以前、会社勤めをしていた頃、同じ職場に再就職で入社した年輩の男性がいた。それ以前は故郷の青森で設計建築の会社を経営していたという。いっしょに昼食を食べながら、また故郷に帰って自分で会社おこしたいって思うことありませんか、と尋ねると即座に「嫌だよ」と返ってきた。
日本の場合さあ、田舎へ行けば行くほど役人が威張ってるんだよ。東京だと公務員っていってもたくさんある職業のひとつにすぎないよね。でも、田舎は仕事がないからさ、役人は支配者意識が抜けていなくて、戦前の官憲や江戸時代の代官のままなんだよ。旧制中学の学閥が地域社会を牛耳ってて、東大卒より地元の旧制中学卒であることのほうが幅をきかせてる。そういう井の中の蛙的な地域人脈の輪の中心に県庁勤めの連中がいるっていう構図だね。そんなところでまた会社やってさ、若い役人たちからああしろこうしろここがちがうって頭ごなしに指図されるところを想像したらそれだけで気が滅入ってくるよ。絶対に嫌だよ。
それからもう30年経った。去年、同じ職場になった若い女性にこの話をしたところ、長野出身だという彼女は、少し眉間にしわを寄せて、自分の高校受験の時なんですけど、母親から大学はおまえの好きなところに行っていいけど高校だけは(元旧制中学の)あそこへ入ってもらわないと親戚中に顔向けできないって泣き付かれたことがありますと言った。その後も大して変わっていないらしい。きっと彼女の家は蔵が二つ三つあるような旧家なんだろう。田舎の風景はのどかに見えるが、その人間関係のほうは息苦しそうだ。この手の話を聞くたびに「一億総中流」なんて、人並みでありたいという願望が生み出した幻想にすぎなかったのだと思う。映画の「サマーウォーズ」と「香川一区」は見る角度がちがうだけで、そこに登場するのは同じ種類の人々だ。このふたつは二本立てで見ることをお勧めする。
21世紀になったばかりの頃、鹿児島県庁から桜島が見えなくなるという理由で鹿児島市内の高層マンションの建設が差し止めになったというニュースがあった。きっと鹿児島県はいまも薩摩の国で県庁というのは領主さまの館のことなのだろうと周囲の人間と笑い合ったが、いまは日本の地方都市はそういうものではないかとなかば本気で思っている。