1986年夏

 古い白黒フィルムを近くの駅ビルに入っている写真屋でデジタルスキャンしてもらった。解像度は3089×2048でだいたい4K画像くらい。おどろくほど鮮明に写っている。35mmの白黒フィルムってこんなに情報量が多かったのね。写真の中で若い母が猫を抱えて笑っている。いっしょに暮らしていた頃、母とはいがみあってばかりだったような気がするが、こんなふうに笑うこともあったんだ。抱きかかえられた猫はぬいぐるみのクマちゃんのようなもこもこした毛並みで満足げな顔をしている。別の写真では、風を通すために開け放された玄関のコンクリートに猫が長々と寝そべって涼んでいる。季節は日射しの強さと生い茂った庭の草むらの様子から初夏の頃だと思う。写真の中の猫はまだ若く、ひと暴れしたそうな良からぬことを考えている顔でこちらを見ている。近所で一番ケンカが弱くて、負けてばかりだったくせに。何十年も前の風景なのに、画像がやけに鮮明だからなのか、自分の体験を切りとった瞬間だからなのか、あるいは写真に作為性がないからなのか、つい昨日の出来事のように思える。とっくの昔に失われた風景、遠い記憶の中の暮らし、なのに、モニターに大きく映し出されたその画像を見ていると、ついさっき、そこに身を置いていたような感覚をおぼえる。手を伸ばせば、猫のもこもこした毛並の感触もコンクリートのひんやりした感触も指先に触れそうに思えてくる。こりゃ、ちょっとした時間旅行の気分です。日頃「5つあるリンゴのうち2つ食べたら残りは3つ」式の発言しかしていないので、自分でもすっかり忘れていたが、元来、ひどく感覚的な性質なんだと思う。もっと写真を撮っておけば良かったような気もするけど、一方でこれくらいあれば十分という気もする。たくさんあっても散漫になるし。とりあえず5シートぶんデジタルスキャンしてもらったけど、これ以上はもういいかな。そのうちボケてきたら、古い写真なんか見なくても勝手に時間旅行をするようになるんだろう。