原発をどうするべきか 高校生たちの声


2年生の授業で原発の問題を取りあげる。まずはじめに、今後、原発をどうしたらいいのか、4つの選択肢をあげて、どれを支持するか生徒に聞いてみたところ、全体の傾向は次のようなものだった。

  1. 【積極的賛成】 より安全対策を行ったうえでなら、新たな原発建設を支持する。2〜5%
  2. 【消極的賛成】 新たな原発建設には反対だが、いまある原発は安全対策をしたうえで、寿命まで使う。30〜40%
  3. 【消極的反対】 風力発電太陽光発電天然ガス火力を積極的に建設して、原発からシフトしていく。10年くらい時間をかけて徐々に原発を廃止していく。約50%
  4. 【積極的反対】 既存の火力発電所と新エネルギーの利用、さらに節電を徹底することで、なるべく早く原発は全面的に廃止する。(いま止まっている原発はもう再稼働しない)。約10%

2番の「消極的賛成」と3番の「消極的反対」だけで8割を超えている。背景には電力不足への漠然とした不安があり、「原発は事故や放射能汚染が不安だけど、なくしてしまうと電力が足りなくなりそうだし、当分はある程度の原発はしかたないんじゃないかなあ」という反応である。こうした「本当は嫌だけど、文明の必要悪としてある程度はしかたない」という反応が多いのは、マスメディアの世論調査でも同じ傾向が見られる。原発の問題では、支持するものの中でも「原発は素晴らしい」という積極的肯定の声がほとんどないのが特徴といえる。


それぞれの生徒たちになぜそう考えるのか、理由を聞いてみた。まず、1の積極的肯定派から。

  • 原発は安く大量の電力を安定的に供給できるので、日本の今後の経済発展には必要だと思う」
  • 「せっかく用地買収もして、建設に取りかかっているのに、途中で取りやめてしまったらもったいない」
  • 「一度の失敗で原子力をあきらめるべきではない」

といった反応が返ってきた。そこで、「福島第一の事故があれだけ大惨事になっているのに、まだ新しいのをつくるの、日本は地震大国だから、いくら安全対策をしても、万全ということはないんじゃないかな」という反論をして、生徒の考えを引き出すことにした。

  • 「今回の事故を教訓にして、より安全対策をしっかりしたものにするはずだから、今後、日本の原発はより安全なものになると思う」
  • 「風力や太陽光は、まだこれからの技術で発電コストもかかるし、安く大量の電力を確保するには、いまのところ原発が一番実用的だと思う」


全体の3分の1をしめる2の消極的肯定派は次のような根拠をあげた。

  • 「新たな建設には反対だけど、いまあるものは使っていかないと電力が足りなくなると思う」
  • 「本当は不安だけど、日本の経済発展のためには、ある程度原発はしかたないかなあと思う」
  • 「夏にエアコンを使えないのは困る」
  • 「いま日本は不景気だから、当分の間、エネルギー状況は変えないほうが経済に負担をかけないですむと思う」

現状維持的な意見が目立つのが特徴である。そこでふたつの点から反論をした。まず、ひとつめ。「本当に原発をやめたら電力が足りなくなるんだろうか、2003年には、電力会社のトラブル隠しが発覚して、このときには日本全体の原発をすべて停止して再点検したけど、夏場の電力はおきなかった、日本では、7割くらいの火力発電所が停止状態にあるから、これをもっと活用すれば、原発をやめても、電力は十分たりるという指摘もあるよ」。

  • 「今回は、火力発電所も被災して止まっているし、先月の計画停電で東京は大混乱したから」
  • 「テレビや新聞がさかんに夏場の電力不足を指摘してるのは、それなりに根拠があると思う」
  • 「去年みたいな猛暑になったら、原発がないと電力は不足するし、発電はある程度余裕をもってしておかないと、いつ停電になって電車や工場が止まってしまうようなぎりぎりの状況では、社会が混乱すると思う」

次に発電コストについて指摘した。「今回の福島第一の被害は、数兆円におよぶと見られている、この莫大な損害賠償や核廃棄物の処分費用にかかる費用を含めて、発電コストを計算すれば、原発はけっして安上がりの発電方法ではない、今回の数兆円っていう損害賠償もふくめて考えれば、むしろ火力発電の何倍もコストが高くなるはずだ、これについてはどう思う」。

この指摘については、消極的原発支持の生徒たちは「うーむ」という反応で、反論は出てこなかった。ディスカッションの前に、事故の損害賠償についての新聞記事を紹介し、数兆円におよぶ損害賠償は東京電力だけでは払いきれそうにないので、税金から投入されることになりそうだと解説したばかりということも影響したのかも知れない。


次に全体の約半分を占める3の消極的原発反対派の根拠。

  • 「いますぐ原発を全面廃止するのは無茶だと思うけど、十年くらい時間的余裕を持って、風力や太陽光へシフトしていくのは可能だと思う」
  • 「福島の事故は不幸なことだったけど、このことは、太陽光発電風力発電を普及させるきっかけになると思う、逆にいま原発にこだわっていたら、自然エネルギーの普及や技術開発はずっと遅れてしまって、他の国において行かれると思う」
  • 「将来的に自然エネルギーへ移行するのは、もうまちがいないというか、石油も石炭もウランもいつか枯渇するわけだから、将来的にはそれしかない状況だし、この事故をきっかけに、日本ももっと開発と普及に力を入れたほうがいいと思う」

3の消極的否定派には、自然エネルギーへのシフトとソーラーパネルの開発強化をあげているものが多かった。そこで、しばしば産業界から指摘されている自然エネルギーのコストの悪さから反論をぶつけてみた。「自然エネルギーはまだまだ発展途上のエネルギーだよね、発電コストも高い、どうしても電気代も高くなってしまうだろう、電気代の値上がりは、家計を締め付けるという以上に、工業生産に大きな打撃を与えることになる、大きな工場は大量の電気を使うから、電気代の値上げは生産コストの上昇をまねいて日本製品の価格競争力を低下させるよね、日本はただでさえ不況なのに、これ以上、工場が海外へ移転してしまって、産業の空洞化が進んだら、失業問題がますます深刻になるよ、現時点では安く大量の発電ができる原発は、日本の経済競争力を高めるためにある程度、必要じゃないの」。

  • 「でも、発電コストのことをいったら、原発だって、放射能のゴミの処分とか、事故の損害賠償とかふくめたら、ちっとも安くないわけだし、短期的に原発のコストが安いっていうのは、未来にツケを残すようなものだと思う」
  • 液晶テレビがこの五年で価格が五分の一くらいに安くなったみたいに、ソーラーパネルや風車だって大量生産するようになれば、価格は安くなるはずだし、安くなればさらに売れるし、メーカーだって技術開発に力を入れるようになるわけだから、もっと効率のいい技術も開発されるようになると思う、その循環が生まれるように、政府が自然エネルギーの普及を支援して、そういう循環が生まれるきっかけを作ることが大事だと思う」
  • 「風力も太陽光も、いまはまだコストが高いけど、開発をすすめることで将来的には火力発電よりも安く発電できるようになると思う」
  • ソーラーパネル風力発電は、今後、世界的に大きな需要が生まれるはずだから、日本でいまから開発をすすめていけば、将来的には、大きな輸出産業になるはずだし、産業の面でもプラスだと思う、日本は技術的には高いものをもっているのに、その技術を活用しないのはもったいないと思う」


最後に4番目の積極的反対派。

  • 原発はもう信用できない、さっき、一度の失敗で原子力をあきらめるべきではないっていってたけど、あんな大事故は一回でもう十分、福島があんなに大惨事になってるのに、止めてる原発を再稼働させようとか、さらに新たな原発を建設しようなんて、なに考えてるんだろうって思う」
  • 原発事故の不安の中で暮らすよりは、電力不足で停電がおきる方がずっとマシ、夏にエアコンが使えなくてもがまんする」
  • 「火力発電所の70%が停止してるっていうなら、それを活用しながら、風力や太陽光を増やしていけば、原発を再稼働させなくても大丈夫だと思う、実際、2003年の夏は原発なしで乗り切れたわけだし、テレビが夏場の電力不足をやたらというのは騒ぎすぎだと思う」

彼らには安全性の面から反論してみた。「さっき、原発の建設を支持する意見の中で、今回の事故を教訓にして、より安全対策をしっかりすれば、今後、日本の原発はより安全なものになるはずだっていう意見があったよね、これについてはどう思う」。

  • 「いくら安全対策をしても、完全に事故の確率をゼロにできるわけじゃないから、原発事故の被害規模の大きさを考えると納得できない」
  • 「日本の場合、地震が多いから、これから先も予想できないような災害はいくらでもおきると思う、そういうケースにすべてそなえるなんて不可能だと思う」
  • 「もしも、ものすごい巨大地震や高さ50メートルの津波でも万全な原発なんてつくったら、それだけでやたらとお金がかかってしまって、発電コストもやたらと高いものになるから、本末転倒だと思う、そんなことをするくらいなら、風力や太陽光発電をつくっていったほうが将来にもつながるし、ずっと建設的だと思う」


■損害賠償のあり方 国の放射能基準値をどうとらえるか


次に各論。ここでは、福島原発事故の損害賠償のあり方、原発事故の確率、過疎対策としての原発建設の三つの点について、生徒の考えを聞いてみた。まず、損害賠償のあり方では、国の放射能基準値のしくみを解説しながら、被曝と健康被害の関係性から損害賠償のあり方を考えることにした。基本的に放射線や体内に取り込んでしまった放射性物質がどの程度の健康被害をもたらすのかというのは、連続的な現象であり、「ここまでは安全」で「ここからは危険」というような線引きのできない性質のものである。年齢や体質によっても大きくちがうし、数十年後にガンになったとしても、福島原発の事故との因果関係をはっきり示すのは不可能である。したがって、国の定める基準値というのは、外部被曝でも食品の残留放射能でも、たんなる「目安」にすぎない。もっと少ない値でも健康被害が出るという研究者もいれば、もっと大きな値でも大丈夫という研究者もおり、専門家でも見解も分かれるグレーゾーンの大きい問題である。これを図にすると次のようになる。



ある細胞ががん細胞か正常細胞かということは、「0か1か」という性質の問題であり、専門知識のある者なら、一目で判断がつく。また、もしも上のグラフが階段状のものならば、階段が跳ね上がるところで線を引けば良い。しかし、被曝と健康被害の関係は連続的に推移する現象であるため、「安全か・安全でないか」という明確な線引きは不可能である。そのため、国の基準値以下でも「食べたくない」という人がいるのは当然だし、そういう人を批判することはできない。国の基準値は「目安」にすぎず、食べる・食べないの最終的な判断は各自がするしかないからだ。このような連続的な現象では、基準値以下でも不安を感じるという人について、「風評に踊らされている」と批判するのは非論理的である。実際に、福島やその近県産の野菜や魚は、国の基準値以下でも市場ではほとんど売れない状況になっている。こうした基準値以下でも売れない農家や漁業関係者についても、東京電力は損害賠償をするべきなのか、生徒に聞いてみた。

  1. 損害賠償は必要ない。あくまで損害賠償は国の基準値を越えたものにのみ行う。10〜20%。
  2. 損害賠償は必要。国の基準値とは関係なく、市場で売れない野菜や魚については、原発事故に原因がある。80〜90%。

1を支持する生徒にその理由を尋ねたところ、次のような意見が返ってきた。

  • 風評被害で売れない野菜や魚にまで損害賠償したらきりがないと思う」
  • 「どこかで線を引かなきゃならないなら、国の基準値で線を引くのが妥当だと思う」
  • 「基準値以下でも売れない野菜や魚については、損害賠償ではなく、電力会社や国の「買い取り」にすればいいと思う」
  • 風評被害をこれ以上広げないためにも、基準値以下の食べ物が安全だということをもっと広めたほうがいいと思う」

2を支持する生徒にその理由を尋ねたところ、次のような意見が返ってきた。

  • 「国の基準値に関係なく、実際に市場で売れないことの原因は、そもそも原発事故にあるわけだから、電力会社には損害賠償の責任があると思う」
  • 「国の基準値以下でも、健康被害については、グレーゾーンにあるわけだから、食べたくない人に文句は言えないし、不安を感じるのは当然だと思う」
  • 「そもそも、安全か安全でないかなんて、はっきりとした線引きなんて不可能なんだから、ほんの微量でも放射性物質が検出されれば、電力会社には賠償責任があると思う」
  • 「税金を使って「買い取り」にするのは反対、まず東京電力の責任をはっきりさせて、東京電力に損害賠償させるべきだと思う、税金を使って被害者を救済するのは、それだけでではたりない場合に限定されるべきだと思う」


■事故の確率 「原発事故の確率はきわめて小さい」という主張をどうとらえるか


原発を推進してきた人たちは、しばしば事故の確率の小ささを主張してきた。つまり、原発が大事故をおこす確率は、数万分の一、数億分の一というごく小さなもので、それは大きな隕石が落下して、大惨事をもたらす確率に等しい。しかし、隕石が自分の頭の上に落ちてくるのを心配しながら日々を暮らしている人はいない。それなのに、原発というとなにかと事故を不安視するのは非論理的ではないかという主張である。原子力安全・保安院の審議官も、国会に呼ばれた際、原発が大事故をおこす確率は、理論上はあり得るが、それは天文学的に小さいものだと主張していた。また、そうした人たちは、原発事故よりも自動車事故にあう確率のほうがずっと高いと主張し、クルマにはねられることを心配したほうがずっと現実的だという。この主張についてどう考えるか。

  1. 支持する。10〜20%。
  2. 納得できない。80〜90%。

1を支持する生徒にその理由を尋ねたところ、次のような意見が返ってきた。

  • 「その通りだと思う、毎年、交通事故で亡くなる人は大勢いるわけだから、クルマによく注意することのほうがずっと現実的だと思う」
  • 「たしかに原発事故はおきてしまったけど、事故の確率が小さいということには変わりないと思う」
  • 「今回の事故を教訓にして対策を進めれば、事故の確率はさらに小さなものにできるわけだから、実際に事故の確率は天文学的に小さいものになると思う」

一方、2の納得できないという生徒にその理由を尋ねたところ、次のような意見が返ってきた。

  • 「事故がおきる前なら、それで納得したかも知れないけど、福島原発のあの状況を見てしまうと、確率論だけで原発を正当化する考え方には、納得できない」
  • 「いったん事故がおきたときの被害の大きさが交通事故とは比べものにならないから、確率論だけで正当化するのはあまりにも乱暴だと思う」
  • 「巨大隕石が落下するのは何百万年に一度だけど、大きな原発事故はこの30年だけで、2回も起きているわけだから、巨大隕石と原発事故との確率を同じだという根拠は何もない、確率計算自体にそもそも誤りがあると思う、そんな次元の低い議論が国会で行われていたなんて信じられない」
  • 「隕石は天災だけど原発事故は人災だから比較できない」
  • 原発事故はたとえ確率が小さくても、福島やチェルノブイリみたいにいったんおきてしまったら大惨事になってしまう、だから、確率が小さいではダメで、ゼロでないかぎりもうつくるべきではないと思う」
  • 「交通事故は自分が注意すれば程度避けられるけど、原発事故はそういう性質の事故ではないから、比較対象にするのはおかしいと思う」


■過疎対策 原発建設は過疎地の経済対策なのか、過疎地の弱みにつけ込んでいるのか


日本では、原発は都市部につくってはいけないことになっているので、原発建設は常に過疎の問題と深く結びついている。だから東京電力原発が首都圏から遠く離れた、福島県新潟県の過疎地に建設されている。原発を受け入れてくれた地域には、巨額の補助金が国や電力会社から入ってくるので、原発のある自治体へ行くとやけに立派な体育館や公民館が建っている。また、建設作業や原発作業員の下請け業務も発生するので、地域に新たな働き口もできる。しかし一方で、そのやり方は過疎地の財政難や仕事のなさという弱みにつけ込んで、多くの人がいやがるものをカネの力で押しつけているというふうにも見える。こうした原発建設のやり方について、どう判断するか、生徒に聞いてみた。

  1. 過疎対策としてプラスに評価できる。約30%。
  2. 評価できない。過疎の弱みにつけ込んで、カネの力で原発を地方に押しつけている。約70%。

1を支持する生徒にその理由を尋ねたところ、次のような意見が返ってきた。

  • 「過疎で仕事がないよりは、原発作業でも仕事があるほうがまだいいと思う」
  • 「財政難の過疎の村や町にとって、一億円もの補助金は大きいと思う、高齢化と過疎で村や町がなくなってしまうよりは、原発を受け入れて財政を立て直すほうが現実的な解決策になると思う」
  • 「最終的に原発を受け入れるかどうかは、地域の人たちが判断するわけだから、一概に「押しつけている」とはいえないと思う」
  • 「やっぱり働き先ができるのは大きいと思う、まあたしかに、つらい決断ではあるけど、自治体と国・電力会社は、持ちつ持たれつの関係だから、原発を受け入れる決断をした自治体に補助金を出すのはいいと思う」

働き先ができることの利点をあげている生徒が多かったので、福島原発での作業について指摘してみた。「ほら、いま福島原発の強い放射線の中で、被曝しながら突撃隊みたいな作業してる人たちいるよね、あの人たちはほとんどが地元で採用された下請けの作業員たちだ、つまり、原発を受け入れることで地元地域に生み出される働き口ってあれだよ、東京電力は「協力会社」なんてもってまわった言い方をしているけど、ふつうの日本語では「下請け会社」のことだ、仕事ができていいんじゃないかっていう人が多かったけど、いざ事故がおきた場合の仕事の内容はあれだ、強い放射線の中で被曝しながら、汚染された水をポンプで吸い上げたり原発の部品を交換したりさ、僕はあの状況を見るたびに胸が痛くなる、たとえ日給十万円くれるって言われても、僕はあれだけは勘弁だって思うんだけど、みんなはあの突撃隊みたいな仕事をやれるのかな、自分だったら絶対嫌っていう仕事なのに、どこかの過疎地の見知らぬ失業者に割り当てるぶんには、それは失業対策として有効だし、過疎対策として効果的だっていう考え方は、人道的に問題じゃないかな、どう」。

  • 「うーん、たしかに」
  • 「でも、事故さえおきなければああいう状況にはならないわけだし」
  • 「たしかに事故がおきたらそうなんだけど、でも、誰かがやらなきゃならない仕事だし」
  • 「うーん、たしかにたとえ日給十万でも自分にはできないと思う」
  • 「ただ、それを引き受けたのは地元の彼らなんだから、自分たちで決めたことについて、いまさら泣き言を言ってもしかたないと思う」

一方、2を支持する生徒にその理由を尋ねたところ、次のような意見が返ってきた。

  • 「たしかに自分たちで決めたことではあるんだけど、それは冷静な判断によって原発を引き受けたわけじゃなくて、財政難と過疎で困っているところに、補助金と仕事っていう餌をちらつかせて釣り上げてるわけだから、それを「自業自得」みたいな言い方をするのは、ちょっとひどすぎるというか、間違ってると思う」
  • 「うーん、なんか、札びらで顔をはたいて押しつけているみたいに見える、ほらカネがほしいんだろって補助金を突きつけるやり方は、社会正義として納得いかないものがある」
  • 「過疎対策は原発建設とは関係なくすべての自治体にやるべきことで、原発受け入れを取引材料にするっていうこと自体、間違ってると思う」
  • 「過疎地の財政難や仕事のなさで悩んでる自治体っていうのは、借金をかかえて困ってる人みたいなもので、そういう人に強い立場にある者が言うことを聞かせるのは簡単なんだと思う、それを引き受けた側の「自己責任」って、一方的に引き受けた側に責任があるようにいうのは、視野の狭い考え方だと思う」
  • 「過疎地に原発を押しつけてきた首都圏の人間にも責任はあると思う、事故がおきる前なら、それは持ちつ持たれつの関係だって思ったかも知れないけど、福島の事故がおきたいまは、もうそういう考え方はできない」


というところだった。授業で使った資料とレポートの課題は先日書いたこちら。


原子力発電は必要か
http://d.hatena.ne.jp/box96/20110313/1299988959