4回目の車検


無駄にでかくて乗ってると少々後ろめたい気分になるうちのバイクも7年目に突入し、4回目の車検がやってくる。1985年製なのでもうすぐ30歳である。車検は5日前にネットで予約をして、自分で立川の検査場へ持ち込んで検査を受ける。自分が乗るものはなるべく自分で状態を把握しておきたいので、特殊工具が必要な作業以外、基本的に修理と整備は自分でやるし、車検も自分で受けることにしている。車検場での検査内容は、左右ウィンカーの点灯確認、ブレーキランプの点灯確認、車体番号と原動機番号の確認、ハンドルロックの確認、前後ブレーキの制動テスト、40km/hのスピードメーターのテスト、ヘッドライトの光軸点検、それだけ。検査時間は約15分。ユーザー車検も4回目で手続きにも慣れた。検査も書類手続きもとくに問題なく終了し、新しい車検証をもらって帰る。費用は自賠責保険14100円+書類代20円+重量税の印紙代6700円で合計20820円也。


ただ、車検のたびにいつももやもやした気分になるのは、車検に合格したからといってバイクの安全性が少しも保証されたわけではないことだ。たとえばサスペンションがへたってまっすぐ走らないような車体であっても、あるいはちょっと渋滞に巻き込まれたら冷却水を吹き上げるようなエンジンであっても、上記の検査さえ合格すれば、新しい車検証が交付される。もちろん、整備不良が原因で交通事故をおこしても、陸運局は一切事故の損害賠償をしてくれない。では、いったい何のための車検制度なんだろう。飛行機やエレベーターや遊園地のジェットコースターが整備不良で事故をおこした場合、必ず検査会社の責任が問われる。ところが、自動車の場合、整備はユーザーの「自己責任」ということになっており、整備不良で事故をおこしても車両検査を担当した陸運局の責任が問われることはない。整備がユーザーの「自己責任」なのに、公的機関が車両の状態を定期的にチェックしてお墨付きを与えるというのは、ひどく矛盾しているように見える。権限と責任は常に対の関係でなければならないはずである。役所が車両の安全性にお墨付きを与えるのなら責任も負うべきだし、役所が責任を負うつもりがないのなら、安全検査を人々に科す権限はないはずである。排ガス検査は公共性の点から意義を認めるが、それ以外の整備不良は警察の取り締まりで十分ではないのか。車検場からの帰り道には、いつもそのことが引っかかる。


うちのボロバイクはいまステアリングヘッドに違和感があって、車検を通した後で、ベアリングを打ち替える予定である。正確にいうと、車検のためにステアリングのオーバーホールを先送りにしたわけである。まったくもって本末転倒だと思う。


*各国の車検制度については、こちらで紹介されている。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1414485964
http://www.spin.ne.jp/~sibuya-auto/syaken/kensaseido.html
http://blog.zaq.ne.jp/citroensm/article/505/#BlogEntryExtend


午後、新しい液晶テレビが到着。これでようやく我が家のテレビもデジタル化されたわけだが、うちは地デジ用のUHFアンテナを建てていないので、まるっきりCS放送専用である。デジタル化で地上波にもコピープロテクトがかかるようになったので、ニュース映像を授業の資料用に編集することもできないし、もはや屋根に登ってアンテナを建てる気力もわかない。説明書によるとLANにつなげばYouTubeも見られますとのことだが、YouTubeの動画をテレビの大きなモニターで見て何かいいことってあるんでしょうか。