アカアシブトコバチ


今年の夏、我が家ではセンチニクバエが大量発生した。黒い縦縞の目立つ大型の蠅である。イエバエよりもひとまわり大きく、平べったい体型をしている。8月末から9月はじめにかけて、毎日数匹、多い日には十匹近く、このシマシマの蠅を古新聞やぞうきんを振りまわして駆除した。床下に猫か鼠の死骸でもあるのかと思い、床下を懐中電灯で照らしながら覗いてみたが、それらしいものは見あたらない。どうやら洗濯機の排水のために下水のふたを開けっぱなしにしていたことが原因で、下水の汚物に蠅が卵を産み付け、発生源になっていたらしい。ニクバエの大量発生なんて水洗化の進んだ現代ではめずらしいことだが、ボロアパートの我が家では今も六本脚の生き物たちは身近な存在なのである。興味深いのは、9月の2週目に入るとセンチニクバエの発生がぴたりと止まり、それに代わって大型の蟻に似た黒い蜂が部屋の中を飛びまわるようになったことである。体長は10mm弱、胴体は黒く脚は茶褐色をしており、後ろ脚の股部分が太くなっていて下向きに湾曲しているのが特徴。ネットの検索によると「アカアシブトコバチ」という蠅の蛹につく寄生蜂の一種らしい。この寄生蜂の9月2週目からの発生数はそれまでの蠅の発生数とほぼ同数。つまり、蠅の半数は寄生蜂にやられたわけである。寄生蜂が下水溝の蛆をどうやって探し当てるのかはわからないが、自然はすごいなあとファーブル先生の気分で感心する。

→ 田中川の生き物調査隊「アカアシブトコバチ」



ちくま新書の「害虫の誕生」を寝ころがって読む。ナチュラリスト生物学者による昆虫エッセイかと思って読みはじめたらぜんぜん違った。フーコーの「監獄の誕生」や「狂気の歴史」のように、近代の知識体系が「虫」という身近にいる小さな生き物へのまなざしをどう変容させ、虫と人間社会とのかかわりをどう変えていったのかを追っていくという内容。著者は生物学者ではなく社会学者。大量の文献から科学史にまつわる資料を掘り出し、江戸から明治、大正、昭和に至る自然を見るまなざしと知識体系の変遷を読み解いていく。


江戸時代以前、「虫」のような小さな生き物たちは、卵から生まれるのではなく、ある状態から自然発生的に「湧く」ものだと思われていた。イナゴやニカメイチュウは稲のある状態から、ミミズは土のある状態から、ナメクジは湿ったある状態から、シラミやノミは人間や動物の身体のある状態から、涌いてくると考えられていた。それは民間伝承としてだけでなく、李時珍や貝原益軒の「本草学」にも同じように記されている。そのため、田畑を荒らす虫たちは日照りや長雨と同様に人知を超えた災害であり、虫送りの祈祷によってのみ「鎮める」ことができると思われていた。まるで、マンガの「蟲師」の世界のようだが、小さな生き物たちがさらに小さな卵から孵化することを知らない人々にとって、こういう自然の力によって小さな生命が湧いてくるという考え方は、世界的に広く受け入れられてきた。この本では、そうした前近代の知のあり方から、いわゆる「科学的な知のあり方」へ、知識体系が組み換えられていく様子を大量の文献から読みとっていく。新書本にしてはずいぶんと手間のかかっているカタイ内容である。後書きによると著者の博士論文が元になっているとのこと。そうか、構造主義の手法は虫へのまなざしにまで用いられるようになったのかと妙に感慨深いものを感じる。読みごたえがありました。

→ Amazon 瀬戸口明久「害虫の誕生」ちくま新書 756円