犬猫見ない 波にのまれた


昼、テレビをつけると「パールのネックレスがいまだけ価格のご奉仕!」と連呼していた。なにかの悪い冗談だろうか。ニュースを見ようとチャンネルを変えるとタレントがげらげら笑っていた。さらにチャンネルを変えると今度は高校野球を中継していた。どうやらテレビもラジオも今日から「喪が明けた」ということになったらしい。各局一斉に通常放送に戻って、震災のニュースも原発事故のニュースもスポットであつかわれるだけになっていた。しかし、津波にのまれた地域では依然としていまも一万人以上が行方不明のままだし、福島原発はいつ爆発してもおかしくない状況のまま放射性物質を出し続け、作業員たちはいまも強い放射線の中でつなわたりの復旧作業を行っている。それらはすべてどこか遠い別の世界であるかのように、テレビは「サファイアのブローチがいまだけ価格!」と連呼している。そのグロテスクな光景はある意味でこの世界の姿を正確に映し出している。「いまだけ価格!」が耳について離れず、怖くなってテレビを消した。


写真家の藤原新也は東北の被災地から短文のレポートを発信している。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

犬猫見ない。波にのまれた。

さるすべり、花菖蒲、福寿草、桜、れんぎょう、ツツジ木蓮
仙台水没地区に崩れるコロニアル風住宅。
丹精込め造り込んだ庭の草木だけ居残り、日を追うごと美しい花々を咲かせるだろう。
木蓮の芽など明日明後日には咲きそうにはちきれんばかり。

ラジオテレビから延々と流れる続ける希望の言葉、はげましの言葉。
言っておくがここ被災地の人々がその言葉を聞いている場面に一度も出くわしたことがない。
残念ながら1000回の耳タコ希望は重ねれば重ねるほど浮いてしまい人々にとって鬱陶しいのだ。
つまりそれは安全圏の中に住む人々の間のみで消費されている自慰行為に過ぎない。

ノーテンキにがんばろうとも言えぬ。
1000回の溜息の方がずっとまし。

この大惨状は新聞テレビが報じているように点ではなく線で見なければその巨大さがわからない。
線で見せることは動画のみが可能だ。
テレビは青森から千葉まで延々と映像を流すべき。

ニュース以外はテレビを消そう。


こういうときテレビはニュースだけでいい。
娯楽番組を放送するのが「不謹慎」だからではない。現状を伝えるのがマスメディアの役割のはずだからだ。

「不謹慎だから娯楽番組を自粛する」という発想は保身でしかない。被災地の状況を積極的に伝えるつもりもないし、状況改善のために働きかけるつもりもないのに、ただ批判されたくないためにしかめっ面をしてかしこまる。それはポリティカリー・コレクトだけを気にして中身が空っぽなのとそっくりだ。自粛するだけで伝えることがないのならテレビなどいらない。テレビが通販番組を流し続けるのは、中身のないことへの開き直りなんだろうか、それとももっとなにか別の意図があるんだろうか。

その一方で「テレビ局は自粛なんかしないで娯楽番組をもっと放送してほしい」という声も出ている。でも、彼らは震災でおきている状況が気にならないんだろうか。一万人をこえる人が依然として行方不明で、津波の被災地はめちゃくちゃで、福島の原発はいつ爆発して大量の放射性物質をまき散らすかわからない状況の中で、本当に彼らは娯楽番組を見て笑っていたいんだろうか。それは「不謹慎」というような問題ではなく、ひどくいびつで不気味な姿に見える。

プロ野球は三月末から開幕すると発表して物議をかもしている。読売の渡辺恒雄は、こういうときこそ娯楽で社会を活気づけることが必要だと言う。でも、娯楽はイベントとマスメディアだけが提供するものではない。こういうときこそ必要なのは、身近な人たちとの他愛もない冗談やユーモアではないのか。そうして親しい人たちと笑いあえばいい。いまは大がかりな娯楽イベントもテレビの娯楽番組もいらない。首都圏に電力を供給していた原発の事故で地元住民は避難を余儀なくされ、関東全体では電力不足で連日大規模な停電が続いている中、東京23区にだけは特別に電力が供給され、東京発の娯楽イベントや娯楽番組が発信されつづけるとしたら、それは社会のあり方としてもひどくいびつである。「娯楽イベントで社会を活気づける」のはもっと状況が改善された後の話だ。ナベツネのような発言が出るのならば、霞ヶ関と永田町の政府機能だけを残して、23区にも停電を割り当てたほうがいい。

甲子園の高校野球は例年通り開催された。高校野球は出場する高校生たちのためのものだ。「震災の復興のために」なんて言い訳めいた大義名分を語ったりせず、ただ純粋に仲間たちと野球を楽しめばいい。彼らはただ好きで野球をやってるだけなんだから。それをどこかの誰かが見て励みに思うかくだらないと思うかは彼らとは関係のないことだ。だから、テレビ中継などいらない。テレビにはもっと他にやるべきことがあるはずだ。

いまはただ淡々と状況を伝えてほしい。娯楽番組もいらないし、高校野球の中継もいらない。取ってつけたようなメッセージ広告もいらないし、震災応援メッセージもいらない。