歳時記


今年はやたらと夏が暑かったので、永遠に夏が終わらないような気がしていたが、10月も終わりになってそれなりに寒くなった。本日、ファンヒーターを押し入れから引っ張り出して点火。



ポルシェのスポーツカーにケイマン(Cayman)というのがある。Wikipediaの解説によるとワニのカイマンにちなんでのネーミングだという。でも、ワニはカイマン(Caiman)だよ。ケイマンといったら、タックスヘイブンで有名なカリブ海の島でしょ。なので、「ポルシェ・ケイマン」と聞くたびに、マネーゲームと脱税でひと財産築いた連中のためのうさんくさい高級車というイメージがわいてくる。それは同時に、このクルマのオーナーたちが「なんで俺の払った税金で見ず知らずの貧乏人を救ってやらなきゃならないんだ」と社会保障累進課税の悪口を声高にとなえている姿を連想させる。もしかしてクルマ自体も税金対策?実際に乗ってる人、どうよ。

→ Wikipedia「ポルシェ・ケイマン」
→ Wikipedia「ケイマン諸島」


母が網膜剥離で入院した。ボクサーがよくなるアレである。一階の住人と殴りあいでもしたのかと聞くと、歳をとると硝子体との癒着で網膜がはがれることがあるんだおまえバカじゃないのと母。昔から母は自分を笑えない。いやあクロスカウンターの打ち合いになってさあくらいのことを言ってくれればいいのに。そんな母も病院では看護士さんたちから「おばあちゃん」と呼ばれていた。永遠にアタマの悪いおばさんのままだと思っていたので、その様子には軽い驚きをおぼえた。もっともその看護師たちはその後、「あのおばあちゃんさあ」と互いに声をひそめて言いつつにやにやしていたので、また、妙なことを病院に要求したんだろう。面倒なので他人のふりをして病院から出る。



ここ数年、夏になるたびに小説の朗読が聞きたくなる。音として聞いていて心地良いのは中島敦森鴎外のような漢語調のごつごつした文体のもの。江守徹が例の大げさな調子で朗読している「牛人」と「名人伝」はとくにお気に入り。江守徹NHK教育漢詩の朗読もやっていたが、彼の大げさな話し方は漢詩や漢語調の文体と相性が良いのかもしれない。そうしてイヤフォンを片耳に押し込み、散歩したりバイクに乗ったりしながらごつごつ文体による浮世離れした物語を聞いていると、目の前の風景が遠ざかっていくような感覚を覚える。



寒くなってくると休日には一日中ゲームの世界にこもっていたい衝動にかられる。「Civ」シリーズや「Anno」シリーズのような腰をすえてやるものが好みで、長々とあちらの世界にいるとすっかり胡蝶の夢の気分を味わえる。そこにはヒロイックな演出はなく、ブラックなユーモアに満ちている。海外ではこうしたゲームの愛好家としておとなの購買層が確立されているようだ。ただ、ひとつ気になるのは、こうしたゲームの根底にあるのが常に社会ダーウィニズム的な文明観だということだ。「すすんだ文明」「おくれた文明」で社会を序列化する19世紀的文明観は、テレビ番組ではすっかり影をひそめたが、ゲームの世界では依然として健在だ。「未開」の地には裸で暮らしている残忍な「野蛮人」がいて、毒矢で「文明人」をおそったり、丸焼きにして食おうとしたりする。「すべての社会は独自の価値と発展性を持つ」と言ったレヴィ=ストロースの言葉はゲームの世界にはとどいていない。その序列化された進歩と発展の文明観は、競争とかけひきというゲーム性を演出するために便宜的に用いているのか、それとも作り手自身も19世紀的な弱肉強食思想の持ち主なのか、この種のゲームをやる度に引っかかりをおぼえる。