ポリティカル・コンパス 右翼と左翼

 「右翼」「左翼」という言葉は、大まかに政治的立場に表すのに便利なので、しばしば用いられている。「まるで右翼の言いぶんだ」「それでは左翼思想ではないか」などなど。とくに近頃では、相手に右翼・左翼のレッテルを貼ることで排除しようとする発言を多く見かけるようになった。言っている側は、それが相手への有効な批判になると思っているようだが、キリスト教徒やイスラム教徒に向かって「おまえはクリスチャンだ」「おまえはムスリムだ」と言ってるのと変わらないので、言われた側は「だからどうした」としか思わないだろう。ひどく不毛なやり取りをしているように見える。現代では江戸時代の切支丹のように信仰を理由に火あぶりになったりはしないのである。

 

 もともとはフランス革命に由来する言葉で、王政支持派の議員たちが革命議会の右側の議席に、王政打倒派の議員たちが左側の議席に座ったことから、保守派を右翼、改革派を左翼と呼ぶようになった。この頃は国王をどうするのかという明確な論点があったのでわかりやすかった。ところが、20世紀になるとファシズムが台頭してきたり、富の再分配がとなえられるようになったりして、ファシズムをはじめとする極端なナショナリズムをとなえる人々を「右翼」、労働者の権利向上や貧困救済をとなえる人々を「左翼」と呼ぶようになる。ここから一気に話がややこしくなる。両者は対立概念ではないからだ。極端なナショナリズムをとなえる人物が同時に貧困救済を主張してもまったく矛盾しない。実際に戦前の日本の右翼思想は、天皇を日本という家父長制社会の「家長」と見なし、ナショナリズムによる求心力によってすべての日本人を拡大家族とする考え方なので、貧困状態に陥っている「家族」がいたら手を差し伸べ、日本人同士が互いに支えあわねばならないと説いている。五・一五事件青年将校たちも、ナショナリズムへ傾倒する一方で、クーデターにおける彼らの主張は、「私腹を肥やす政治家と官僚に天誅を下せ」「財閥支配を打倒せよ」「身売りする貧農の娘たちを救え」なので、社会主義との親和性がきわめて高い。そのため、戦前には、右翼から左翼へ、左翼から右翼へ「転向」するケースも多かった。対立概念ではないものを右翼・左翼と呼ぶようになったため、20世紀以降の政治状況では、この言葉を使うとかえって混乱するようになっていく。
 
 国家権力の強化とナショナリズムによる民族的一体性を重視する国家主義の対立概念は、社会主義ではなく、個人としての自由と権利を重視する自由主義のほうである。また、富の再分配による経済的平等を説く社会主義の対立概念は、市場競争にすべてをゆだねるアダム・スミスの自由放任主義である。国家主義自由主義、経済的平等と市場競争、このふたつの軸を用いて2次元座標に示すことで、大まかに政治的立場を表すことができる。こんな感じである。
 
・国家と個人の関係
                     国家主義 ←―――――――――――――――→  自由主義                    
  (国家への忠誠とナショナリズムによる連帯)   (個人の自由と人権保障)

 

・富の再分配
                   経済的平等 ←――――――――――――――→  市場競争                    
         (社会保障による経済的平等)           (市場競争による経済活動の自由)

 

 国家と個人の関係をタテ軸、富の再分配をヨコ軸にとると次のようになる。
 

 15年前にこれを思いついたときは、大発見をしたつもりになって、得意げにこの図を友人たちに披露したが、もちろん、そんなことはとっくに誰かが考えついており、その後、この座標のことを「ポリティカル・コンパス」と呼ぶことを知った。不勉強で恥ずかしい限りである。現在ではネット上にもたくさんのポリティカル・コンパスのサイトがある。

ポリティカル・コンパス - Wikipedia

 

 この座標に代表的な政治思想・政治体制を入れると次のようになる。
 

 ソ連型の共産主義と北欧型の社民主義は、ともに「左翼」とくくられがちだが、政府による言論統制思想統制をすすめるソ連型の共産主義と個人の自由と権利を重視する北欧型の社民主義とでは、志向する社会のあり方が大きく異なる。マルクス主義の場合、土地や工場などの生産手段を人々の共有財産とするため、どうしてもそれを管理する国家官僚の権限が大きくなり、政府関係者が特権階級化するとともに政府批判をゆるさない政治状況を形成しやすい。とくに共産党以外の政治活動を認めないソ連共産主義では、より中央政府に権力が集中しやすく、労働者による平等な社会を目指して発足したにもかかわらず、ことごとく強権的な独裁体制へ移行した。一方、北欧型の社民主義の場合、社会権の保障による積極的自由の増大を志向しており、自由主義的傾向が強く、左下へ位置する。

 

 富の再分配への批判として、平等な社会では自由が失われるという発言を耳にすることがある。しかし、これはあきらかに誤った認識で、経済的平等によって自由が制限されるのは、富裕層の経済活動だけであり、逆に貧困状態にある人々の生き方の自由は、富の再分配によって増大する。もし富の偏りが大きいほど自由の総量が増大するのならば、奴隷制社会には自由が満ちあふれていることになるだろう。また、言論の自由や思想の自由については、ヨコ軸の富の再分配は関係ない。貧富の差の拡大によって、教育水準が低下し、結果的に政府に無批判に従う人々が増加するという間接的な影響はあるが、直接的な影響はタテ軸のほうで、上の国家主義の方向へすすむほど言論や思想の統制は強化される。言論の自由の本質は政治権力への批判を自由に言えることである。そのため、南米の軍事独裁政権やミャンマー軍事独裁政権の場合、極端に富の偏りがある社会にもかかわらず、言論弾圧が日常化している。言論統制ソ連共産主義だけの問題ではない。

 

 日本の保守派は昔から北欧の福祉国家が大嫌いで、こんな社会では人間が怠け者になって堕落する、こんなやり方が長続きするはずがない、福祉国家はまもなく破綻するとくり返してきた。しかし、それからもう半世紀以上たったが、福祉国家が経済破綻する気配は一向にない。日本経済がこの30年間落ち込み続けのに対し、北欧諸国の経済はむしろ順調で、現在、ひとりあたりの平均所得は日本の1.5倍に達する。福祉国家の場合、若くて元気なうちはとにかく働いて高い税金を払ってもらわなければ支えきれないしくみなので、人々の働くことによる社会参加意識は日本よりも高い。また、福祉国家への批判として、平等な社会では人間は生きる目的を見失い、社会から活力が失われ、自殺者が増加するというものもあった。こういう批判をする人は金儲けだけが唯一の生きがいだと思っているんだろうか。2012年から国連が毎年おこなっている各国の幸福度調査では、こうした批判とは逆の結果が出ており、北欧諸国が常に上位を独占している。人口あたりの自殺者数も日本より少ない。福祉国家の最大のハードルは、高い税金をあずけられるほどの信頼が日本政府にないことである。

世界幸福度報告 - Wikipedia

 

 一方、市場競争を重視する右側の立場も、国家への強い忠誠を求めるファシズムと国家統制を嫌うリバタリアニズムとでは、政治的スタンスが大きく異なる。リバタリアニズムというのは聞き慣れない言葉だが、ポリティカル・コレクトネスも銃規制も社会保障もいらない、とにかく国は放っておいてくれという西部劇の登場人物のようなスタンスで、こういう人のことを「リバタリアン」という。アメリカに多く、アメリカ人の10%程度がリバタリアンだといわれている。アガサ・クリスティのミステリー小説にしばしば登場する親の遺産で遊んで暮らしているような連中も広い意味でここに入る。彼らは豪華客船や高級ホテルの暮らしを謳歌しているエピキュリアンたちなので、国家主義を息苦しいものとして疎んじており、自分たちの取り分が目減りしてしまう富の再分配については冷笑で応じる。ポワロやミス・マープルのあつかう殺人事件の多くは、そういう社会階層の人々による遺産相続をめぐる諍いだ。

リバタリアニズム - Wikipedia

 

 戦前の日本社会の場合、自然権としての基本的人権を認めず、富の再分配が存在しなかったので、右上に位置する。その後の開発独裁のはしりのような政治体制といえる。そうした戦前の日本社会を「悪い社会でなかった」と肯定するネット右翼(日本版オルタナ右翼)の人々も同様に右上に入る。

 
 この座標に代表的な人物を入れると次のようになる。

 ホリエモンはとりあえず右下に入れたが、人権を軽視する発言がやたらと多いので、右上のひろゆきに近いところのほうが妥当かも知れない。ただ極端に右寄りの市場原理主義者であることは間違いないだろう。彼の取りまきや若いIT経営者には、世の中に平等などいらないというタイプが多い。しかし、基本的人権は平等の思想に基づくものなので、それは基本的人権などいらないと言ってるのと変わらない。こうした人物と一緒に働くのはあまり愉快ではなさそうだ。

 
 20年前、ビル・ゲイツアメリカの大学生たちとディスカッションをするというテレビ番組に出演した際、いきなり「アメリカの富裕層への税率は低すぎる、私のような者にはもっとたくさん税金をかけるべきだ」と言いだした。椅子から転げ落ちそうなくらい驚いた。ビル・ゲイツ社民主義者なのは、いまではよく知られるようになったが、それまで彼のことをパソコンと自分の財産にしか興味のない人物だろうと思い込んでいた。彼はさらにこう続けた。「私は運良くチャンスをつかんで、現在の地位と富を得ることができたが、アメリカにはそうでない若者たちやこどもたちが大勢いる、経済的に成功した者には、こどもたち・若者たちの未来のためにより多くの税を負担する社会的責任がある」。その後、ビル・ゲイツマイクロソフトのCEOを退いた後、その言葉どおりに自らの財団を設立し、貧困問題と環境問題への支援をはじめた。

 

 たいていの人は自らの立場からの損得勘定で好ましい社会のあり方を思い描く。私もビル・ゲイツのような大金持ちだったら、むしろホリエモンのように「貧乏人ってさ、けっきょく怠け者なんだよね」なんて言いながら、フェラーリを乗り回したり、ロケットを飛ばしたりしていたかもしれない。ジョン・ロールズは、そうした自らの立場からの功利主義的な損得勘定を排除するために無知のベールという思考実験をおこなう。そこでは自らの出自や能力・資質について一切伏せられており、その状況下で、これから自分が生まれることになる社会のあり方を議論する。肌の色は黒いのか白いのか、生まれつき足が不自由で歩けないのか、男か女か、恵まれた家庭環境に生まれるのかそうでないのか、そうした自らの立場が一切わからない状況で、これから自分が生まれる社会について、好ましい社会のあり方を議論しようという。


 この座標に日本の代表的な政党を入れると次のようになる。位置取りは下の28の質問項目から割り出した。

 

 与党の自由民主党は大きな政党なので、所属する国会議員の政治的スタンスも幅広い。ただし、20世紀末から新自由主義を推進する立場をとっており、年々右側へ移動している。また、2000年代末に政権の座を失った際、ネット右翼の取り込みに力を入れたことから、国家主義的性質を強めた。とくに安倍・菅政権は自民党の中でもっとも国家主義的なグループが主導しており、この図では上の方に位置する。その後、政権を継いだ岸田政権は、自民党のほぼ中央に位置する。


 もうひとつの与党である公明党は、創価学会を支持母体とする政党で、以前は貧困家庭への支援や憲法九条改正反対を政策に掲げていたが、自民党と連立政権を組むようになってからは、そうした主張を表立って言わなくなった。この座標では、とりあえず自民党に近いところへ配置したが、現在、公明党がどのような政策をおこなおうとしているのか正直なところさっぱりわからない。


 旧民主党は、政権交代を目指して複数の政党が合併してできた政党のため、自民党以上に議員・党員の政治的志向は幅広い。とくに社会党出身の議員と自民党出身の議員との差が大きい。その後、民進党と名前を変え、2017年、小池百合子希望の党への参加をめぐって政治的立場の違いから分裂し、立憲民主党と国民民主党に分かれた。さらに2020年、国民民主党の大多数が立憲民主党に合流した。立憲民主党社会保障を重視する立場、国民民主党の政策は自民党に近い。分裂して政党の政治的スタンスはわかりやすくなったが、政権交代は遠のいた。


 日本共産党ソ連型の一党独裁は志向しないと表明しているので、この図では下のほうへ位置する。消費税廃止をとなえている政党は、日本共産党とれいわ新選組のふたつなので、この座標ではもっとも左側へ位置する。


 日本維新の会は、国家主義と市場競争を重視する立場をとっており、自民党のもっとも国家主義的なグループとの親和性が高い。自民党出身の議員も多く、杉田水脈のように自民党安倍派(清和会)へ移籍したケースもある。

 
 ポリティカル・コンパスについてのWebサイトはたくさんあるが、質問項目があいまいでわかりにくかったり、日本の政治状況に即していなかったりするものが多いので、オリジナルの質問項目を28ほどつくってみた。自分がどういう社会を指向しているのかを知る材料として利用していただけたらと思う。(自動集計ではないので、やる際には、自分で数えてください。)

 

1.学校の式典やスポーツイベントでの国歌斉唱を義務づけ、起立して歌わない者は処罰すべきだ。

そう思う(上へ1)・どちらでもない・そう思わない(下へ1)

2.死刑制度は続けたほうがいい。

そう思う(上へ1)・どちらでもない・そう思わない(下へ1)

3.警察の監視カメラ(防犯カメラ)は市街地にできるだけたくさん設置したほうがいい。

そう思う(上へ1)・どちらでもない・そう思わない(下へ1)

4.オリンピックをはじめとするスポーツの国際大会では、愛国心を高めるために国をあげて自国の選手の応援すべきだ。

そう思う(上へ1)・どちらでもない・そう思わない(下へ1)

5.近代史の授業では、日本によるアジアの人々への加害や戦争責任の問題は取りあげるべきではない。

そう思う(上へ1)・どちらでもない・そう思わない(下へ1)

6.日本のマスメディアは自国の政府に批判的すぎると思う。

そう思う(上へ1)・どちらでもない・そう思わない(下へ1)

7.日本政府を批判する外国人は日本から出て行ってほしい。

そう思う(上へ1)・どちらでもない・そう思わない(下へ1)

8.選択的夫婦別姓の法制化を支持する。

そう思う(下へ1)・どちらでもない・そう思わない(上へ1)

9.同性婚の法制化を支持する。

そう思う(下へ1)・どちらでもない・そう思わない(上へ1)

10.自転車用のヘルメットは、事故の際に自分の身を守るためのものなので、ヘルメットをかぶるかどうかは、本人が判断すべきであり、法律でヘルメット着用を強制することには反対だ。

そう思う(下へ1)・どちらでもない・そう思わない(上へ1)

11.友人間の賭け麻雀や賭けポーカーなどの私的なギャンブルは、本人たちが楽しむために行う娯楽であり、他者に危害を与える行為ではないため、国は法律で規制するべきではない。

そう思う(下へ1)・どちらでもない・そう思わない(上へ1)

12.日本の植民地支配にルーツのある在日韓国・朝鮮・台湾の人たちへ日本国籍を保障し、彼らの二重国籍を認めるべきだ。

そう思う(下へ1)・どちらでもない・そう思わない(上へ1)

13.戦争中の空襲で被害を受けた民間人にも、戦場で負傷した軍人と同じように保障すべきだ。

そう思う(下へ1)・どちらでもない・そう思わない(上へ1)

14.原発の是非やオリンピック招致(しょうち)のような重要議題は、国民投票で決めるべきだ。

そう思う(下へ1)・どちらでもない・そう思わない(上へ1)

15.所得税累進課税制度を撤廃して一律課税にすべきだ。

そう思う(右へ1)・どちらでもない・そう思わない(左へ1)

16.自治体は学校給食・公立図書館・児童館・学童保育の民間委託をすすめるべきだ。

 そう思う(右へ1)・どちらでもない・そう思わない(左へ1)

17.投資を活性化させるために株式取引への課税をもっと引き下げるべきだ。

そう思う(右へ1)・どちらでもない・そう思わない(左へ1)

18.企業が安い労働力を求めて工場を海外移転させるのは良いことだ。

そう思う(右へ1)・どちらでもない・そう思わない(左へ1)

19.公務員の数をもっと削減すべきだ。

そう思う(右へ1)・どちらでもない・そう思わない(左へ1)

20.自治体は生活保護の審査をもっときびしくすべきだ。

そう思う(右へ1)・どちらでもない・そう思わない(左へ1)

21.企業活動の自由化をすすめることが社会の発展をもたらす。

そう思う(右へ1)・どちらでもない・そう思わない(左へ1)

22.最低賃金をもっと引き上げるべきだ。

そう思う(左へ1)・どちらでもない・そう思わない(右へ1)

23.自治体が運営する駅前の駐輪場をすべて無料にすべきだ。

そう思う(左へ1)・どちらでもない・そう思わない(右へ1)

24.消費税を廃止し、そのぶん富裕層の所得にもっと重く課税すべきだ。

そう思う(左へ1)・どちらでもない・そう思わない(右へ1)

25.国公立大学の学費を無料にすべきだ。

そう思う(左へ1)・どちらでもない・そう思わない(右へ1)

26.正規雇用か非正規雇用かに関係なく、同じ仕事をしていたら同じ賃金を支払うべきだ。

そう思う(左へ1)・どちらでもない・そう思わない(右へ1)

27.医療費や介護費の公的負担をもっと増やすべきだ。

そう思う(左へ1)・どちらでもない・そう思わない(右へ1)

28.公立の保育園を増やし、利用料金を無料にすべきだ。

そう思う(左へ1)・どちらでもない・そう思わない(右へ1)

 ときどき「自分は自民党支持だから移民規制に賛成」「自分は共産党支持だから消費税に反対」という人に出会うが、それではまるで政党の家畜のようなもので、順序が逆である。「同性婚に賛成だから○○党を支持する」「国立大学の学費を無料にしてほしいので○○党を支持する」というように自分の政治的スタンスに基づいて支持する政党のほうを選ぶべきである。自らの自律的な判断を放棄してしまい、家畜のように指示通りに動かされる「組織票」が政治状況を大きく左右するようになると民主制は形骸化する。そういう意味でも、自らがどういう社会を志向しているのかを知っておくことは重要である。

 

 ただし、ポリティカル・コンパスには限界もある。この座標は、国家と個人の関係をタテ軸、富の再分配をヨコ軸にしたものなので、そこからはみ出す防衛問題や環境問題のような項目は扱えない。とくに環境問題は、緑の党のように人権保障から「持続可能な環境」を主張するケースとナチスのようにナショナリズムから「国土の保全」を主張するケースの両極のアプローチがある。また、アメリカのマリファナ解禁をめぐって、ネオコン市場原理主義の立場からヒッピーは自由主義の立場からそれぞれ解禁支持にまわったように、本来、政治的立場の大きく異なる人たちが利害の一致から結びつくケースもあり、このタテ軸・ヨコ軸で捕捉しきれない社会課題も多い。