ピンポイントドラマ


最近のアメリカのテレビドラマを見ていると、多チャンネル化の影響なのか、視聴者をピンポイントでしぼっているという印象を強く受ける。たとえば「デスパレートな妻たち」では、ネクラでオタクのキモワル男が登場すると必ず犯罪者である。十中八九、彼らは死体を地下室に隠している異常者か、盗撮マニアの変態である。女の視聴者だけをターゲットにしてつくっているんだろう。子育ての苦労や職場での軋轢といった描写はやけにリアルだが、登場する男たちはみな類型的で薄っぺらくて根暗なオタク野郎は全員死んじゃえの世界。「セックス・アンド・ザ・シティ」もターゲット視聴者は女限定。こちらはもう少しターゲット年齢層低めで、オンナはいつもセクシーで輝いてなきゃいけないのよとばかりにイケメンをオカズにした女同士のあけすけな猥談が毎回繰り広げられる。ドラマに登場する男たちはセックスファンタジーのオカズにすぎないので、当然、ものすごく薄っぺらい。まるで人間の言葉を話すアクセサリーである。男であのドラマが大好きっていうのはきっとゲイにちがいない。えっ、アナタの彼氏はキャリーの大ファン?あらまあ。逆に「名探偵モンク」はオタク男限定ドラマ。プレイボーイのやり手実業家が登場し、自信満々の態度で主人公の奇妙な言動をからかったりバカにしたりすれば、十中八九そいつは連続殺人犯である。オタク男のルサンチマンまる出しといった感じで、自信過剰のイケメンと口うるさいリベラル派はみんなブタ野郎の世界。主人公のモンクは偏狭な性格の中年男で、重度の潔癖性と強迫神経症を患っているため常に挙動不審。「デスパレートな妻たち」だったらまちがいなく死体をホルマリン漬けにして地下室に隠しているタイプ。ところが彼は一度見たことはすべて憶えているというカメラみたいな記憶力と抜群の洞察力の持ち主で、事件捜査を通じて自信満々のイケメン実業家やキャリアウーマンをやりこめていく。こういうドラマを見ていると、アメリカ社会には高校時代にフットボール選手とチアリーダーを頂点とするヒエラルキーがあって、そうでない者たちとの間に巨大な溝が横たわっているという話に猛烈にリアリティを感じる。モンクは精神疾患のために社会生活に支障をきたしているので、日々のあれこれをやたらと美人のアシスタントに世話してもらっている。安い給料にもかかわらず、美人で気立ての良い彼女は「はいはいモンクさんダメですよ、はいティッシュ、手をふいてね、あ、ミネラルウォーター買っておきましたよ」とまるで赤ん坊の面倒を見るように甲斐甲斐しく中年男の世話を焼き、主人公は「駄目だよ、このミネラルウォーター銘柄が違う、私はこれでないと駄目なんだ、ほらこれ、取り替えてもらってきてよ」とそんな彼女に節操なく駄々をこねる。そりゃさ、実際に美人で気立ての良いおねえさんがあれこれ世話を焼いてくれてさ、彼女に節操なく甘えられれば毎日が楽しいだろうけどさ、でも、そういうムシのいい願望をそのままドラマにして映像として見せられると醜悪さにめまいがするのである。うちの母は「名探偵モンク」を見ると主人公を殴り飛ばしてやりたくなると言っていたが、もしあのドラマを受け入れられる女性視聴者が存在するとしたらメンタリティーは完全にオヤジである。えっアナタの彼女がモンクの大ファン?あらまあ。

Wikipedia「ジョック」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF


商業作品は需要と供給の関係でできていると言えばそれまでだけれど、こうしたドラマは作品としてその質をどうこういうような次元のものではないのではないか。お好み味のキャンディーのようにピンポイントの視聴者層に心地良いファンタジーを45分間供給する。それだけ。だから視聴者が求めるファンタジーを裏切らない。オタク野郎はみんな死んじゃえの世界ではネクラのキモワル男は必ず地下室で死体を切り刻んでいるし、ブサイクはみんな死んじゃえの世界ではださいおばさんスーツの上司はきまって陰湿な嫌がらせをするし、自信過剰のイケメンはみんな死んじゃえの世界では元クォーターバックのやり手実業家は必ず連続殺人犯である。登場人物たちが最後まで見る側の思い描く人物像から一歩もはみ出さないというのは、はっきり言って物語としては最低である。視聴者層を限定する手法は、一見、創作の自由度を上げそうに思えるが、その視聴者層の好みに寄り添って創作されるためドラマはパターン化していく。もしも視聴者の多数決で展開が決まるとしたら、みんな同じようなストーリーになるはずである。ドラマをただ消費されるだけの娯楽と割り切ればそれはそれで良いのかもしれないが、囲い込んだ視聴者層の外側にはまったく訴求力を持たないので、こうした作り方をしていると袋小路の中でしだいに先細りになっていくんじゃないかと思う。