天皇ネタで一発ブラックなジョークを


朝の満員電車。ぎゅうぎゅう詰めの車内。目の前に立ったおじさんが夢中で携帯をいじっている。40を少しすぎたくらいのアタマの薄くなった小柄な人物。神経質そうな手つきでちゃかちゃかと携帯のキーを押している。なんだいおっさん不倫でもしてんのかよ朝からマメだねえとちらっと画面をのぞくと株の取り引きだった。満員電車の中で人目もはばからず、取引銀行→口座番号→パスワード→売買銘柄と手慣れた様子で株のネット取引を呼び出していた。おれパスワード見ちゃったよおじさん。こんな人混みの中でそんなことやってて平気なのとこっちの方がはらはらしたのであった。不倫メールよりこっちの方がハレンチなような気がする。ライブドアの株をなんとか処分したくてあせっている人なんだろうかと一瞬アタマをよぎったが、彼は「三菱自動車」「売却」「OK」と流れるような指さばきで入力し、何事もなかったかのように携帯をコートのポケットにしまったのであった。本当に携帯で株の取り引きをやっている人なんているんだな。私にはSF小説の出来事のように思えたが、彼が特殊なケースではないのなら、株価はたぶん上がっていくんだろう。



デンマークの風刺漫画をめぐるイスラム教徒の抗議と暴動。TBSのラジオ番組では、「ムハンマドを風刺漫画にするのは無神経だ」とデンマークの新聞社に批判的。番組にはイスラム問題の専門家が電話で参加し、「ヨーロッパ社会のイスラム蔑視の蓄積が背景にある」コメント。でも、15年前にサルマン・ラシュディの「悪魔の詩」で原理主義団体がラシュディの暗殺を示唆して以来、ヨーロッパ各国のメディアはイスラム問題を扱うときものすごく神経質になっている。もともと風刺の笑いはヨーロッパメディアの文化である。王室から福祉制度まで毒を含む笑いの矛先が向けられる。そこには社会に対して批判的な眼差しを向け、それを表現していくことが民主社会を支えるという基本的な了解がある。そうした中でイスラム問題を取りあげるときだけ、まるではれ物でも扱うような状況というのはどう見ても健全ではない。とくに最近は、作品の中でイスラム問題を取りあげたオランダの映画監督が暗殺され、イスラムについて語ること自体がタブーになっている。今回のデンマークの新聞は、こうしたイスラム問題を取り巻く息苦しい言論状況を打破しようとして編集者があえて攻撃的な企画をおこしたという。差別を意図した表現ではないのに暴力的な抗議をするのはあきらかに過剰反応である。この風刺画はブッシュ大統領イラク攻撃を十字軍にたとえたのとは性質が異なる。ヨーロッパのイスラム教徒には原理主義者が多いが、今回のようにインドネシアイスラム教徒まで大規模なデンマーク製品のボイコット運動をするというのは、イスラム教徒イコール原理主義者という印象をもたらし、ヨーロッパ社会にイスラム教徒への警戒心をさらに強めることになる。つまり、「言論の自由も民主主義の価値も尊重しない狂信的な人たち」というイスラム教徒につきまとうステレオタイプの強化である。イスラム問題にメディアが今以上に神経質になり何も言えない状況をつくることは、イスラム教徒自身が自分の首を絞めているように見える。イスラム教もキリスト教も仏教も創価学会オウム真理教ものみの塔も信じるのは勝手だが、それを批判する言論を封じるのは間違っている。



ラジオでは、番組ホストの荒川強啓が「我がニッポンはもっと大らかな国です、こんな神経質な状況はありません、なんたって結婚式は神式、葬式は仏式でやっちゃう国ですからねえ」とおどけていた。おいおい。もしも本気で日本がおおらかな社会だと思ってるのだとしたら、ぜひラジオ番組の中で、天皇をネタに一発ブラックなジョークをかまして欲しいところである。日本社会がおおらかかどうかがすぐにはっきりわかるはずだ。私は日本における政治と宗教の関係について、西洋社会よりもイスラム社会に近いと思っている。



このムハンマド風刺漫画事件で気になるのは、ブッシュ大統領イスラム教徒の抗議運動について「いち新聞社の風刺漫画に暴力的な抗議運動をするのは間違っている」と発言をくりかえしていることだ。イスラム問題であのおっさんが出てくると、文脈がずれてしまって話がややこしくなる。きっとデンマークの新聞社だって、ブッシュにだけは擁護してもらいたくないだろう。