みそぎ研修

 授業で修養団の「みそぎ研修」の様子を見る。資料はNHKが高度経済成長期のサラリーマンの姿を記録した記録映像。三重県伊勢市にある道場へ送られた大手企業の新入社員たちは、奇妙なかけ声や笑い声を上げながら体操を行い、パンツ一丁で身を切るような早春の五十鈴川に浸かって祝詞をとなえる。その滑稽な様子に生徒から笑いがおこる。映像を見終わって、いったい何のためにやっているのか、カルト宗教なのかと生徒たちから質問が出る。たしかにまともな神経ではこんなことやってられない。もちろんなにかの技能を習得するための研修でもない。まともな神経ならできないようなことを入社したての若者たちに体験させること自体が目的なんだと説明する。この研修によって、会社のためならどんなことでもできるという意識を新入社員たちに植え付けることが目的がなんだと。だから、その体験が異常であればあるほど、肉体的・精神的に追い込めば追い込むほど、会社のためならなんだってできるという意識が高まる。会社への帰属意識も強くなるし、一緒にそれを体験した同期入社の仲間との結束も固くなる。そういう会社人間を養成するのにこのみそぎ研修はきわめて効果的だったから、高度成長期、多くの日本企業はこぞって修養団へ社員を送り込んだ。そういう意味では、会社自体がカルト団体のようなものだったといえる。近年ではこうした精神主義の新人研修はすたれてきているが、松下や日立などではいまもみそぎ研修の体験を社員に勧めているという。これは人間の独立性と自由意志の否定だ。パンツ一丁で祝詞をとなえているる若者たちの姿を見ながら、怒りがこみあげくる。


 インターネットで「修養団」を検索したところ、「素晴らしい体験でした」「自分の穢れが洗われたような気がします」といった体験談がいくつかヒットした。自分が自分であることや個人として自由であることよりも、大きなものの一部になることに価値をおいているファシズム願望の持ち主は、現在も少なからずいるように思う。