと憤慨する。

 つきつめれば、その根底にあるのは、個人と組織のどちらを社会的主体と見なすかという思想の問題である。個人を主体と見なす者にとって、企業や団体は人がより良く生きるための「装置」にすぎないので、それを擬人化して「さん」や「様」をつけるのは、滑稽で悪趣味な物言いと写るだろう。逆に、組織こそ社会的主体と見なす者にとっては、人はそれらに「生かしていただいている」存在なので、NHKさん、トヨタさんと尊称をつけないことにはどうにも据わりが悪いと写るのだろう。現在の日本でどちらが優勢かといえば、この四半世紀でこうした物言いがやたらとはびこるようになったことから旗色は明らかである。個人は矮小化され、社会システムとマーケティングの網の目ばかりが細かく張り巡らされるようになった。ラジオで喋っていた彼女に皮肉めいた調子はなく、それが少し前までぼやきやあざけりのニュアンスを含んだ業者言葉だったことを知らない人も多いんじゃないだろうか。