かもしれません

 「明日は雪が降るかもしれません」「国会の解散もあるかもしれません」「景気が良くなるかもしれません」「部下の心をつかめるかもしれません」……そうかもしれないしそうでないのかもしれない。そりゃあどっちかは必ず当たるだろうけどさ、インチキ占いじゃあるまいし、それはなにも言っていないのといっしょだよ。そんなに予防線を張るほど自らの発言に責任をとりたくないのなら、そもそもなにも言うべきではない。ああ、言うべきなのかもしれないしそうでないのかもしれません。たぶん。

 

 「ちゃんとしてほしい」「しっかりやろうと思う」「きちんとしないとダメだ」、中身のない発言ほど、こういう言葉を使いがちだ。ちゃんとするとは具体的にどうなってほしいのか、しっかりやるとは具体的になにをやることなのか、きちんとしていないとは具体的にどういう状態をさしているのか、それを考えているのなら、そもそもこんなぼんやりとした発言はしないだろう。中身がないからこそ、考えずに言えて発言の責任もとらずにすむ。うかつに中身のあることを言ってしまうと、あの時ああ言ったではないかと後になって追及されることになる。その点、こういうなにも言っていないのといっしょのぼんやりとした言葉は使い勝手がいい。でもさあ、なにも考えていないのなら、そもそも言葉など発するべきではないのだ。ああ、きちんと話すべきなのかもしれないしそうでないのかもしれません。知らんけど。